2011年第3期9課「水の上を歩かれる」

 「日ごとに、神は、ご自分の子らをお教えになる。日常生活の環境を通して、神は、ご自分の子らが神の摂理によって彼らに負わされている一層広い舞台での役割を果すように、彼らを準備しておられる。人生の大危機における勝利か敗北かを決定するのは、毎日の試みの結果である。」―各時代の希望中巻p125


ひとりでの祈りの場所


1.イエスが奇跡的に群衆を養われた後、弟子たちを含めて、ある人々は何をしようとしましたか。それに対するイエスの反応はどうでしたか(ヨハネ6:14, 15)。


 「終日この確信は強まっていった。あの最高のみわざこそ、長い間待望していた救世主がわれわれの中におられる証拠である。人々の望みはだんだん高まっていく。この方こそユダヤをこの世の楽園にし、乳と蜜の流れる地にしてくださるおかたである。彼はあらゆる望みを満足させてくださることができる。彼は憎むべきローマ人の権力を打破することがおできになる。彼はユダとエルサレムを救うことがおできになる。彼は戦いに傷ついた兵士たちをいやすことがおできになる。彼は全軍に食物を補給することがおできになる。彼は諸国を征服し、イスラエルが長い間求めていた主権を与えることがおできになる。
民衆は熱心のあまりいますぐにもイエスを王位につけようとする。彼らは、イエスがご自分に注意をひきつけたり、栄誉を求めたりしようと努力されないのを見る。この点イエスは祭司たちや役人たちと根本的にちがっておられるので、彼らはイエスダビデの位につく権利を主張されないのではないかと恐れる。彼らは相談し合って、イエスをむりやりにおし立て、イスラエルの王として宣言することに一致する。弟子たちも群衆といっしょになって、ダビデの位が彼らの主の正当な嗣業であることを宣言しようとする。キリストがこのような栄誉をこばまれるのは、遠慮のせいだと彼らは言う。民衆に救世主をあがめさせよう。高慢な祭司たちや役人たちにも、神の権威を帯びてこられたイエスを否応なしにあがめさせよう。」―各時代の希望中巻p116,118


2.イエスはその他に何をされましたか(マタイ14:22, 23)。なぜですか。


 「彼らは自分たちの目的を実行する手はずを熱心に進める。だがイエスは、この成り行きをごらんになり、彼らには理解できないが、このような運動の結果がどうなるかを理解される。……イエスは、弟子たちをお呼びになって、民衆を解散させるためにわたしは残るから、あなたがたは舟に乗ってすぐカペナウムヘもどりなさいと命じられる。
 キリストの命令がこれほど実行できないことに思えたことはこれまでになかった。弟子たちは、イエスを王位につける民衆の運動を長い間待ち望んできた。彼らは、このような熱心さがみなむだになってしまうという考えに耐えられなかった。過越節を守るために集まってきている群衆は、この新しい預言者を見たがっていた。キリストに従っている者たちにとって、これこそ愛する主のためにイスラエルの王位を確立する絶好の機会に思えた。この新しい野心が燃えあがっている中を、淋しい岸辺にイエスひとりを残して、自分たちだけで立ち去るのはつらいことだった。……
 ひとりになられると、イエスは『祈るためひそかに山へ登られた』(マタイ14:23)。何時間もイエスは神に嘆願しつづけられた。その祈りはご自分のためではなく、人々のためであった。主はサタンのために人々の理解力がくもり、判断が誤ることのないように、ご自分の使命の天来の性格を人々に示す力が与えられるように祈られた」―各時代の希望中巻p118-120


波との闘い


3.夜が来て海にいた弟子たちに何が起こりましたか(マタイ14:24; マルコ6:47)。彼らはどのような教訓を学ばなければなりませんでしたか。
 「そうしたこと〔その日の祝福〕について、心に満ちあふれるままに語り合っていたら、彼らは試みにおちいるようなことはなかったのである。……彼らは波の立ちさわぐ湖のまん中にいた。彼らの思いもまた荒れて、理性を欠いていたので、主は、彼らの魂を苦しめ、彼らの心を占領するような何かほかのものをお与えになった。人間が自分で重荷と苦労とをつくり出すときに、神はたびたびそういうことをなさる。……
 彼らは不満も不信もいらだっている気持も忘れた。だれもが舟が沈まないように働いた。……明け方の四時になるまで、彼らはほねおって舟をこいだ。それから彼らは疲れ果ててしまってもうだめだとあきらめた。嵐と暗黒の中で、海は彼ら自身の無力を教えたので、彼らは主がいてくださったらと熱望した。
 イエスは彼らをお忘れになっていなかった。陸上で見守っておられるイエスは、恐怖にとりつかれたこの人たちが嵐と戦っているのをごらんになっていた。一瞬間も、イエスは、弟子たちを見失っておられなかった。イエスの目は大事な人たちをのせて嵐にもまれている舟を最も深い心配のうちに追っていた。なぜなら、この人たちは世の光となるのだった。母親がやさしい愛情をもって子供を見守るように、あわれみ深い主は弟子たちを見守っておられた。」―各時代の希望中巻p121-123


