2011年第3期 5課「嵐を静められる」

嵐を静められる


 「弟子たちが荒れ狂う嵐を静めることができなかったように、われわれはこの点において、無力である。だがガリラヤの大波に平安を語られたおかたは、どの魂にも平安のことばを語ってこられた。どんなに嵐がはげしくても、イエスに向かって『主よ、助けてください』との叫びをあげる者には救いがある。魂を神にやわらがせてくださるイエスの恩恵によって、人間の欲情との戦いは静まり、心はイエスの愛のうちに休まる。『主があらしを静められると、海の波は穏やかになった。こうして彼らは波の静まったのを喜び、主は彼らをその望む港へ導かれた』(詩篇107:29, 30)。『このように 、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている』。『正義は平和を生じ、正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である』(ローマ5:1; イザヤ32:17)。」―各時代の希望中巻p61


湖での嵐


1.長い一日の後、イエスは弟子たちにどんな指示を与えられましたか(マルコ4:35, 36)。




2.彼らが出た後直ぐに、イエスはどうされましたか。急に何が起こりましたか(ルカ8:23; マルコ4:37)。




 「一日じゅうイエスは人々に教え、病人をいやされた。夕暮が迫ってきても、群衆はなおイエスのまわりにおしよせた。来る日も来る日も、イエスは食事や休息をされるひまもほとんどないくらい人々に奉仕された。パリサイ人たちが、悪意のある批評や偽りの宣伝をもって、たえずイエスにつきまとったことが、イエスの働きを一層きびしく、苦しいものにした。そしていま一日の終りに、イエスは疲れはててしまわれたので、湖を渡って、どこかさびしいところへかくれ場所を求めようと決心された。……
 救い主はおしかけた群衆からやっと解放されると、疲れと空腹のために力がつきはてて舟のともに横たわったまま、すぐに眠ってしまわれた。夜は静かで気持がよく、静けさが湖をおおっていた。しかしにわかに、くらやみが空一面にひろがり、東岸の山の谷間から風がはげしく吹きおろしてきて、すさまじい嵐が湖をおそった。」―各時代の希望中巻p55,56


風と海の支配者


3.状況はどれほど深刻になりましたか。どのような叫びが、弟子たちの恐れを表していましたか(ルカ8:24 上句; マルコ4:38)。



 「太陽はすでに沈み、夜のくらやみが嵐の海にたれこめていた。波はうなり声をあげる風に荒れ狂い、弟子たちの舟に激しくぶつかって、いまにも舟をのみこみそうにみえた。この屈強な漁師たちは、これまで湖で生活し、何度嵐に会っても安全に舟をあやつってきたが、こんどだけは彼らの腕も力も役にたたなかった。彼らは嵐にまきこまれてどうすることもできず、舟に水がたまってくるのを見ると望みが失われてしまった。
 彼らは自分たちのいのちを救うことに熱中していたので、舟の中にイエスがおられることを忘れていた。いま、自分たちの努力がむなしく、目の前にあるのは死だけであることを知ると、彼らはだれの命令で湖の横断に乗り出したかを思い出した。無力と絶望のはてに、彼らは、「主よ、主よ、」と叫んだ。だが濃いくらやみがイエスのお姿を彼らの見えないところにかくしていた。彼らの声は嵐のうなりにのみこまれて、返答がなかった。疑惑と恐怖が彼らをおそった。イエスは自分たちを見捨てられたのだろうか。病気と悪鬼と死をさえ征服されたおかたが、いま弟子たちを助けてくださる力がないのだろうか。困りきっている自分たちを気にかけてくださらないのだろうか。」―各時代の希望中巻p56,58



4.イエスは助けを求める彼らの叫びにどのように応えられましたか。イエスの行動は、このお方の愛と力について何を明らかにしましたか(マルコ4:39; ルカ8:24, 下句)。



 「彼らの叫び声がイエスを起す。いなづまのひらめきがイエスのお姿を照し出すと、そのお顔には天の平安がみられる。彼らはイエスの御目から、無我のやさしい愛を読みとり、心をイエスに向けると、「主よ、お助けください 、わたしたちは死にそうです」と叫ぶ( マタイ8:25)。
この叫びをあげてかえりみられない魂はない。弟子たちが最後の努力をかたむけるためにオールをにぎりしめると、イエスが立ちあがられる。イエスが弟子たちのまん中に立たれると、嵐は荒れ狂い、波が彼らの上にくだけ、いなづまがイエスのお顔を照す。イエスは、これまでも幾度かあわれみの行為に使われたみ手をあげて、荒れ狂う海に、「静まれ、黙れ」と言われる。」―各時代の希望中巻p58,59


第四の獣と小さな角


5.イエスは彼らに何と言われましたか。この緊急時は何を明らかにしましたか(マルコ4:40)。



熟考問題:同じような状況下で、あなたはどのように行動するでしょうか。

「暴風はやみ、大波は静まる。黒雲は消え去り、星が輝き出る。舟は静かな海の上に安定する。するとイエスは、弟子たちに向かって悲しげにこうおたずねになる、『なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか』(マルコ4:40)。」―各時代の希望中巻p59


風と海に命じられる



6.主が風と海に命じられたことへの弟子たちの驚きは、何を示していましたか(マタイ8:27; マルコ4:41; ルカ8:25)。



熟考問題: この経験において、何がわたしたちにとって特別に重要ですか。


 「イエスが信仰によって天父の守りに安んじておられたように、われわれも救い主の守りに安心していることができる。もし弟子たちがイエスに信頼していたら、彼らは平安のうちに守られたのである。彼らは危険な時に恐れたことによって、不信仰をばくろした。自分を救おうと努力しているうちにイエスを忘れたのである。彼らが自分にたよることに絶望してイエスに助けを求めたときにはじめて、イエスは彼らに助けを与えることがおできになった。」−各時代の希望中巻p60



7.主は、実際的な大嵐の他にどのような嵐を制御しようと待っておられますか。そのためには何が必要ですか(エペソ 2:14上句; ヨハネ14:27)。



 「弟子たちの経験がそのままわれわれの経験である場合がどんなに多いことだろう。誘惑の嵐が迫り、はげしいいなづまがひらめき、波がわれわれの上におおいかぶさるとき、われわれは助けてくださることのできるおかたがおられることを忘れて、自分ひとりで嵐と戦う。望みが失われていまにも滅びそうになるまで、われわれは自分自身の力にたよる。そしてそれからイエスのことを思い出す。救ってくださいとイエスに呼び求めるとき、その叫びは無駄にならない。イエスは、われわれの不信と自信を悲しく思って責められるが、必要な助けをお与えにならないことは決してない。陸の上でも、海の上でも、心のうちに救い主を持っているなら、恐れる必要はない。救い主に対する生きた信仰によって、人生の海はおだやかになり、主が最善とごらんになる方法で、われわれは 危険から救われるのである。」−各時代の希望中巻p60


瞑想のために


 「嵐を静めたこの奇跡には、もう一つの霊的教訓がある。どの人の経験も聖書のみことばの真実を立証している。「悪しき者は波の荒い海のようだ。静まることができない……わが神は言われる、『よこしまな者には平安がない』と」……自我を征服しないかぎり平安はない。人間の力では、心の中の支配的な欲情を制することができない。」 ―各時代の希望中巻p61

もっと詳しい研究のために
・ 各時代の希望中巻p55-61

次の聖句を完成しなさい:
「イエスは     て  をしかり、  にむかって、『静まれ、黙れ』と言われると、      で、     なった。」