「キリストと御父が一つであられるように一つになりなさい」

 「わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。」(ヨハネ17:11)


 わたしたちはどこで純潔と善を見つけるのだろうか。どこで手に入れるのであろうか。狼が入って来ないおりはどこにあるのだろうか。あなたがたにお伝えするが、……主はご自分がそれを通して働かれる組織された体を持っておられる。その中には六十人以上のユダがいるかもしれない。試練の状況のもとで主を否定する思慮のないペテロがいるかもしれない。イエスが愛されたヨハネに代表される人々がいるかもしれない。がその人はキリストと真理に対する侮辱に仕返しをするために、天から火を呼び求めることによって、人の生命を滅ぼそうとする熱心さを持っているかもしれない。しかし偉大な教師であられるお方はこのように存在している悪を正すために訓戒の教訓を与えようと努めておられる。このお方は今日もご自分の教会に同じことをなし、彼らの危険を指摘しておられる。このお方は彼らの前にラオデキヤのメッセージを提示しておられる。
 キリストは教会員に利己心や自尊心、自己高揚、不信心、また偏見をすべて示される。真理に抵抗し、真の光から離れるよう導くこれらの精神を心に持ち続ける人々は危険であり、このような考えを悔い改めないかぎり、ユダヤ国民がそうであったように、闇の中に取り残されるであろう。一人一人がみな今キリストの祈りに応じようと努力しよう。一人一人がみな思いの中で、願いの中で、熱心な勧めの中でその祈りを繰り返そう。それは、キリストが御父と一つであるように、彼らも一つとなり、この終りの時に働くことができるためである。わたしたち自身の地位の中で、戦いの武器を変える場所の中で、彼らに神と真理の敵にそむかせよう。「聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。……わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。」というキリストの祈りを一人一人がみな真心を込めて繰り返そう(ヨハネ17:11〜15)。……
 心の扉が聖霊に向かって開かれなければならない。なぜならこれが聖別させるものであり、真理は媒体だからである。真理がイエスの内にあるように、一人一人の心の内に受け入れられなければならない。「あなたの御言は真理であります」というこれだけが本物の聖化である。ああ、「わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。」という一つになるためのキリストの祈りを読みなさい。キリストの祈りは現在そのお方の弟子である者のためばかりではなく、世の終りまでも、キリストの弟子の言葉を通してキリストを信じるすべての人々のためである……。
 主は、その日から現代に至るまで時代のあらゆる変化する状況のもとで一つの教会を持っておられる。……聖書はわたしたちの前に手本となる教会を示している。その教会員は互いに、また神と一つにならねばならない。信者が生きているぶどうの木であるキリストと一致する時、結果として彼らはあわれみと優しさと愛に満ち溢れたキリストと一つになる。(原稿21, 1893年

よろしくお願いいたします。

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