2011年第2期「ダニエル書にある天来のメッセージ」(続)1課〜6課

第1課                    安息日2011年4月2日




 神の力の素晴らしい啓示




 「彼らは信仰によって……火の勢いを消し……た。」―ヘブル11:33, 34


1.激怒した君主はどうしましたか。誰が、全能者の僕を炉の中に入れるように命じられましたか(ダニエル 3:19-21)。


「王は極度に怒った。王は『怒りに満ち』、侮べつすべき捕囚の民族の代表である『シャデラク、メシャクおよびアベ デネゴにむかって、顔色を変え』た(同9:19)。王は炉を平常よりも七倍も熱くすることを命じ、直ちに処刑する準備として、軍勢の強い人々に、真の神の礼拝者たちを縛るように命じた。」―国と指導者下巻p116,117
「ダニエルと彼の同僚たち……また他の多くの者たちは捕らわれの身でありながら、神の証人となった。主は、地の諸国の中に彼らを散在させ、異教徒と偶像崇拝という暗黒の只中にあって、彼らの光が明るく輝くようにされた。神はダニエルに、多くの世代に渡って隠されてきたご自分の目的の光を示された。神の真理の光を幻の中に見て、バビロンという高慢な王国にこの光を反映するようにと、神はダニエルをお選びになった。暴君の上に、神の御座からの光が閃くことが許された。天の神は地のすべての君主や王たちに勝る支配者であられることが、ネブカデネザルに示された。すべての神々に勝る神として、主の御名が宣布されるべきであった。地上の王国の支配者らは、天に支配者がおられるのだということをネブカデネザルが理解するのを、神はお望みになった。神が真実を持って3人の捕虜を炎の中から救い出し、彼らの行動方針を擁護なさったことは、神の驚くべき力を示した。」―SDAバイブル・コメンタリー4巻p1169


2.この命令を実行した人たちに何が起こりましたか。何が、ネブカデネザルの顔を青ざめさせたのですか(ダニエル 3:22-25上句)。


「しかし主はご自身の者たちをお忘れにならなかった。主の証人たちが炉の中に投げ入れられたときに、救い主は彼らにご自身をあらわされた。そして自ら彼らとともに火の中を歩かれた。熱と冷気を支配される主の前にあっては、炎も焼きつくす力を失った。
王は 玉座から、彼に反抗した人々が全く焼きつくされるものと思って眺めていた。しかし王の勝ち誇った気持ちは、突然一変した。側に立っていた大臣たちは、王が玉座から立ち上がってじっと燃える炎を眺めたときに、彼の顔が青ざめるのを見た。王は驚いて大臣たちにたずねた。『われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか。……』」―国と指導者下巻p117


保護され救出される


3.王は、火の中にいる四番目の人について何と言いましたか。君主は何をしましたか(ダニエル3:25下句, 26)。


「異教の王はどのようにして、神の子の姿を知ることができたであろうか。バビロンにおいて信任の地位についたヘブルの捕虜たちは、その生活と品性において王の前に真理をあらわした。彼らはその信仰の理由を聞かれたときに、ためらわずにそれを伝えた。彼らは簡単明瞭に義の原則を示し、彼らの周りの人々に彼らの礼拝する神のことを教えた。彼らは来たるべき贖い主キリストのことを語った。であるから王は、火の中の第四番目の姿に神のみ子を認めたのであった。」―国と指導者下巻p117


4.政府の高官たちは、この若者たちのうちに何を発見しましたか。これは主権者にどのような印象を与えましたか(ダニエル 3:27, 28)。


「大いなる壮麗さをもって立てられた巨大な金の像のことは、全く忘れられてしまった。人々は生ける神の前で恐れおののいた。」―国と指導者下巻p118
ヨハネは煮えたぎる油の大がまの中に投げ込まれた。しかし主は、燃えさかる炉の中の三人のヘブル人を守られたように、この忠実なしもべのいのちを守られた。」―患難から栄光へ下巻p273


真の神を認める


5.ネブカデネザルは、その当時知られていた世界にどのような布告をしましたか。主は、ご自分の僕たちの忠誠をどのように報われましたか(ダニエル3:29, 30)。


「王が公の告白をし、他のすべての神々にまさって天の神を崇めようとしたことは、正しかった。しかし国民に同様の信仰の告白と、同様の敬神深さを示すように強制したことは、ネブカデネザルの地上の王としての権威を越えたことであった。王は金の像を拝むことを拒否するすべての者を、火で焼く命令を出す権威がないのと同様に、政治的であれ道徳的なことであれ、神を礼拝しない者を殺すと脅かす権威はないのである。神は人間に服従を強制されることはない。神はすべての人々が自由に、何に仕えるかを選ばせておられる。」―国と指導者下巻p120


