「適切な運動」

「すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。」(伝道の書9:10)


 さまざまな商売や職業を学ばなければならず、これらのことは非常に多くの精神的、身体的能力を働かせることを要求する。座業を必要とする職業は最も危険である。なぜならこういった職業は、人から野外の空気と日光を奪い、ある器官の能力を訓練し、その一方で他の器官は活動しないために弱くなっていくからである。人は自分の働きを続け、自分の仕事を完成し、まもなく墓に横たわる。
 筋肉を使いつつ戸外で働き続ける一方で、頭脳が他の全器官と同じ重荷を負い、全器官がそれぞれの働きを行う特権にあずかる職業についている人の状況は、はるかに有利である。偉大な主なる芸術家のみ業を見つめつつ、町の郊外に住んで野外で働くことのできる人々に対しては、新しい光景が絶えず展開されている。彼らが自然の書を自分たちの研究とする時、和らげ抑制する感化力が彼らの身にふりかかる。空に輝く太陽から、生命をもっている小さな茶色のすずめや一番小さな昆虫に至るまで、神の配慮がすべてを覆っていることに気づくからである。
 天の至高者は、ご自分の愛の証拠として、わたしたちに神の創造によるこれらの事物を指し示しておられる。草花を形造られたお方は「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と言われた。……主はわたしたちの教師であって、このお方の教えの下で、わたしたちは自然から最も尊い教訓を学ぶことができる。
 世は罪ののろいのもとにあるが、それでもその衰退の中にあってもまだ自然は非常に美しい。もしもこれが不道徳な者によって、また土を耕す人々の堕落した行為で汚されなかったならば、わたしたちは神の祝福によって、わたしたちの世界をあるがままの状態で楽しむことができたのであるが、しかし無知、快楽の愛好、罪深い習慣、堕落している魂と体と精神が世を道徳的らい病で満たしている。致命的な道徳上のマラリヤが何千何万という人々を破滅させている。わたしたちの青年を救うために何をなすべきであろうか。わたしたちにはできることがほとんどないが、神は生きて統治しておられ、このお方は多くのことをなすことがおできになる。……
 わたしたちは不誠実や見せかけ、競馬、トランプ、宝くじ、プロボクシングの試合、飲酒、喫煙を止めるかたわら、純潔で気高く、精神を高める楽しみを供給しなければならない。わたしたちは、目が人の住居に絶えず向いているのではなく、神のみわざに向く……場所を選ぶべきである。そこは都市が与えるものとは別の、人々が訪れたくなる場所であるべきである。自然が感覚に語りかけることができる場所に[彼らを]連れていきなさい。そうすれば彼らは自然の声の中に神の声を聞くことができる。彼らが神の驚くべきみ業を見上げ、自然を通してその創造主を見つめることのできる場所にいさせなさい。(クリスチャン教育の基礎319, 320)

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