4.彼らが波に向かって数マイル漕いだ後に、どなたが海の上を歩いて彼らの近くに来られましたか(ヨハネ6:19; マタイ14:25; マルコ6:48)。


 「彼らが自分の心に打ち勝ち、きよくない野心を征服し、謙遜な気持で助けを祈ったとき、その助けが与えられた。
 彼らがもうだめだと思った瞬間、かすかな光の中に彼らの方へ向かって海の上を近づいてくる一つのふしぎな姿が現われる。しかし彼らにはそれがイエスであることがわからない。」―各時代の希望中巻p123


救い主を見て


5.弟子たちは何を見て恐れましたか。何が彼らの恐れを鎮めましたか(マタイ14:26, 27; マルコ6:49)。


 「自分たちを助けにこられたおかたを、彼らは敵だと思う。彼らは恐怖に圧倒される。鉄のような筋肉でオールをにぎっていた手が離れる。舟は波のまにまに揺れ、全部の目はあわだつ海の白い波頭の上を歩いてくる人間の光景に釘づけにされる。
 彼らはその姿を彼らの滅亡を予告する幻影と考え、恐ろしさのあまり叫び声をあげる。イエスは彼らのそばを通り過ぎられるかのように進んで行かれる。すると彼らは、それがイエスであることをみとめ、大声をあげて助けを懇願する。愛する主はふりかえられ、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』とのお声が彼らの恐怖を静める(マタイ14:27)。」―各時代の希望中巻p123


水の上を歩く


6.ペテロは何を直ちに求めましたか。何が彼の大胆さを恐れに変えましたか(マタイ14:28-31)。


 「イエスをみつめながら、ペテロは安全に歩いて行く。だが自己満足のうちに舟の中の仲間たちの方をちらっとふりかえったとき、彼の目はイエスからそれる。……一瞬キリストの姿がペテロの視界からかくれると、彼の信仰は失われる。ペテロは沈み始める。しかし大波が死と語っている間に、ペテロは荒れ狂う波から目をあげてイエスを見つめ、『主よ、お助けください』と叫ぶ(マタイ14:30)。すぐにイエスは、ペテロのさし出した手をつかんで、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われる (マタイ14:31)。
 ペテロは、主の手につかまりながら並んで歩いて、いっしょに舟の中にはいった。だがペテロはこんどはおとなしくだまっていた。彼は仲間たちに自慢する理由がなかった。不信と高慢のためにあぶなくいのちを失いかけたからである。イエスから目をそらしたとき、彼は足場を失い波のまん中に沈んだのだ。われわれも、苦難におそわれるとき、ペテロのようになることがどんなに多いことだろう。われわれは、目を救い主にそそがないで、波をみつめる。……
試みの嵐のさなかにあって、彼は、まったく自分にたよらずに、救い主によりたのむとき、はじめて安全に歩むことができるのであった。」―各時代の希望中巻p123-125


7.イエスとペテロが船に乗った後に、何が起こりましたか(マタイ14:32, 33; マルコ6:51; ヨハネ6:21)。


 「たえず神によりたのんでいることを認めない者は、試みに負ける。われわれは、自分の足がしっかり立っていて、決して動かされることがないといまは思うかも知れない。わたしは自分が信じたおかたを知っている、何ものも神とそのみことばに対するわたしの信仰をゆり動かすことはできないと、確信をもって言うかも知れない。だがサタンは、われわれの先天的後天的な性格に乗じ、われわれ自身の必要と欠点とをわれわれの目からおおいかくそうとたくらむ。自分自身の弱さをみとめ、イエスにしっかり目をそそぐことによってのみ、われわれは、安全に歩むことができるのである。」―各時代の希望中巻p125


瞑想のために

 「……イエスを見えなくし、人が人を見るようにし、また人を信頼し、人から助けを求めるように教育することがサタンの断固とした目的である。長い間、教会は人に目をやり人に多くを求めたが、わたしたちの永遠の命の望みの中心であるイエスを見上げなかった。……『御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである』。」―牧師への証p93

もっと詳しい研究のために

・ マタイ14:22-33; マルコ6:45-52; ヨハネ6:14-21; 各時代の希望中巻p116-126; 教育 p 90-92

あなたはどう思いますか

・あなたにとって、今課の学びから得るべき最も重要な教訓は何でしたか。
・あなたはこの驚くべき学びからどのような励ましを見出しましたか。

よろしくお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村

Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net