2011年第3期教課「イエスの生涯、働き、教え」(II) 第1課

SABBATH SCHOOL
LESSONS

for the Second Half 2011

LIFE, WORK, AND
TEACHINGS OF JESUS – II




Issued by
General Conference
International Missionary Society
Seventh-day Adventist Church
Reform Movement

625 West Avenue
Cedartown, GA 30125
USA

Telephone (+1) 770-748-0077 / Fax (+1) 770-748-0095
Email imssdarmgc@yahoo.com
www.ims1914.org

まえがき
 

 2009年の前半の教課でわたしたちは、イエスの生涯、働き、教えについて学び始めました。しかし、六カ月の学びは、この課題の研究から得られる祝福の一部に過ぎませんでした。見い出されるべき尊い教えはたくさんあります。わたしたちは今、この課題をさらに深く学ぶ機会が与えられました。
 今日、人々は本や新聞、雑誌、またインターネットなどを通して莫大な量の情報を読むことができます。さらにラジオ、テレビ、携帯電話、また他のメディアによるニュースがあります。声、記録、思想が非常に多くあるので、すべてを覚えることはほとんど無理です。しかし、人はそのような情報からどのような祝福を得ることができるでしょうか。ほとんどの場合、放送の終わりに人が唯一結論付けることができることは、そこには祝福がなかったということです。もっと悪いことは、その影響が思いと心と精神にとってマイナスだったということです。
 「良き知らせ」という意味である福音は、そうではありません。それはイエス・キリストによる救いの良き知らせです。ある日イエスはご自分の弟子たちに、他の人々と同じようにご自分から離れていくかどうかを尋ねられました。シモン・ペテロの応答は、彼らがこのお方の生涯と使命に何の疑いも持っていなかったということを示しました。「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです」(ヨハネ6:68)。そして彼らは、このお方に従い、彼らの生涯の間いつもこのお方の証人であり続けました。「……良い報告、悪い報告を通して、暗闇を通して、サタンの手下の敵意を通して、義の太陽は静かに輝き続け、悪を探し出し、罪を抑え、へりくだって心のくだけた者の霊を生かしてきた。『主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。』」―牧師と福音宣伝者への証p284
 「魂を高めることができるのは神の恵みの福音だけである。み子のうちにあらわされている神の愛について瞑想するとき、ほかのどんなことによるよりも、心が動かされ、魂の能力が呼び起される。キリストは、人間のうちに神のみかたちを再創造するためにおいでになった。……」各時代の希望中巻275
 「福音の栄光は、絶えず慈悲を示すことによって、堕落した人類に神のみ姿を回復するという原則に基づいている。この働きは天の宮廷で始められた。そこで神は人を愛されるその間違えようのない愛の証拠を与えられた。このお方は『そのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』(ヨハネ3:16)。キリストという賜物は、御父の心を明らかにしている。それはわたしたちの贖いを始められたお方が、ご自分の働きを完成するために必要なものは、どんなに大切なものであっても、何も出し惜しみされることがなかったということを証している。」―管理者への勧告p14
 救い主のメッセージの力は、ご自分の弟子たちだけでなく、このお方と何の関係も持っていなかった者たちも認めました。イエスを捕らえるために送られた宮の役人は、このお方の友ではありませんでした。しかしこのお方の並はずれたメッセージを聞いた後、彼らはこのお方に対して偏見を持っていなかったので、このお方の教えの清さと力を証言せざるをえなかったのです。そしてこのお方を捕らえるようにとの命令を実行する代わりに、彼らは戻って「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」と言ったのです(ヨハネ7:46)。わたしたちはこのお方についてそのような確信を持っているでしょうか。
 「聖書を通して神と会話し、光を求めて祈り、自分の心の扉を救い主に開く魂は、悪い想像や世俗的企みがなく、またどんな方法によっても誉れや名声を熱望することがない。隠された宝を探すように真理を探す者は、神と人との伝達手段、すなわちこのお方のみ言葉の内にそれを見出す。……人が、主が贖われた者たちが歩くように置かれた道に進み、イエス・キリストを個人的救い主として受け入れる時、彼は命のパンを食べる。み言葉は霊であり命であり、もしそれが日毎の習慣に取り入れられるなら、それは人の全性質を気高くする。彼の魂には霊感の筆によって描かれた救い主の愛の光景が開かれるので、彼の心は優しさと悔恨の内に溶けるのである。」―医事伝道p124
 個人的に主は次のように断言されました。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」(ヨハネ6:63; マタイ24:35)そしてわたしたちが福音書にそれを読む時、わたしたちは驚くのです。これはわたしたちがこれから半年の間、わたしたちの霊的食物として食べる天来のマナです。
 この学びは、霊的食物を渇望しているすべての者のための素晴らしい機会です。
 わたしたちすべての者がそれを喜ぶことができますように。わたしたちが熟考することがわたしたちの現在また永遠に渡る経験と生涯の一部となりますようにお祈り致します。

