2011年第3期 2課「和解」


和解


 「キリストの弟子たちへの最後の戒めの一つは、『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい』ということである。わたしたちは、この戒めに従っているであろうか、それとも、世知にたけたクリスチャンらしくない性質をあらわしているであろうか。もし何かの点で、他人の心を痛め、傷つけたならば、その過失を告白して、和解を求めなければならない。これは、信仰をもって神の祝福を求めつつ神のみ前に出るためにしなければならない準備である。」―キリストの実物教訓p121 


誤りは人を傷つける


1.人性の典型的な弱さを考慮すると、他の人々との関係においてどのようなことが起こり得ますか。これは、わたしたちの間違いや、他の人々の間違いを軽くあしらう理由になりますか。わたしたちは自分たちの振る舞いにおいて何を常に覚えているべきですか(ルカ17:1, 2)。


 「これ以上強いことばがないほどの強さで、この真剣なことばが語られたのはなぜだろうか。それは、『人の子は、滅びる者を救うために』こられたからである(マタイ18:11)。キリストの弟子たちは、同胞の魂に対して、天の君が示されたよりも低い関心を示してよいだろうか。どの魂にも無限の価が払われているのである。ひとりの魂をキリストから離れさせ、その結果、救い主の愛と屈辱と苦悩とがむだになるとは、何という恐ろしい罪であろう。」―各時代の希望中巻p217
2. わたしたちが怒ったり、不快感を与える言葉を使ったりする時、わたしたちはどのような危険にいますか(マタイ5:21, 22)。


 「キリストに従っている者たちの中にさえ、正当な憤りというものがあるのは事実である。神がけがされたり、神のご用について悪口がいわれたり、何の罪もないものが虐待されたりするのを見たり聞いたりすると、正義の憤りが魂を動かす。感じ易い道徳心から生ずるこのような怒りは罪ではない。しかし挑発と思われるようなことをされたら、怒りや恨みをほしいままにしてもかまわないと思う人は、サタンに向かって心を開いているのである。天と調和したければ、魂から冷酷さと憎しみとを追い出さねばならない。」―各時代の希望中巻p18,19
「神の律法は、外見上の行為と同様、感情と動機にまで及ぶ。それは、以前、暗闇に埋められた者に光を投げ、心の秘密を明かす。神はすべての考え、すべての目的、すべての計画、すべての動機を知っておられる。天の書は、機会があれば犯したであろう罪までも記録する。神はあらゆる秘密の事柄と一緒に、すべての行為を裁かれる。律法により、神はすべての人の品性を吟味なさる。」―(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1901年7月31日)SDAバイブル・コメンタリー5巻p1085




不正なことをされた場合


3.神の子は他の人々が自分の感情を害する時、どのような原則に従いますか(レビ記19:16, 17; マタイ18:15, 上句)。



 「親が、特に母親たちが、神から任された重要な、責任のある仕事に対して正しい観念を持つとき、自分に関わりのない、隣人の事のために忙しくなることはない。彼女たちは家を戸ごとに訪問して、隣人の欠点や過ちや矛盾についてくどくど話し、社交界のうわさ話にふけることはない。彼女たちは自分の子供の養育に対して大きな重荷を感じるため、隣人を非難する時間を見つけることができない。うわさ話や情報を伝える者たちは、隣人や教会にとって恐ろしい呪いである。教会のすべての試練の三分の二はここから起こるのである。」―教会への証2巻p465
 「キリストの牧師たちは、起き上がり、全力を尽くして神の働きに従事すべきである。神のしもべは、鋭い証を拒否する時、その罪から免れることはない。彼らは過ちを譴責し叱責すべきであり、兄弟の罪をそのままにしてはならない。」―教会への証1巻p213, 214



4.不正なことをされた場合における和解について、イエスはなんと教えられましたか(ルカ17:3)。



個人的な質問: あなたは他の人々に対する自分の過ちと不正を見てどれほど早く認めますか。


 「……しかし罪は、軽く考えてはならない。主は兄弟が悪をなすままに放任しておかないようにとわたしたちに命じておられる。『もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい』と主は言われた(ルカ17:3)。罪は罪として呼ばれるべきである。そして悪を行なう者の前に、はっきりとそれを示さなければならない。……
 もしクリスチャンが兄弟から不正なことをされた場合、……彼はキリストがお与えになった教訓に従うべきである。復讐しようとするのではなく、その兄弟を救うことを求めるべきである。神は、神を愛し、おそれる者の権益をお守りくださる。わたしたちは確信をもって正しくおさばきになるお方に、問題をゆだねることができる。」―キリストの実物教訓p223,224