6.預言の証によると、この若者たちの忠実さによって何が起こりましたか。わたしたちの思いにおいて、どんな思いが最上になるべきですか(サムエル記上14:6下句)。


「彼らの驚くべき救いの知らせは、ネブカデネザルに招かれて落成式に来ていた多くの国々の代表者によって、広く国々に伝えられた。神はその民の忠実さによって、全地においてそのみ名が崇められたのである。」―国と指導者下巻p120
「大いなる光が、ダニエルと彼の仲間たちから輝き出た。主の都シオンについて、輝かしい事柄が語られた。このように主は、終末時代において、彼の忠実な夜回りたちから霊的光が輝くように意図される。もし旧約聖書の中の聖徒たちがこのような断固たる忠誠の証を持っていたのであるなら、旧約聖書の預言がその覆われた栄光を未来に注いでいるときに、幾世紀もの間蓄積されてきた光を持つ今日の神の民は、どんなにか輝きわたるべきであろう。」―(手紙32, 1899) SDAバイブル・コメンタリー4巻p1169


神の民に対する模範



7.終わりの時代において、どんな同じような状況に神の民は直面しますか(黙示録 13:14, 15)。


「ドラの平野でのヘブルの青年たちの経験から学ぶべき教訓は、実に重大である。このわれわれの時代においても、神のしもべたちの多くは何の悪い行為もしていないにもかかわらず、サタンにそそのかされてねたみと宗教的頑強さに満たされた人々の手に渡されて、屈辱と迫害を受けるのである。特に第四条の安息日を清くする者に対しては 、人々の激しい怒りが燃やされる。そしてついに、世界的法令が発布されて、これらの人々を死に価する者として告発するのである。……
シャデラク、メシャク、アベデネゴの時代のように、主は地上歴史の最後の時代において、正義のために固く立つ人々のために、大いなる働きをなさるのである。ヘブルの勇者たちと火の燃える炉の中を歩かれたかたは、どこであっても、主に従う人々とともにおられるのである。」―国と指導者下巻p120,121

個人的な研究のために

• 国と指導者下巻p112-121
• SDAバイブル・コメンタリー4巻p1169, 1170



第2課                   安息日2011年4月9日




ネブカデネザルの誇りと屈辱




「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。」―ルカ14:11 


もう一つの預言的夢


1.ネブカデネザル王は、自分の証を書くためどのような説明を与えていますか。彼は何を経験しましたか(ダニエル書4:1-5)。


「ネブカデネザルが諸国に関する神のみこころについて抱いたすぐれた考えは、後になって失われていった。しかしドラの平野の群衆の前で彼の高慢な心が低くされたときに、彼はふたたび、神の国は「永遠の国、その主権は世々に及ぶ」ことを認めたのであった。……
このように野望と誇りに満ちて栄えている王が、唯一の偉大さへの道である、謙遜の道を離れる誘惑に会ったとしても不思議ではない。……
神は王をあわれんで、彼にもう一つの夢を与えて彼の危機と、彼を陥れるために設けられたわなについて警告を発せられた。」―国と指導者下巻p122,123


2.この夢を説明するために誰が呼ばれましたか。誰だけがこれを説明することができましたか(ダニエル書4:6-9)。


「明らかに災いの予告と思われる夢に大いに悩まされた王は、それを「博士、法術士、カルデヤびと、占い師」に語った。しかし、夢は非常に明白であるにもかかわらず、知者たちの中にそれを解き明かしうる者はひとりもいなかった。
ただ神を愛し恐れる者だけが、天国の神秘を理解することができるという事実が、この偶像教国においてもう一度あかしされるのであった。王は困惑して、誠実と節操、また比類ない知恵の持ち主として尊ばれていた彼のしもべダニエルを召し出した。」―国と指導者下巻p124


個人的な適応


3.この第二の夢で、主は王に何を明らかにされましたか。ネブカデネザルが告げた夢はダニエルにどのような印象を与えましたか(ダニエル書4:10-19)。


「第二章に述べられているよりもさらに大きな屈辱が、法術師にもたらされた。その時彼らは、もし夢を示してもらえさえすれば、それを解き明かすことができると誇った。この時、ネブカデネザルはその夢をはっきりと覚えており、それを彼らに語ったが、法術師たちは屈辱的にもまたもや解き明かすことに失敗した。彼らが解き明かしを示すことができなかったので、王は再び神の預言者に目を向けたのであった。」―ダニエル書と黙示録の預言p81
「ダニエルにとって夢の意味は明らかであった。そしてその意義は彼を驚かせた。……
ネブカデネザルの誇りと傲慢のゆえに、今や刑罰が彼に臨もうとしていることを告げる厳粛な義務が神から自分に負わせられたことをダニエルは自覚した。……そしてその恐るべき重大性に、物も言えないほど驚いてためらったのであるが、自分がどんなことになっても真理を語らなければならなかった。」―国と指導者下巻p125


4.ダニエルは夢の意味をどのように説明しましたか。彼は、どのような切迫した勧告を王に差し伸べましたか(ダニエル書4:20-27)。


「ネブカデネザルは自分の夢について細かく述べたが、ダニエルにその夢は自分に当てはまるということを告げられると直ちに、王は自分で自分に宣告を下してしまったということが分かった。それに続く解き明かしは非常に明白であって、何の説明も必要ない。差し迫った裁きは条件的なものであった。それは王に『天はまことの支配者であるということを』教えるためのものであった。ここにある『天』という言葉は天の支配者であられる神の代わりの言葉である。そしてダニエルは、差し迫った裁きを考慮して、王に勧告を与える機会を逃がさなかった。しかし、ダニエルは鋭くて非難するような精神で責めなかった。彼が用いた武器は、親切と説得であった。『それゆえ王よ、あなたはわたしの勧告をいれ……』。」―ダニエル書と黙示録の預言p83, 84
「ダニエルは忠実に夢の解き明かしをしたあとで、高慢な王に、悔い改めて神に立ち帰り、正義を行って切迫した災いを免れるように訴えた。」―国と指導者下巻126