世界総会の兄弟姉妹



エスの生涯、働き、教え(II)
LIFE, WORK, AND TEACHINGS OF JESUS – II


目次
まえがき

第1課   真の兄弟
第2課   和解
第3課   バプテスマのヨハネの最後の使命
第4課   平和を与えられるお方
第5課   嵐を静められる
第6課   触れることによって癒される
第7課   宣教師として働く
第8課   群衆のための食物
第9課   水の上を歩かれる
第10課  命のパン
第11課  良心を清められる
第12課  異教徒の女の信仰
第13課  信仰よりしるしが先か

ボリビアからの伝道報告


特別安息日学校献金トーゴのために捧げられます。
あなたの献金を愛と感謝の表現として捧げることを覚えて下さい。


第1課 真の兄弟 



 「魂がキリストに屈服するとき、新しい力が新しい心を占領する。人が自分自身ではなしとげることのできない変化が行われる。それは超自然の働きであって、人の性質に超自然の要素をもたらす。キリストに屈服した魂は、キリストご自身のとりでとなり、キリストはそれをそむいた世の中に保たれる。キリストはその中でご自身の権威よりほかの権威がみとめられないように望まれる。このように天の勢力によって占領された魂はサタンの攻撃に攻め落されることがない。」―各時代の希望中巻p41


 エスが共に生活された兄弟たち


1.ナザレでは、イエスの家族について何がよく知られていましたか。聖書はイエスの兄弟たちについて何と述べていますか(マタイ13:55, 56)。


 「ヨセフの息子たちはイエスの兄弟と呼ばれていたが、彼らはラビたちの味方であった。彼らは、言い伝えがあたかも神の規則でもあるかのように、これに注意すべきであると言い張った。彼らはまた人の教えを神のみことばよりもとうといものにみなすことさえし、イエスが虚偽と真実との区別をはっきりと見とおされるのにいらだった。彼らは、イエスが神の律法に厳格に従われるのを頑固(がんこ)だと言って非難した。……
 こういうことがすべてイエスの兄弟たちを不快にした。彼らはイエスよりも年上だったので、イエスが彼らのさしずに従うべきだと考えた。彼らはイエスが彼らに対して優越感を持っておられると言って非難し、また民の教師たち、祭司たち、役人たちよりもお高いといって責めた。たびたび彼らはイエスをおどし、脅迫しようとした。だがイエスは聖書を道案内として進んで行かれた。……
 マリヤは、心の中では自分の生んだ聖なるみ子が長年約束されていたメシヤであることを信じていたが、その信仰をあえて表明しようとはしなかった。イエスの地上生涯の間じゅう、彼女はイエスと苦難を共にした。彼女はイエスが子供時代と青年時代に受けられた試練を、心を痛めながら目に見た。」―各時代の希望上巻p84-86,90


2.公生涯の間、イエスはご自分の兄弟たちがご自分の弟子たちに加わる喜びを味わいましたか。彼らはこのお方の偉大な働きを見ましたが、彼らはこのお方の聖なる使命を信じましたか(ヨハネ7:3-5; 2:12)。


