「キリストの死によって確立される」
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」(ペテロ第一2:24)
そして、主がダビデの王位につかれると彼ら〔キリストの弟子たち〕が思ったそのときに、彼が罪人として捕えられ、むち打たれ、あざけられ、罪に定められ、カルバリーの十字架につけられるのを彼らは見た。……
弟子たちが主の名によって宣べ伝えたものは、すべての点において正確で、それが指し示すできごとは、その当時でさえ起こりつつあった。「時は満ちた、神の国は近づいた」というのが、彼らのメッセージであった。……彼らが「近づいた」と宣言した「神の国」は、キリストの死によって建設された。この王国は、彼らが信じるように教えられていた地上の帝国ではなかった。また、……「諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う」永遠の王国でもなかった(ダニエル書7:27)。聖書でよく用いられている「神の国」という表現は、恵みの王国と栄光の王国の両方を指すのに用いられている。……
恵みの王国は、人類の堕落後直ちに、罪を犯した人類の贖罪の計画がたてられた時に、設立された。……しかしそれは、キリストが亡くなられるまでは、実際に築かれなかった。救い主は、地上の伝道開始後においても、……カルバリーの犠牲を避けることも可能であった。ゲッセマネにおいて、苦悶の杯は、彼の手の中で震えた。彼は、そのときでも、額から血の汗をぬぐって、罪深い人類を、その罪悪のうちに滅びるままにしておくことがおできになった。……しかし、救い主が、その生命をささげ、「すべてが終った」と叫んで息を引き取られた時、贖罪の計画の完成が確保された。エデンにおいて、罪を犯した二人に対してなされた救いの 約束は、批准された。これまで神の約束によって存在していた恵みの王国が、この時、設立されたのである。
こうして、キリストの死、すなわち、弟子たちの希望を最終的に打ち砕いたと思われた事件そのものが、それを永遠に確かなものとした。……彼らを悲嘆と失望に陥れた事件は、……あらゆる時代の、神のすべての忠実な民に、来世と永遠の幸福をもたらす中心事件であった。(各時代の大争闘下巻38-41)
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