良く選ばれた言葉の喜び

 「人は口から出る好ましい答によって喜びを得る、時にかなった言葉は、いかにも良いものだ。」(箴言15:23)


 「時にかなった言葉は、いかにも良いものだ」。個人的な働きが欠乏しているために、魂は滅びつつある。……
 宗教の明るく快活な面が、日毎に神に献身しているすべての人によって表される。わたしたちが嘆かわしく見える試練を悲しげに物語ることによって、主を辱めてはならない。教育者として受け入れられる試練は皆、喜びを生み出す。健全な宗教生活は向上的で、人を高め、高尚にし、良い言葉と行いに香るものである。……[神は]贖い主の保護の力のうちにすべての魂が勝利を収めることを望んでおられる。
 詩篇記者は言っている。……「み名の栄光を主に帰せよ、聖なる麗しさをもって主を拝め」。……「主をほめうたい、その聖なることを覚えて感謝せよ」。
 わたしたちの天父がわたしたちに与えてこられた恵み深い祝福のうちに、限りない愛と、強情なわが子に対する母親の思慕に勝るやさしい憐れみの数知れない証拠を認めることができる。わたしたちが十字架の光のうちに神のご品性を研究するとき、公平と正義の交じり合った憐れみと優しさと許しを見る。ヨハネの言葉でわたしたちは、「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よ<考えてみなさい」と叫ぶのである。
 わたしたちは王座のただ中に、人を神と、また神を人と和解させるために耐えた苦しみのしるしを手と足と脇に帯びておられるお方を見る。比類なき憐れみは、近寄ることのできない光のうちに住みながら、なおご自分の御子の功績を通してわたしたちをご自分の御許に受け入れてくださる無限の御父を明らかに示す。ただ惨めさと絶望の兆候を示していた復讐の雲は、十字架からの光に反射して、神の筆跡を表している。「生きよ、罪人よ、生きよ!悔い改めて信じる魂よ、生きよ!わたしは贖い代を支払った」。
 わたしたちは十字架の周りに集まらなければならない。キリスト、しかも十字架につけられたキリストが、熟考と、会話と、わたしたちのもっとも喜ばしい感動の主題でなければならない。わたしたちは神から受けたすべてのことをわたしたちの思いの中で生き生きと保ち、そしてこのお方の大いなる愛に対する感謝と、またわたしたちのために十字架にくぎ付けられたみ手にすべてを喜んでお委ねする心を表明することを目的とした特別讃美礼拝を持つべきである。……わたしたちはカナンの言葉を語り、シオンの歌を歌うことを学ぶべきである。十字架の奥義と栄光によってわたしたちは人の価値を測ることができる。そうであれば、わたしたちは人類同胞が神の御座にまで高められるために働く重要性を悟り、感じることであろう。(サザン・ウオッチマン1905年3月7日)


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