2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「とこしえに至るまで」

「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。」(イザヤ9:7) この世においては、われわれは、贖いという驚嘆すべきテーマについてほんの…

61「見よ、私は戸の外に立って、叩いている。」

このような経験はキリストの内住によってのみ得られるのである。聖書にある無数の約束の中でラオデキヤに与えられたものほど尊いものはない。すなわち「見よ、私は戸の外に立って、叩いている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中に…

「全面的な占有」

「キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。」(ガラテヤ5:24) わたしたちは、情と欲と共に自分の肉を十字架につけなければならない。ではどうすればよいか。からだに苦痛を加えるべきであろうか。加え…

86「天使ガブリエルの来訪」

「わたしがこう言って祈り、かつわが罪とわが民イスラエルの罪をざんげし、わが神の聖なる山のために、わが神、主の前に願いをしていたとき、すなわちわたしが祈りの言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛…

「すべての心にある御座」

「信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み。」(エペソ3:17) 神はわたしたちを買い取られたのであるから、各自の心の王座を要求なさる。わたしたちの精神と身体は神に従属すべきであり、生来の習慣や食欲は、魂のより高い要求に従属させるべき…

60「愛の鞭」

神の愛の象徴であり、また我等に必要な良薬は懲らしめである。神から懲らしめを受けないという事は隠し子であり神の子ではない事を証しするのである。(ヘブル12:5−10参照)試練は我等にとって祝福となるものである。だれもこの鞭を逃れる事はできない…

「わたしたちの絶えざる依存」

「主はみくらに座して、とこしえに王であらせられる。主はその民に力を与え。」(詩篇29:10,11) 恵みの御座にわたしたちは絶えず依存している。……キリストの内にわたしたちの力がある。キリストは御父の前での仲保者であられる。キリストは御心をご自分の民…

85「ダニエルの哀訴」

「われわれの神、主よ、あなたは強きみ手をもって、あなたの民をエジプトの地から導き出して、今日のように、み名をあげられました。われわれは罪を犯し、よこしまなふるまいをしました。主よ、どうぞあなたが、これまで正しいみわざをなされたように、あな…

「あがめられた御名」

「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」(マタイ6:9) 主のみ名をあがめるためには、わたしたちは、神に畏敬の念をもって語らなければならない。「そのみ名は聖にして、おそれおおい」(詩篇111:9)…

59「敬虔の徳を欠く」

世にはキリストの中にある真のクリスチャン敬虔を模倣しながら、その実自らはキリストに居ないいわゆる形式的クリスチャンがいる。たとえ彼らは大いなる熱心と教理上の多くの知識とを有し、病を癒し、他の驚くべき奇跡をなし、あるいはバラムのような預言す…

「聖なる経験」

「全地は主を恐れ、世に住むすべての者は主を恐れかしこめ。」(詩篇33:8) 聖天使は、多くの人々が不敬にも大いなるエホバなる神の御名を用いることを不快に思っている。天使はその聖なる御名を大いなる畏敬をもって口にし、神の御名を語る時には彼らの顔を…

84「ダニエルの祈祷」

「すなわちわたしは、わが神、主に祈り、ざんげして言った、『ああ、大いなる恐るべき神、主、おのれを愛し、おのれの戒めを守る者のために契約を保ち、いつくしみを施される者よ、』」ダニエル9:4 ここにダニエルの力ある祈りが記してある。すなわちこれは…

「へりくだりと聖なる畏れのうちに行く」

「主は聖なる者の会議において恐るべき神、そのまわりにあるすべての者にまさって大いなる恐るべき者です。」(詩篇89:7) 神のみ前にくるすべての者の態度は、けんそんで敬神深いものでなければならない。われわれは、イエスのみ名によって、確信を持ってみ…

「敬虔をもって行く」

「感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。」(ヘブル12:28) 敬虔と信心深い恐れと献身的な愛を持ってどのように神のもとに行くかという、知的な知識が必要である。わたしたちの主に対する敬虔が減少しており、このお方の偉大さと威…