忘れられた警告



5.君主はこの助言に注意を払いましたか。そのあとしばらくして、彼は誇ってなんと宣言しましたか(ダニエル書 4:28-30; 5:19, 20)。


「しばらくの間、預言者の警告と勧告は、ネブカデネザルの心に強い印象を与えた。しかし神の恵みによって変えられていない心は、やがて聖霊によって与えられた感銘を失うのである。王の心からは、まだ、放縦と野望とが根絶されていなかった。そしてこれらの性質は、後にまた現れた。ネブカデネザルは、神が恵みのうちに彼にお与えになった教えや、過去の経験の警告にもかかわらず、ふたたび彼に続いて起こる王国に対して、嫉妬心を押えることができなくなった。これまで大いに公正で恵み深かった彼の支配が、圧政的になった。彼は心を頑なにして、神から与えられた才能を自己に栄光を帰するために用い、生命と力とをお与えになった神以上に自分を高めるために用いた。
神の刑罰は幾月も延ばされた。しかしこうした寛容によって悔い改めに導かれる代わりに、王は誇り高ぶってついに夢の解き明かしを信じなくなり、以前心に抱いた恐怖を嘲笑するに至った。」―国と指導者下巻p126,127


各時代にとっての教訓


6.王が自慢を話し終える前に何が起こりましたか。預言の言葉はどのように確実に成就しましたか(ダニエル書4:31-33)。


「人は素晴らしい知性を持っているかもしれない。また生まれつきの才能を豊かに持っているかもしれない。しかし、これらはすべて彼の創造主である神から与えられているのである。神は理性という賜物を取り除くことがおできになり、一瞬のうちに人はネブカデネザルのようになり、野の獣と同じ地位にまで退化するのである。神がこのようになさるのは、人が自分の知恵と力はこのお方によらないで得たかのように行動するからである。」―セレクテッド・メッセージ1巻p297
「ネブカデネザルの屈辱の時がきた。天からの声が再び差し迫った裁きを宣告し、神の摂理がそれを直ちに執行するために下された。理性が取り去られた。彼の大いなる都の壮麗さと栄光は、もはや彼を魅了しなかった。神がご自分の指の一触れで、それを理解し楽しむことのできる能力を取り去られた。彼は人の住処を去って、野の獣に仲間と住処を求めた。」―ダニエル書と黙示録の預言p85


7.主は、いつ王を再び助けることができましたか。ネブカデネザルは、この屈辱の後に何を認めましたか(ダニエル書4:34-37)。


「ネブカデネザルは7年の間、全国民の驚きの的であった。彼は7年の間、全世界の前で屈辱をこうむった。それから彼の理性が回復されて、彼は心を低くして天の神を見上げ、この懲罰が神の手によるものであることを認めた。……
世界最大の王国が神をほめたたえるようになるという、神のみこころは達成されたのである。ネブカデネザルが、神のあわれみといつくしみ深さと権力とを認めたこの公の布告は、聖書の歴史に記されている彼の生涯の最後の行為となった。」―国と指導者下巻127,129


個人的な研究のために


• SDAバイブル・コメンタリー4巻 p1170
• 各時代の希望上巻p142-144




第3課                  安息日2011年4月16日




ベルシャザルの冒涜




「……もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、……酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って〔くるであろう〕……。」―マタイ24:48-50


義務を忘れる


1.バビロンの最後の王は何をしましたか。ぶどう酒やアルコール飲料は何を引き起こしますか(ダニエル5:1; 箴言20:1)。


「わたしたちには次のような警告が与えられている。『これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。』大いなる主人であるサタンに対する、彼らの極端と狂信の奉仕の影響に注意しなさい。悪魔が人々を自分の支配下に入れると直ぐ、彼らはサタン的品性を表したのである。人々は、神と神の憐れみについて考えることなく、また最も恥ずべき行為に自分たちを導いている悪魔に抵抗する必要を考えることなく、飲み食いした。同じ精神が、ベルシャザルの冒涜的祭りにおいて表された。彼らは楽しみ、踊り、浮かれ騒ぎ、歌い、感覚を欺くまで夢中になった。無節制な道楽、情欲的愛情が、その恥ずべき光景においてすべて入り混じった。神は辱められた。神の民は、異教徒の前で汚された。裁きが、夢中になり、酔った群衆に下されようとしていた。しかし、神は憐れみにより、彼らが自分たちの罪を捨てる機会を与えられた。」―牧師と福音宣伝者への証p101, 102


