神の愛

 神の愛はどこの教会でも説かれる主題です。
 しかし、私達が勘違いしてはならないことは、神の愛は罪を是認されないということです。神は私達がキリストの恵みによって罪から離れることを望んでおられます。
 「主は彼の前を過ぎて宣べられた。『主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者。』」出エジプト記34:6、7
 神は罪人を愛されますが、罪を憎まれます。神のご品性は恵み深く、あわれみに満ちておられますが、同時に罰すべき者を決して許されないのです。
 「神は愛である。神は、キリストを与えることによってその愛を示された。『御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るため』に『そのひとり子を賜わった』時、神は、ご自分で買いとられた所有である人類に、何1つさし控えることをなさらなかった(ヨハネ 3:1 6 )。神は全天をお与えになった。強敵サタンに打ち負かされないように、わたしたちはそこから力と能力を引き出すことができる。だが、神の愛は罪を許容するものではない。神はサタンの罪を許容されなかった。またアダムやカインの罪をも許容されなかった。同様に、いかなる人の子の罪も許容なさらない。神はわたしたちの罪を黙認したり、品性の欠陥を看過したりなさらない。神はわたしたちに、そのみ名によって勝利することを期待されるのである。」
 もし、あなたの愛する子供が道を歩いていて、その前に落とし穴があるのを発見したらどうなさいますか?大きな声でその道を進まないように警告するのではないでしょうか?私達を愛してくださる神様も同じです。私達が罪に陥り、自分を傷つけることがないように望んでおられるのです。
 「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」マタイ1:21
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