「個人的な献身が必要」

 「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」(コリント第一15:58)


 わたしたちの中に聖霊の感化が大いに必要である。強情な心を砕くことに個人的な働きがなされなければならない。罪の告白へと導く深い心の吟味が必要である。信者は今、心が和らげられ、清められ、砕かれた心で、悔い改めの必要のない悔い改めのうちに、あらゆる罪を告白していなければならない。聖霊は心に神の愛を灯そうと待っているが、それは神への讃美が、真の無我の清い正直な唇から出ることができるためである。聖なる原則が人生を導く時、魂はその単純さのうちに美しいものとなる。
 信仰の祈りの感化は永遠と同じように遠くにまで届く。主は、心をつくしてご自分を求め、へりくだった魂と熱心な目的をもって、キリストの模範に従おうと努力するすべての者を祝福される。このように神性にあずかる者となるために努力する人々に対して、「善を行うことに、うみ疲れてはならない。」「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」とのみ言葉が語られている。神のみ約束をしっかりとつかみつつ、忠実にへりくだって労する者は勝利を得る。全天下の王国の偉大さは、神の忠実な信じる子らに与えられるのである。
 神に対する全存在の個人的な献身と聖化の必要を強く勧めるようにと、わたしは指示された。魂の一人一人に、主よ、キリストの絶えまない警戒がわたしの生活の中に見られるために、わたしがキリストの模範を模倣するために、わたしが暗闇と罪の内にいる魂を助ける真剣な言葉を語ることができるために、あなたはわたしに何をさせようとしておられるのですか、と尋ねさせなさい。……
 一人一人が皆自分のもっている真理を他の人々に分け与える義務のもとにある。何ものにもキリストの僕が自分の光を同胞に輝かせないようにするのを許してはならない。……わたしたちはキリストへ魂を勝ち取る尊い働きをする能力を日々増し加えるべきである。これこそ尊い働き、やりがいのある働きである。そして全天は、欠乏している魂を回復し力づけるためにそれを通して天の油を注ぐことのできる通路を待っている。主は、ご自身の満ち満ちた神の完全がその唇から恵み溢れる讃美として流れる人々、人を祝福するために、愛と神の愛の行為を通して労する人々を守り導かれる。そのような働き人は神のために自らを捧げる者となる。
 天の恵みの精神をあなたの魂に持ち込み、あなたの経験に持ち込みなさいと、わたしはあらゆる信者に言いたい。これはキリストの品性のしるしである。……そして、奉仕に対するあなたの報いはあなた自身の生涯にキリストの優しい精神の反映が見出されるのである。(レビュー・アンド・ヘラルド1909年2月25日)

よろしくお願いいたします。

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