2.どのような警告がわたしたちに与えられていますか(箴言23:29-35)。


「各自は、同胞のために最善を尽くすという神に対する聖なる義務のもとにいるということを覚えるべきである。一人一人は刺激物に対する欲求を起こすことがないように非常に注意すべきである。健康のためにブランデーを飲むようにと友人や隣人に勧めることによって、彼らは自分たちの友人を滅ぼす代理人となる危険にいるのである。単純な勧めによって、男女が飲酒の習慣の奴隷となった多くの出来事にわたしの注意が向けられた。……
アルコール飲料の放縦の恐ろしい結果を目の前にして、神の御言葉を信じると公言する人々はあえて、ぶどう酒や強い酒に触れたり、それを味わったり取り扱ったりすることができるであろうか。そのような習慣は、彼らの公言している信仰には調和しないものであるということは明白である。」―節制p42


招かれざる客が成り行きを監視している


3.酒に酔ったベルシャザル王はどのような命令を出しましたか。招かれざる客はどのようにその臨在を明らかにしましたか(ダニエル5:2-6)。


「ベルシャザルは天の警護者が、彼の偶像をたたえる酒宴を眺めていたことを夢想だにしなかった。目には見えない天の警護者が、神を汚す光景を眺め……たのを少しも知らなかった。」―国と指導者下巻p132
「ノアの時代の住民は、ゆがめられた食欲にふけることによって堕落したために滅ぼされた。ソドムとゴモラは知性を無感覚にし、神の聖なるご要求と食欲の欲求を見分けることをできなくさせた不自然な食欲を満たすことによって滅ぼされた。食欲の欲求は彼らを奴隷にし、彼らのその忌むべき食欲は大胆になったので、神は彼らが地上にいることを許されなかった。神は、バビロンの悪はその暴飲暴食であるとされた。」―教会への証3巻p162


4.王はどのような経験をしましたか。誰が、彼を助けることができる人を思い出しましたか(ダニエル5:7-12)。


「恐怖が王を襲った。なぜなら彼の良心が自分自身を責めたからである。彼は文字を理解することができなかったが、彼は宮殿の壁にきらめく文字で書かれたメッセージが、平和や祝福のメッセージではないことがわかった。王についての預言者の叙述は、これ以上よく表すことができない。王の顔色は変り、その心は思い悩み、痛みが彼を襲った。彼の動揺は激しく、彼のひざは震えて互に打ちあった。彼は自分が誇って騒いでいたことを忘れた。彼は尊厳を忘れた。そして、彼は神秘的な文字の意味を解くようにと、法術師と占い師を大声で呼んだ。」―ダニエル書と黙示録の預言p90
「しかし、王が莫大な報賞を与えることを約束して、信頼した助言者たちに訴えても何の効果もなかった。天の知恵は売り買いすることができるものではない。「王の知者たちは皆……その文字を読むことができず、またその解き明かしを王に示すことができなかった」(ダニエル書5:7,8)。彼らは前の時代の知者たちがネブカデネザルの夢の解き明かしをすることができなかったのと同様に、不思議な文字を読むことができなかった。」―国と指導者下巻p134


宣告を解き明かす


5.ダニエルにどのような約束が与えられましたか。大いなる贈り物や名声の約束は、彼にどのような感銘を与えましたか(ダニエル5:13-17)。


「ダニエルはあの恐怖に襲われた群衆の前で、王の約束にも心を動かされることなく、至高者のしもべとしての冷静な威厳をもって立ち、へつらいではなくて破滅の言葉を解き明かしたのである。」―国と指導者下巻p135


6.ダニエルは記された文字をどのように説明し始めましたか。天からのメッセージは何でしたか(ダニエル5:18-28)。


預言者ダニエルはまず第一に、ベルシャザルがよく知っていることを思い起こさせた。しかし彼は、彼を救うに至ったであろう謙遜の教訓を、それから学んでいなかった。ダニエルはネブカデネザルの罪と堕落、および彼に対する神の処置について語った。すなわち、神は彼に国と栄光をお与えになったが、彼の誇りは神の刑罰を招くに至り、彼はついにイスラエルの神の力とあわれみとを認めるに至った。そしてダニエルは、勇敢に力強い言葉で、ベルシャザルの大いなる罪悪を譴責したのである。ダニエルは王の前に彼の罪を示し、彼が学ぶべくして学ばなかった教訓を指摘した。ベルシャザルは祖父の経験を正しく理解せず、彼自身にとって非常に重要な諸事件の警告に心を留めなかった。真の神を知って服従する機会がベルシャザルに与えられていたのであるが、彼はそれを心に留めなかった。……」―国と指導者下巻p135,136


宣告の敏速な執行


7.その夜、何が起こりましたか。預言者エレミヤは、百年以上も前に何を預言しましたか(ダニエル5:29-31; エレミヤ51:9)。


「王とその大臣たちが主の聖なる器で酒を飲み、銀や金の神々をほめたたえていたときに、メデヤとペルシャ人たちはユフラテ川の流れを変更して、無防備の都の中心に侵入していた。……驚いた酒宴の客の絶望的な叫びを越えて、彼らの勝ちどきが聞こえた。」―国と指導者下巻p137