直ちに和解する


5.他の人と問題がある時、どのようにしたらすぐに不和を解決することができますか(エペソ 4:26; マタイ5:25, 26)。



 「王座についている者が犯しても、卑しい身分の者が犯しても、罪は罪である。たとえ許しを受けるには遅すぎるとしても、罪を犯した者は皆いずれ告白する日がやってくる。神は罪人が告白するのを待っておられる。神は驚くほどの寛容を示される。」―(原稿147, 1903) SDAバイブル・コメンタリー3巻p1147
 「ある種の人々は、自制心に欠けている。彼らは気質や舌を制御したことがない。また彼らのうちのある者は、キリストに従う者だと言うのだが、そうではない。イエスはこのような模範は残されていない。……ある者たちは神経質で、そそのかされて思いや言葉における自制心を失い始めると、酒で酔った人のように怒りで我を忘れてしまう。彼らは不合理で、なかなか納得させ、説得することができない。彼らは健全ではない。その間サタンが完全にコントロールしている。これらの怒りを表すことはすべて、神経の系統と道徳力を弱め、怒りやその他の挑発を制御するのを困難にする。……
しかし彼らには希望がある。争いと心配でひどい荒れ模様の生活を、キリストに結び付けよう。そうすれば、自己はもはや優位を求める主張をしなくなるであろう。……」―神のむすこ娘 p142


告白と許し


6.もし不正が繰り返され、不正を犯した者がそれを後悔していることを表現し続ける時、彼をどのように扱うべきですか。どのようにしたら人を心から完全に許すことができますか(ルカ17:4; ヨハネ16:7, 8)。


 「くりかえし悪事を行ない、それを行なった者がそのあやまちを告白するとき、害を受けた者はしびれを切らして、これ以上許すことはできないと考えることが、しばしばある。しかし、救い主はわたしたちに誤りを犯した者をどのように取り扱うべきかをはっきりとお語りになった、『もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめな』さい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい」(ルカ17:3)。彼を、信用できないといって退けてはならない。「もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないか」と考えなさい(ガラテヤ6:1)。
 もしあなたの兄弟があやまちを犯すならば、あなたは彼らをゆるすべきである。彼らが告白して来た場合、あなたは、彼らの心が十分砕かれているとは思えないとか、彼らが痛切に告白しているようには思われないとか言ってはならない。人の心のなかまで読んだかのように、彼らをさばく力が、あなたにはあるのだろうか。……
 わたしたち自身、神の無代のたまものの恵みをこうむっている。わたしたちは恵み深い契約によって神の子と定められた。救い主の恵みによってわたしたちはあがなわれて、生まれかわった者となり、キリストと共なる世継ぎにまで高められたのである。この恵みを他の人々にあらわすようにしよう。……」―キリストの実物教訓p224,225



7.もしわたしたちが他の人々に過ちを犯し、自分の過ちを悟る時、わたしたちはどうすべきですか。直ちに何をすべきですか(マタイ5:23, 24)。



 「宗教的な奉仕に熱心でありながら、一方では兄弟たちとの間に和解すべき不幸な不和のある人々が少なくない。神は、全力をつくして一致をとり戻すように彼らに要求しておられる。そうするまで神は 、彼らの奉仕を受け入れることがおできにならない。この問題についてクリスチャンの義務がはっきり指摘されている。」―各時代の希望中巻p19


瞑想のために


 「あやまちを犯したものを失望におとしいれてはならない。……にがにがしい軽べつの心をおこしてはならない。あざけりの調子を声に出してはならない。もしあなたが自分自身のことばを語り、無関心をよそおい、疑いや、不信を示すならば、魂を滅びにおとしいれることになる。あわれみ深い長兄イエスの心をもった人間が彼の心にふれなければならない。心から彼に同情してあたたかく手を握り、いっしょに祈りましょうとささやきかけなければならない。神はあなたがた二人に、豊かな経験をお与えになることであろう。祈りはわたしたちを互いに結びつけ、また、わたしたちと神とを結びつける。祈りはイエスをわたしたちに近づけ疲れ果てて倒れそうな魂に、世と肉と悪魔に勝利する新しい力をもたらす。祈りは、サタンの攻撃をかわすものである。」―キリストの実物教訓p225,226

もっと詳しい研究のために

・ マタイ18:18-35; 教会への証3巻p 428, 429, 450, 451

・ 重要な概念

今課の学びの重要な概念を自分の言葉で述べなさい。

「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼を    。そして    たら、     やりなさい。もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、  がよい。」