「教会を聖化し、清められるキリストのご目的」


 「こういうわけで、わたしはひざをかがめて、天上にあり地上にあって『父』と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように」(エペソ3:14〜16)


 このお方[キリスト]は、「天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」と宣言なさる。この無限の力を主張するのがわたしたちの特権である。神の栄光がこのお方のご品性である。モーセは山にいた間、神に熱心に嘆願して、祈った。「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。これに答えて神は、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう」と宣言なさった。……
 神の栄光――このお方のご品性――がそのときに表された。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者」。
 このご品性がキリストのご生涯に表された。このお方はご自身の模範によって、肉にあって罪を責めることがおできになるために、ご自身の上に罪深い肉の様をとられた。絶えずこのお方は神のご品性を眺めておられた。そして、絶えずこのお方は世にこのご品性を表しておられた。
 キリストはご自分に従う者たちが、自分たちの生涯において、この同じ品性をあらわすことを望んでおられる。……
 今日、「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるため」に、「水で洗うことにより、言葉によって」、教会をきよめて、聖化するというのがこのお方のご目的である。……キリストがご自分を信じる人々に授けて下さるようにと御父に求めることができるもので、ご自分が表されたご品性以上に大きな賜物はない。このお方のご要求には何という大きさがあることであろう!キリストに従うすべての人には何という満ち満ちた恵みを受ける特権があることであろう!
 神はご自分のご品性を正確に代表する人々と共に働かれる。彼らを通して、このお方の御旨が天で行われるように、地上でも行われる。聖潔を自分のものとしている人は、それによりあらゆる良いわざを行って実を結ぶ人となる。キリストのうちにある思いをもつ人は、決して良いわざを行うことにうみ疲れることがない。この世の生涯において昇進することを期待する代わりに、彼は天の大能者が聖化された人々をご自分の御座にまで高めてくださる時を待ち望んでいる。……
 ああ、キリストがわたしたちに授けてくださる誉れをもっと十分に正しく評価することができればよいのだが!このお方のくびきを負い、このお方から学ぶことによって、わたしたちは志と、柔和と、心の低さと、品性のかぐわしさにおいてこのお方に似た者となり、そして神を最高のお方として賛美と誉れと栄光を帰することにおいてこのお方と一つになるのである。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1902年9月3日)

よろしくお願いいたします。

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