個人的な研究のために

出エジプト記 32章
• イザヤ22:13, 14
• アドベンチスト・ホームp55,56



第4課                  安息日2011年4月23日




獅子の穴で




「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。」―詩篇27:1, 2


嫉妬した仲間たち


1.ダリヨス王は、バビロンを征服した後、政府をどのように変えましたか。彼は、どのような変化をもたらすことを願いましたか。なぜでしたか(ダニエル5:31; 6:1-3)。


「ダニエルの振る舞いは、なんという感銘をダリヨスに与えたことであろう。ダニエルは清く聖なる生活をしていた。神がまず彼と共におられた。真のキリスト教が治めている心は、それが品性に明らかにされるのである。すべての者は、彼らがイエスと共にいることを認める。分かたれていない愛情を神に捧げなければならない。」―牧師と福音宣伝者への証p443
「ダニエルは政治家であった。重い責任が彼に負わせられていた。しかし彼は、一日に三度神を求め、主は彼に聖霊をお与えになった。」―健康への勧告p423


2.政府の高官たちは、ダニエルに対抗して、王の計画を妨げようとした時、何を悟りましたか。妬みは何を可能にしますか(ダニエル6:4-7)。


「王国の指導者たちは、ダニエルが栄誉を授けられたために、彼をねたんだ。そして彼らは、彼に対する苦情を言う折をねらった。ところがなんのとがをも見いだすことができなかった。……
ダニエルの行動になんの落ち度もないことが、ますます彼の敵たちのねたみを引き起こした。」―国と指導者下巻p148
「ねたみは人の心の中の最も悪魔的性質の一つであって、最も恐ろしい結果を生じるものである。」―人類のあけぼの上巻p461


スパイし告発する


3.何も疑わない王は、提案された法案について何と考えましたか。ダニエルは、この新しい危険を考えて自分の習慣を変えましたか(ダニエル6:8-10)。


「こうした陰謀をめぐらすに当たって、サタンが重要な役割を果たしたのであった。預言者ダニエルは王国の指導的な高い地位にあった。そして悪天使たちは、王国の支配者たちに対する自分たちの力が、彼の影響によって弱まるのではないかと思った。総督たちにねたみやそねみの心を起こさせたのは、これらのサタンの手下たちであった。ダニエルを殺す計画を思いつかせたのは、悪天使たちであった。そして総督たちは悪の手先となって、それを実施したのである。……
彼〔ダニエル〕はその行動をただ一つの点においても変更しなかった。今こそ最も祈るべき時なのに、どうして祈りをやめることができようか。……彼は自分を陥れようとたくらんでいる人々の前で、彼と天の神との関係が絶たれたかのように見えることすら許さなかったのである。ダニエルは王に命令権のある点においては、あらゆる命令に従うのであった。しかし王であろうが、王の布告であろうが、王の王なる神に対する忠誠を曲げさせることはできなかった。」―国と指導者下巻p149-151


4.王は、誰のためにこの罠が仕掛けられたかを悟った後どうしましたか。高官たちは、ダニエルを救おうとする王の試みをどのように無効にしましたか(ダニエル6:11-15)。


「ダニエルの地位はあまり羨ましいものではなかった。彼は、不正直でごまかしに満ちている、不信心な輩から成る、内閣の長官であった。閣僚たちは鋭い嫉妬深い目で、彼の行状に何らかの欠点を見つけようと彼を見張っていた。彼らはスパイを置いて彼の行動を見張り続け、この方法で彼に不利な何かを見つけようとした。サタンはこれらの者にある計画を吹き込んだ。それによって彼らは、ダニエルをなきものにすることができるのであった。彼をとがめる手段として彼の宗教を利用せよ、と敵は言った。」―(ユース・インストラクター1900年11月1日)SDAバイブル・コメンタリー4巻p1171


神の律法の不変性



5.どなたの律法が本当に変わることがありませんか。ダリヨスは最終的にどのような命令を下しましたか。彼はどなたに完全に信頼していましたか(マタイ5:18; ルカ16:17; ダニエル6:16, 17)。


「もしも律法を変えたり、廃止したりすることができるのであれば、人間を罪の刑罰から救うためにキリストが死なれる必要はなかった。キリストの死は、律法を廃止するどころか、それが不変のものだということを証明しているのである。」―各時代の大争闘下巻p193
「各時代にわたって、神に任命されたあかしびとは真理のために恥辱や迫害に身をさらしてきた。ヨセフは徳と高潔を守りつづけたためにそしられ、迫害された。神に選ばれた使命者ダビデは敵から猛獣のように追われた。ダニエルはあくまでも天に忠誠であったために、ししの穴に投げ入れられた。」―患難から栄光へ下巻p279


6.王とダニエルの信頼は報われましたか。ずるがしこい告発者たちはどうなりましたか(ダニエル6:18-24)


「神はダニエルの敵が、彼をししの穴に投げ入れることを阻止されなかった。神は悪天使と悪人たちが、ここで彼らの目的を達するのをお許しになった。しかしそれは、神のしもべの救出をさらに著しいものにし、真理と義の敵の敗北を、さらに完壁なものにするためであった。『まことに人の怒りはあなたをほめたたえる』と詩篇記者はあかしした(詩篇76:10)。御都合主義ではなくて、正義を行うことを選んだこのひとりの人の勇気によって、サタンは敗北し、神のみ名は高められ、崇められるのであった。」―国と指導者下巻p153