 「神のみ子は、福音に対する敵意が人の心に燃えあがってきたのを鋭く感じられたが、それを家庭において感ずることは特に苦痛であった。それはイエスご自身の心が親切と愛に満ち、家族の者の間におけるやさしい心づかいを高く評価しておられたからである。イエスの兄弟たちは、イエスが彼らの考えに譲歩されるように望んだが、そのような行動をとることは、イエスの天来の使命と全然一致しないのであった。彼らは、イエスが自分たちの助言を必要としておられると考えた。 彼らは、人間的な見地からイエスを判断し、もしイエスが律法学者たちとパリサイ人たちに受け入れられるようなことだけを語られたら、彼のみことばから引き起される不愉快な論争が避けられると思った。イエスが神の権威を主張し、ラビたちの罪の譴責者として彼らの前に立たれるとは余りに思いあがっていると彼らは思った。彼らは、パリサイ人たちがイエスを訴える機会をねらっていることを知っており、またイエスが彼らにその十分な機会を与えられたと思った。……
 イエスの兄弟たちはイエスが神からつかわされたおかたであると信じなかったので、マリヤは時々イエスと兄弟たちの間にあって迷うことがあった。しかしイエスが神のみ子であるという証拠は十分にあった。」―各時代の希望中巻p43,44上巻90


 わたしの兄弟とは誰のことか


3.イエスのところに来たにもかかわらず、誰が群衆のためにこのお方に近づくことができませんでしたか(ルカ8:19, 20)。


 「キリストはたえまない働きとラビの敵意や偽りの教えとの戦いによって、全く疲れはて、彼の母や兄弟また弟子たちでさえも彼の生命が犠牲になりはしないかとおそれた。」―ミニストリー・オブ・ヒーリング31
 「ヨセフの息子たちは、イエスの働きにすこしも共鳴を示さなかった。イエスの生活と働きについてのうわさが耳にはいると、彼らは驚きとろうばいに満たされた。彼らは、イエスが夜どおし祈りに没頭しておられることや、昼は大群衆にとりかこまれて、食事をされる時間さえないことを聞いた。イエスの友人たちは、イエスがたえまない働きのために疲れはてておられると思った。彼らは、パリサイ人に対するイエスの態度をどう説明したらよいかわからなかった。中にはイエスの理性が動揺してきたのではないかと心配する者さえあった。
 イエスの兄弟たちはそのことを耳にし、またパリサイ人たちが、イエスはサタンの力によって悪鬼を追い出されたと非難するのも聞いた。彼らはイエスと肉親関係にあるために、自分たちによせられる非難をするどく感じた。」―各時代の希望中巻p37


4.イエスはご自分の母と兄弟がご自分に会いに来たという知らせにどのように応じられましたか(マタイ12:48)。このお方はなぜそのように答えられたのですか。


 「イエスがまだ人々に教えておられると、イエスの母と兄弟たちが外にいて会いたがっているということづけを弟子たちが伝えた。イエスは彼らの心のうちにあるものを知っておられたので、「イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、『わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか』。そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、『ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである』」(マタイ12:48〜50)。……
 もし彼らがイエスを天からくだられたおかたとして信じ、イエスと協力して神のみわざをなしたのだったら、この地上の肉親関係はどんなにかキリストの支えとなっていたことだろう。彼らの不信はイエスの地上生涯に暗い影を投げた。それは、イエスがわれわれのために飲みほされたあの苦悩のさかずきのにがさの一部分であった。」―各時代の希望中巻p43


 わたしの兄弟をごらんなさい



5.イエスは誰をご自分の真の兄弟と認められましたか(マタイ12:49)。



個人的な質問:あなたは霊的関係が、家族関係よりももっと親密だということに気がつきましたか。あなたはこれを個人的経験においてどのように理解しますか。


 「信仰によってキリストを受け入れる者はみな人間の血肉関係よりももっと密接なきずなによってキリストにむすばれた。キリストが天父と一つであられたように、彼らもキリストと一つになるのであった。イエスの母は、イエスのみことばを信じ、これを行う者として、イエスとの間に肉親関係よりももっと近い霊的なつながりをもっていた。イエスの兄弟たちは、イエスを自分自身の救い主として受け入れないかぎり、兄弟という関係だけでは何の益も受けないのであった。」―各時代の希望中巻p43


