「天の織機で織られた礼服を選ぶ」

 「彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。」(黙示録3:4)

 食事と同様に衣服においても、単純な生活こそ高い思考にとって必要欠くことのできないものであることを青少年たちに認めさせなければならない。学ばなければならないこと、しなければならないことが、どんなにたくさんあるかということや、一生の働きの準備として青少年時代がどんなにとうといものであるかということを、彼らに認めさせなければならない。神のみ言葉である聖書の中に、また自然の書の中に、あるいはまた崇高な人生を送った人々の歴史の中に、大いなる宝があることを彼らに認めさせなければならない。
 彼らの思いはまた、救うことができるかもしれない悩める人々に向けられなければならない。みえを飾るために金銭が浪費されるたびに、それだけ飢えた者に食をあたえ、裸の者に衣をきせ、不幸な人々を慰める費用が失われて行くのだということを彼らに認めさせなければならない。
 彼らは、道理においても気持ちのよさにおいても似つかわしさにおいても、全く根拠のない流行の命令に従うことによって、人生の輝かしい機会を失ったり、知性をいじけさせたり、健康をそこなったり、幸福をだいなしにしたりするようなことがあってはならない。
 同時にまた「神のなされることは皆その時にかなって美しい」という自然の教訓を認めるように青少年たちに教えなければならない。他のすべてのことと同じく、衣服においても創造主の栄えをあらわすことはわれわれの特権である。神はわれわれの服装が清楚で健康的であるばかりでなく、また身体に合った似つかわしいものであることをお望みになる。
 服装によってその人の品性が判断される。洗練された趣味や教養のある知性は、単純で似つかわしい服装の選択にあらわされる。質素で清楚な衣服は、けんそんな態度とあいまって、若い女性を気高い慎み深いふんいきで包み、それは多くの危険から彼女を守るのに非常に役立つのである。
 服装の技術といえば、そこには当然自分で自分の衣服を作る能力が含まれていなければならないことを少女たちに教える必要がある。……それは少女たちにとって欠くことのできない有用と自立への一つの手段である。……
 青少年や幼い子供たちに、天の織機で織られた高貴な衣すなわち地上のすべての聖者たちに着ることを許される「光り輝く、汚れのない麻布の衣」を自分のためにえらぶことを教えるべきである。キリストの汚れのないご品性をあらわすこの衣は、すべての人に無償で与えられる。しかしこの衣を与えられる人はみなこの世において、これを受けとって身につけるのである。
 子供たちが心を開いて、純真な愛の思いを持ち、人の助けとなる愛の行為をするとき、彼らは自らキリストの品性という美しい衣を身につけるのであるということを、教えなければならない。この衣服は、この世において彼らを美しく愛せられる者とし、来世においては、彼らが王なるキリストの宮殿にはいるための資格となるのである。キリストの約束は、「彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である」とある。(教育293〜295)

よろしくお願いいたします。

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