「すべての時代のための一つの計画」

 「確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である。」(使徒行伝15:11)

 主の真理は、各時代の主の民たちの必要に答えるため、ちがった発展はしてきたが、あらゆる時代を通して、同一のものである。旧約時代にあっては、あらゆる重要な働きは、聖所に密接な関係があった。偉大なる「有ってあるもの」といわれた方は、至聖所にとどまられた。…そこの恵みの御座の上には、ケルビムの翼がかげを落とし、主の栄光のシェキーナがとどまり、主の臨在の永遠のしるしがあった。宝石をちりはめた胸当ては、聖所のその聖なる場所から、エホバの厳かな使命を民たちに知らせた。聖なる方、天地の創造者が、このようにして主の栄光をあらわし、主のみ心を人の子たちにあらわされたその時代は、またすばらしい時代であった。
 その時代の型であった犠牲とささげ物は、罪深い人間のために、完全な献げ物となるべき方であるキリストをあらわしていた。これらの神秘的な象徴、影としての型が来るべき救い主を指し示していたかたわら、イスラエル人には、その時に、救い主がおられた。それは、昼には雲の柱、夜は火の柱でおおわれた主であって、彼らの旅路を導かれ、そして民たちに聞かせるためにモーセに直接み言葉を賜わった主であられた。…人間の創造において、父と一つであられた方が、古代の人々の命令者、律法授与者、そして案内者であられた。(RH18H、3、2)
 多くの人は、キリストのいない、悔い改めも、信仰もなかった暗黒の時代に、イスラエルの人々は住んでいたと考える。多くの人々は、キリストにある信仰が、何の役割も果たしていない形式的で儀式的な宗教を、イスラエルの子供たちは持っていたという誤った教義を持っている。しかし、今日の人々が、キリストによって救われているように、その時代の人々もキリストによって救われたのである。……キリストは、実体なる主が私達の世界に来られる時まで、あらゆる種類の犠牲や、ささけ物において、型を影として続けられてきたのである。ヘブル人たちは、救い主の来られることを喜んだ。私達は、再び来られる救い主を喜んでいる。…キリストの血は、古代のイスラエル人に対してそうであったように、私達にも有効なのである。(YII901,7,18)

聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村