「子供はよく均整の取れた品性を発達させるべき」

 「主は高くいらせられ、高い所に住まわれる。……また主は救と知恵と知識を豊かにして、あなたの代を堅く立てられる。主を畏れることはその宝である。」(イザヤ33:5, 6)


 予想し得る不都合な感化のあらゆるものから、子供たちを守りなさい。なぜなら、子供は道徳的な威厳、純粋さ、好ましい品性、あるいはこれらと反対の利己主義、不純、不従順といった性質のどれにも、たやすく影響をうけるからである。そしてひとたび不平をいう精神や高慢、虚栄、不純といった性質に感化されてしまうと、その汚点は生涯ぬぐうことができないのである。青年が正当な権威に服従したがらないのは、家庭における訓練に欠陥があるからである。私は母親である。だから私が、子供たちを自らの好みにまかせて生活させるよりは健全な制限を加えることが、より安全であるばかりでなく、いっそう幸福であると言っているのは、十分理由があってのことである。(アドベンチスト・ホーム537)
 すべての両親は、自分の子供にバランスよく均整の取れた品性を手に入れさせるということを目標とするべきである。これは規模や重要性の小さな働きではない。忍耐強く辛抱強い努力と同様に真剣な考えと祈りを要求する働きである。正しい基礎が敷かれなくてはならない。強く堅固な骨組みが建てられなくてはならない。その後、日々、建設と、研磨と、完成の働きが進められなければならない。(両親と教師と生徒への勧告107, 108)
 しかるべきバランスの取れた品性を形成するために、肉体的、精神的、また霊的能力が発達させられるべきである。この目的を首尾よく成し遂げるために、子供たちは見守られ、保護され、そしてしつけられなければならない。若い人格を正しい方法で形成するには、技能と忍耐強い努力とが要求される。一定の悪の傾向は注意深く抑制され、やさしく譴責されるべきである。思いは正しい方へ向くよう奨励されるべきである。子供が自己を治めようとするとき励ますべきである。そしてこれらのすべてのことは賢明になされねばならない。さもなければ目的が阻害されてしまう。
 親は次のように尋ねるであろう。「だれがこれらのことを十分なし得るであろうか」。神だけが彼らの力であり、そして、もし彼らがこのお方を度外視して、このお方に助けと勧告を求めないならば、彼らの任務は事実上希望のないものとなる。しかし祈りによって、また聖書研究によって、そして自分たちの側のまじめな熱意によって、彼らはこの重要な義務において気高く成功することができる。そして彼らのすべての時間と世話とは百倍にも報われるのである。……
 聖書は、教えに富んだ書物であり、これが彼らの教科書となるべきである。……若い人たちの思いに残された印象は、容易に消えることはない。そうであれば、これらの印象が正しい種類のもので、柔軟性のある若い機能を正しい方向へと向けるようなものであることがどれほど重要なことであろうか。(教会への証4巻197, 198)

よろしくお願いいたします。

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