7.この経験の後、王はどのような素晴らしいメッセージを全国に送りましたか。ダニエルは何を経験しましたか(ダニエル6:25-28)。


「ヨセフとダニエルの歴史を研究しなさい。彼らを害しようとした人々の謀略を神は妨げられなかったが、かえってこうした策略が試練や災難の中にもその信仰と忠誠を守った神のしもべの益となるように導かれた。…
わたしたちは自分の試練、苦難、不幸、悲嘆を記録しておく必要はない。これはみな書にしるされて天に保管されている。不愉快なことを数えあげているうちに、楽しい思い出が多く忘れられていく。たとえば、絶えずわたしたちを囲んでいる神の深いあわれみや、天の使も驚くほどの愛、すなわち神がわたしたちのためにみ子を死にわたされたことを忘れてしまう。キリストのために働く者として人よりも心労や試練が多いと感じるとき、こうした重荷を拒否する人々にはわからない平安があることを覚えなさい。キリストの働きには慰めと喜びがある。キリストと共に生きるとき、そこには失敗がないことを世に証明しなさい。」―ミニストリー・オブ・ヒーリングp471,472

個人的な研究のために

箴言 26:27
• 伝道の書10:8
ミニストリー・オブ・ヒーリングp60, 471



第5課                   安息日2011年4月30日




もう一つの力



「……この角には目があり、また大きな事を語る口があって、その形は、その同類のものよりも大きく見えた。」―ダニエル7:20



四つの象徴的獣


1.ダニエルはベルシャザルの元年に何を経験しましたか。彼は幻で何を見ましたか(ダニエル7:1-3)。


2.風と水は、聖書の象徴的言葉では何を意味していますか。四つの獣は何を表していましたか(エレミヤ25:32, 33; 黙示録 17:15; ダニエル7:17)。


「海、あるいは水は、聖書で象徴として用いられている場合、民族、国民、国語を表すのである。天使は『あなたの見た水……は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である』と預言者ヨハネに言った(黙示録17:15)。
 四つの獣の象徴の意味は、幻の終わりの前にダニエルに与えられている。『この四つの大きな獣は、地に起らんとする四人の王である』(17節)。この象徴の説明によって、幻の領域は間違いなくわたしたちの前に開かれている。」―ダニエル書と黙示録の預言p106


獣の識別


3.第一の獣はどの国を表していましたか。第二の獣を見る時、三本の肋骨は何を象徴していましたか(ダニエル7:4, 5)。


「ダニエル7章の幻の中で、預言者が初めに見た獣はししであった。象徴としてのししについては、エレミヤ4:7; 50:17, 43, 44を読みなさい。幻の中で初めにいたししはわしの翼を持っていた。翼の象徴的な使用については、ハバクク1:6-8に印象的に描写されている。そこにはカルデヤ人は『物を食おうと急ぐわしのように飛ぶ』と書かれている。
これらの象徴から、わたしたちはバビロンが偉大な力を持っていた国であり、ネブカデネザルの下でその征服は非常な速さで広がったということを容易に結論づけることができる。……
ダニエル2章の像のように、この一連の象徴においても、わたしたちは一つの国から次の国が起こるに従って、著しい退化を見ることができる。銀の胸と腕は、金の頭より劣っている。熊はししに劣っている。メド・ペルシャは、富、壮大さ、輝かしさにおいてバビロンに及ばなかった。熊はからだの一方をあげていた。この国は二つの国家、すなわちメディアとペルシャによって構成されていた。」―ダニエル書と黙示録の預言p107, 108


4.第三の獣の四つの翼と四つの頭は、何を意味していましたか。第四の獣は何に似ていましたか。またいくつの角がありましたか(ダニエル7:6, 7)。


「第三の国であるギリシャは、ここにおいてひょうの象徴によって表されている。獅子の翼が征服の速さを意味しているとすれば、ここでも同じことを意味するのである。ひょうは、それ自体足が速い動物であるが、ここで象徴されている国の出世を表すのに十分ではなかった。それはそれに付け加えて翼がなければならない。二つの翼、すなわちししが持っていた数では十分ではなかった。ひょうは四つの翼がなければならない。これは今までにない速さの動きを意味するのであり、これはギリシャの国において歴史上事実であるということが分かるのである。」―ダニエル書と黙示録の預言p108


第四の獣と小さな角


5.第四の獣に何が起こりましたか。ダニエルには何が特別に興味深いものでしたか。天の使いは、第四の国についてどのような説明をしましたか(ダニエル7:8, 19, 23)。


「霊感は、ここで描かれている権力を象徴するために、実在する獣を見出すことができなかった。蹄(ひづめ)、頭、角、翼、うろこ、歯、爪が加わったどのような実際の獣も適合しなかった。この権力は他のすべてのものと異なっており、この象徴は動物界に見つけることのできるどの動物とも全く違っている。
この基礎は7節にあるが、場所がないため、ここでは簡潔に述べるしかない。この獣は大いなる像の四番目、すなわち鉄の足に相当するのである。ダニエル2:4にある解説に、これがローマの権力であると信じられている理由をいくつか挙げてある。」―ダニエル書と黙示録の預言p110
「(黙示録)第13章(1-10節)にはもう一つの獣が描かれていて、それは『ひょうに似ており、』龍は、『自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。』……ダニエル書7章の小さい角の描写とほとんど同じであるこの預言は、疑いもなく法王権を指している。」―各時代の大争闘下巻p158