58「偉大な神の愛」

キリストは我等の罪深い心と値無き自己とご自身の所有物とを交換しようとして勧告する商人のようなものである。すなわち「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう…

「キリストの苦しみにあずかる」

「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。」(ペテロ第一4:13) 力を得るためには運動しなければならない。強い信仰を得るためには、わたしたちの信仰が働かさ…

83「ダニエルの謙遜」

「それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた。」ダニエル9:3 我々は神が約束されたからといって、その御言葉が成就するように祈らなくてもよいということはない。ダニエルは次のように考えることも…

「苦悩がやってくる時」

「彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くし〔た〕。」(歴代志下33:12) 「あなたがたは、この世ではなやみがある」(ヨハネ16:33)、しかし、あなたがたはわたしにあって平安を得るであろう、とキリストは言われ…

教課プレゼント

2012年第2期教課 神の器と確立された教え God’s Instruments and established Teachings目次 1課 4/07 神の御手の中のアブラハム 2課 4/14 イサク―キリストの象徴 3課 4/21 神によって変えられた人 4課 4/28 奴隷からエジプトのつかさへ 5課 5/05 神に…

57「三つの勧告」

ラオデキヤ教会は惰眠を貪りつつある。そして「平安がないのに『平安、平安』と言っている」(エレミヤ6:14)。またこの教会はその言動によって「主人の帰りがおそい」(ルカ12:45)と語っている。イエスはこの時代の教会を十人の乙女のたとえをもっ…

「エリヤの模範」

「エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。」(ヤコブ5:17,18) カルメル山上で〔エ…

「あなたの必要を嘆願しなさい」

「わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。」(ホセヤ14:4) 罪を告白することによって神の好意を得ているという考えや、人間に告白することに特別な徳があるという考えを誰も持つことがないように願う。……主は、わたしたちのすべての問題と罪の…

82第九章 最長期間の預言

七十年の捕囚 「メデアびとアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤびとの王となったその元年、 すなわちその治世の第一年に、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年…

「芳しい香のような祈り」

「別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。」(黙示録8:3) 真の祈りは全能者をつかみ、わたしたちに勝…

56「霊的になまぬるい状態」

ラオデキヤの教会は最も危険で恐ろしい、霊的になまぬるい状態である事が非難されている。彼らは無頓着で、自負心が強く、傲慢で、無気力で、神の忌み嫌われる状態にいた。神の愛と驚くべき真理、すなわち各時代の真理がことごとくこの時代に焦点を結んでい…

「キリストのみ名がわたしたちの合言葉」

「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。」(ヨハネ14:13) わたしたちは、キリストを通して嘆願を恵みの座に提示することができる。わたしたちは無価値な者であるが、このお方を通して、…

「すべての者が近づくことができる」

「この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。」(エペソ3:12) 聖潔な心と純潔な生活を真剣に求めながら、困惑し落胆している人々が少なくない。……魂が時々暗黒と失望に捕えられ、…

81「三度ローマについて」

「彼らの国の終りの時になり、罪びとの罪が満ちるに及んで、ひとりの王が起るでしょう。その顔は猛悪で、彼はなぞを解き、その勢力は盛んであって、恐ろしい破壊をなし、そのなすところ成功して、有力な人々と、聖徒である民を滅ぼすでしょう。彼は悪知恵を…

「罪からの救いを見いだせるところ」

「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。」(コロサイ1:13,14) 天の君は、人を高い地位に置かれた。人の命はカルバリ…

55「アーメンの意義と真の証人」

各教会に対してそれぞれ最も適切で有意義な名称をもって語られているキリストは、この最後の教会に対して「アーメンたる者」として語られた。クリスチャンはしばしば祈祷の際にもちいるアーメンというこの不思議な語の意義を尋ねられるがその中には深い意義…