6.何が人をイエスの本当の兄弟姉妹、また母としますか(マタイ12:50)。あなたは霊的兄弟姉妹を持つことをどれほど高く評価していますか(箴言18:24)。


 「キリストはみ座をとりまいている天の住民を愛される。しかし主がわれわれを愛されたその大きな愛は何によって説明することができるだろう。われわれはその愛を理解することができないが、しかし自分自身の経験において、その愛の真実なことを知ることができる。だからもしわれわれがキリストとの近親関係を保っているならば、われわれは主の兄弟姉妹である人々をどんなにかやさしい気持でみなければならないことだろう。われわれはわれわれと天との関係に要求されているところをすみやかにみとめるべきではないだろうか。神の家族の一員となった以上、われわれは天の父とわれわれの肉親の者たちをあがめるべきではないだろうか。」―各時代の希望中巻p46


7.イエスの死後、また復活と昇天の後、どのような大きな変化がイエスの兄弟の内に起こりましたか(使徒行伝1:14; マタイ28:10; ガラテヤ1:18, 19)。



熟考問題:もしわたしたちの家族が今日メッセージを信じ受け入れていないとしたら、この事実はどのような教訓をわたしたちに伝えていますか。



 「人々の目をめくらにし、心をかたくなにするのは神ではない。神は彼らのあやまちを正し、彼らを安全な道にみちびくために光をお送りになる。目がめくらになり、心がかたくなになるのは、この光をこばむからである。この過程は徐々でほとんど気がつかない場合が多い。光は、神のみことばを通し、神のしもべたちを通し、あるいはみたまの直接の働きによって魂にのぞむ。だが一すじの光が無視されると、霊的知覚力が部分的に麻痺し、次に光があらわされたとき、それは前ほどはっきりみとめられなくなる。こうして暗さが増し、ついには魂に夜がおとずれる。これらのユダヤ人指導者たちがそのとおりだった。彼らはキリストに神の力が伴っていることを自覚させられたが、真理に抵抗するために、聖霊の働きをサタンのせいにした。こうすることによって彼らは故意に欺瞞をえらんだのである。彼らはサタンに屈服したので、それからはサタンの力に支配された。」―各時代の希望中巻p39,40

瞑想のために

 「キリストのために苦しみを受け、自分の家庭においてさえ誤解と疑惑に耐え忍ばねばならない者は、イエスも同じことに耐えられたのだと思うことによって慰められる。イエスは、彼らに対してあわれみの心を動かされる。イエスは彼らに、イエスを友とし、イエスが経験されたように、天父とのまじわりのうちに心の休みをみいだすようにと命じられる。
 キリストを自分自身の救い主として受け入れる者は、みなし子としてとり残され、ひとりで人生の試練に耐えねばならないようなことはない。キリストは彼らを天の家族の一員として受け入れてくださる。キリストは、ご自分の父を彼らの父として呼ぶように命じておられる。彼らは神の心にとって愛する子供たちであり、最もやさしく、いつまでも変らないきずなによって神にむすばれているのである。神性が人性よりもすぐれているように、神は、父や母が無力なわれわれに対して感じたよりもはるかにまさったやさしさを彼らに対して感じておられる。」―各時代の希望中巻p45

もっと詳しい研究のために

・ 各時代の希望上巻p 81-93,中巻p 37-46

・ 教課を学んだ後、以下の聖句に鍵となる言葉を埋めなさい。

 「イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、『わたしの  とは、だれのことか。わたしの   とは、だれのことか』。そして、弟子たちの方に 手をさし伸べて言われた、『ごらんなさい。ここにわたしの、   わたしの   がいる。』」