平和な愛の王国


6.第四の国の時代にどのような大きな出来事が起こりましたか(ルカ2:1; ガラテヤ4:4)。


「種の中の胚種(はいしゅ)は、神が種の中に植えつけられた生命の原則によって生長するのである。種の発育は、全く人間の力によるものではない。キリストの王国でもそれと同様である。それは、新創造である。その発達の原則は、世界の諸国を支配している原則とは正反対のものである。地上の政府は、武力によって目的を達し、戦争によって領土を保持する。しかし、新しい国の建設者は、平和の君である。聖霊は、おそろしい猛獣によって地上の王国を象徴したが、キリストは『世の罪を取り除く神の小羊』である(ヨハネ1:29)。暴力をつかって良心をしいることは、小羊の政策ではない。ユダヤ人は、この世の王国の建設と同じ方法で、神の国が建てられることを期待し、正義をおし進めるためには、外的手段に訴えて、いろいろの策を講じたのである。しかし、キリストは、人の心に原則をお植えになるのである。真理と義とを植えることによって、誤りと罪に対抗なさるのである。」―キリストの実物教訓p54
「地上の権力を代表している獰猛な獣の幻が、ダニエルに与えられた。しかし、メシヤの王国の旗印は小羊である。地上の国々が物理的勢力の台頭によって支配する一方、キリストはあらゆる肉の武器や強制の手段を取り除かれることになっている。彼の王国は、堕落した人類を高めるために樹立されることになっていた。」―(手紙32, 1899)SDAバイブル・コメンタリー4巻p1171


7.ダニエルは何をもっと知りたいと思いましたか。説明はどのようなものでしたか(ダニエル7:20, 24上句)。


「第四の獣(ローマ)とこの権力から起こった十の角または十の国についてはすでに十分述べた。次は、小さな角にもっと特別な注意を向けるべきである。8節の解説に述べたように、法王権の起こりと働きに、この角に関する預言の成就を見出すことができる。従って、この尊大な権力の発達を招いた原因を調べることは、興味深いことであり重要な事である。」―ダニエル書と黙示録の預言p119

個人的な研究のために

• 各時代の大争闘下巻p158
• 国と指導者下巻p156


第6課                    安息日2011年5月7日


小さな角




「……その中に、また一つの小さい角が出てきたが……見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。」―ダニエル7:8



目と口がある角


1.十の角はすべて政治的権力であるので、どの権力だけが「先の者と異なり」と描写することができますか(ダニエル7:24, 20下句)。


「法王教は世界の専制君主となった。王も皇帝もローマ法王の命令に服した。人々の運命は、現世のものも来世のものも、彼の支配下にあるように思われた。数百年にわたってローマの教義は、絶対的なものとして広く受け入れられ、その儀式は厳粛にとり行なわれ、その祝祭はあまねく遵奉された。聖職者たちは尊敬され、豊かにささえられた。この時ほど、ローマ教会が大きな威厳と壮大さと権力を誇った時代はなかった。……
こうした絶対無謬を唱えた法王の暴君的性格を示す顕著な実例は、ドイツ皇帝ハインリヒ四世(ヘンリー四世)に対する処置である。ハインリヒ四世は、法王の権威をあえて無視したために、破門と廃位の宣告を受けた。……彼は王妃と忠実な従者とを伴って、法王の前に身を低めるため、真冬のアルプスを越えた。グレゴリーが留まっていた城に到着すると、王は護衛もなく外庭に案内され、その厳しい冬の寒さの中で、みすぼらしい衣を着、頭には何もかぶらず、はだしのまま、法王の前に出る許可を待った。彼が三日間断食とざんげを続けた後、ようやく法王は彼に赦免を与えた。」―各時代の大争闘下巻p57,54


2.それをふさいでいた三つの角はどうなりましたか。「人の目のような目」と「口」という言葉は何を指していますか(ダニエル7:20, 8)。


「さらに法王は、もう一つの僣越なことをした。すなわち十一世紀に法王グレゴリー七世は、ローマ教会は完全であると宣言したのである。その主張の中で彼は、聖書によれば教会はこれまで誤ったことはないし、これからも誤ることがないと言明した。……高慢な法王はまた、皇帝を退位させる権力があると主張し、自分が布告した宣言を破棄し得る者はだれもなく、一方他のすべての者の決定を取り消す権力が自分にはあると断言した。」―各時代の大争闘下巻p54


冒涜を語る



3.この権力はだれに対抗し、当初は勝利しましたか。この冒涜は何から成っていましたか(ダニエル7:21, 25上句; マタイ23:8, 9; エペソ4:15, 16; 5:23)。


「聖徒の血は、幾世紀にわたって流された。ワルド派の人々は、『神の言葉とイエス・キリストのあかしのために』、ピエモンテの山々で彼らの生命を捨てた。彼らの同信の仲間たち、フランスのアルビ派の人々も、真理のための同様のあかしを立てた。宗教改革時代には、その支持者たちは恐ろしい拷問によって殺された。……勇敢なユグノー教徒たちは、人間の心が最も神聖視するこれらの権利のために闘い、多くの激戦地で彼らの血を流した。プロテスタント教徒は、法律の保護外の者とみなされ、彼らの首には懸賞金がつけられて、あたかも野獣のようにかり立てられた。……
法王は全世界のキリストの教会の目に見える頭であって、世界各地の司教と牧師に対する至上権が与えられている、というのがローマ・カトリック教会の主要教義の一つである。そればかりではない。法王には、神の称号そのものが与えられている。彼は「主なる神、法王」と呼ばれ、誤ることがないとされてきた。彼はすべての人間が彼を尊敬することを要求する。」―各時代の大争闘上巻p347,45


神の律法を変えようと試みる



4.イエスは神の律法について何と言われましたか。イエスの教えに反して、預言は法王権が何をしようと試みると述べていますか(マタイ5:18; ルカ16:17; ダニエル7:25中句)。


「法王制は、神の律法を変更しようとした。偶像礼拝を禁じる第二条を律法から除去し、第四条は、七日目のかわりに第一日を安息日として守ることを公認するように変更された。……その変更は、計画的で故意の変更である。すなわち「彼はまた時と律法とを変えようと望む。」第四条の変更こそ、まさしくこの預言の成就である。」―各時代の大争闘下巻166


長い期間に渡る支配


5.預言的時間は、どの手掛かりに従って計算されていますか。法王権はどれくらいの期間、迫害する権力を行使しましたか(民数記14:34; エゼキエル4:6; ダニエル 7:25下句; 黙示録13:5; 12:6)。


「42か月は、ダニエル書七章の「ひと時と、ふた時と、半時の間」、つまり3年半、すなわち1260日と同じで、その期間のあいだ、法王権は神の民を圧迫するのであった。……
ここに、『42か月』と『1260日』という二つの期間があげられているが、これは同じもので、キリストの教会がローマの圧迫を受ける期間を表わしている。1260年の法王至上権時代は、紀元538年に始まったから、1798年に終わることになる。この時、フランスの軍隊がローマに侵入し、法王を捕虜にした。そして彼は配所で死んだ。その後、すぐ新法王が選ばれたけれども、法王制度は、もはや以前のような権力を振うことはできなかった。」―各時代の大争闘下巻p158, 上巻266,341
6. 神は憐れみによって、ご自分の民のために何をなさいましたか。主は、今日のご自分の民をどのように慰められますか(ダニエル11:34; マタイ24:21, 22; ダニエル7:9-14, 22)。

「教会の迫害は、1260年の全期間を通じて続いたわけではなかった。神は、神の民をあわれんで、火のような試練の期間を短縮された。救い主は、教会にふりかかる『大きな患難』を預言して言われた。『もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう』(マタイ24:22)。迫害は、宗教改革の影響を受けて、1798年より前に終わったのである。」―各時代の大争闘上巻340


裁きの時


7.主は何に預言者の注意を向けられましたか(ダニエル7:26, 27)。




個人的な研究のために

「国民の移動という嵐の只中にあって、帝国は滅亡し、あらゆる破壊の只中においても唯一動くことなく立っていたローマの司教の座に、国民は敬意を表した。」―Emil Staub, A. Zimmermann, Bilder aus der Kirchengeschichte (教会史からの絵)p43
「ローマの最初の司祭または司教は彼らが住んでいた都市の地位に比例した敬意を享受していた。西暦の初めの数世紀において、ローマは最も大きく、最も豊かで、世界一強力な都市であった。それは帝国の所在地、国の首都であった。『地球のすべての住民はそれに属している』とジュリアンは言った。そして、クラウディアンは、それが『法律の噴水』であると宣言した。『ローマが都市の女王であれば、彼女の司祭は司教の王になるべきではないだろうか』とローマの司祭は推論した。『ローマ教会がキリスト教界の母となるべきではないだろうか。あらゆる国民が彼女の子供となり、彼女の権威がその国家の法律となるべきではないだろうか』とこれらの言葉の引用源であるドービニェは言っている。『野心的な者の心がそのように結論づけるのは簡単であった。野心的ローマはそのようにした。』(Jean Henri Merle d’Aubigne, 16世紀の改革の歴史1巻p8)」―ダニエル書と黙示録の預言p119, 120
 アレキサンドリアの長老派であるアリウスは「キリストは神と等しい存在ではなく、ただ神の初めの被造物であったと教えた。」―Emil Staub, A. Zimmermann, Bilder aus der Kirchengeschichte (教会史からの絵)p30
以下の主張が、法王権のためになされた: (1) 「法王は地上における神とキリストの代理人である。」 (2) 「彼は全地の主であり、全国は彼に属する。王や王子はその地位を彼から借りるのであって、もし彼らが彼に服従しないのなら、彼は彼らの王位を奪い、彼らの土地をもっと従順な王子に与えることができる。」 ―世界史のテキストブックby Prof. F. Noesselt, p81

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