SDAと宗教統一運動13

6.ハンガリー
 ハンガリーバプテスト教会の新聞は、セブンスデー・アドペンチスト教会が、キリスト教自由教会協議会に属している教会であると伝えている。またこの新聞は、ハンガリーの代表者たちがソ連に公式に訪問したと伝えた。その記事によれば、この代表団には、セブンスデー・アドベンチスト教会の総理であり、自由教会協議会の副会長でもあるスザカク氏も含まれていると伝えている。その記事は次の通りである。
  「共通の信仰の力」 「ハンガリー教会の代表者たちのソ連訪問についての報告は以下の通りである。
 ソ連バプテスト教会の連合部会の指導者たちは、ハンガリーバプテスト教会だけでなく、キリスト教自由教会協議会からも、7月13日から28日まで公式に訪問するように招いた。招待を受けた代表者たちは次の通りである。
 ナショナル・バプテスト教会の会長であり、バプテスト教会世界教会協議会の副会長でもあるラクソブスキ・ジャノス氏、セブンスデー・アドベンチスト教会の総理であり、自由教会協議会の副会長でもあるスザカク・ジョセフ氏、バプテスト教会神学者であり、ハンガリーキリスト教教会協議会の書記でもあるナジ・ジョセフ氏・・・・。
 あらゆる行事に対して、私たちはハンガリーバプテスト教会ハンガリーの自由教会協議会に加入した諸教会の兄弟たちに深く感謝の意を表わした。
会衆と諸教会の指導者たちは、真の愛をもって私たちの感謝の意を受け入れた。
私たち(代表者たち)は、バプテスト教会セブンスデー・アドベンチスト教会の代表者たちと真剣に話し合う機会を持ち、私たちは異なった信仰の原則をお互いに尊重しながら、共に働く方法について論議した。 ・・ ・
 セブンスデー・アドペンチスト教会のスザカク・ジョセフ牧師は特別に訪問期間の間に、セブンスデー・アドべンチスト教会の総理であり、自由教会協議会の副会長でもある自分が、兄弟たちからいただいた愛に対して深く感謝の意を表わした。またセブンスデー・アドベンチスト教会の代表者たちと、他の信徒たちとも会うように用意して下さった兄弟たちの適切な助けに対しても感謝の意を表わした。代表者たちは皆、セブンスデー・アドペンチスト教会のあらゆる行事に協力してくれた。
 私たちは多くの豊かな祝福に恵まれ、お互いに共通の信仰とあかしを通して豊かに恵まれるという希望をもって、すべての訪問日程を終えた。」-Bekehirnok[Hungarian Baptest paper]。
 福音宣伝者ビリー・グラハム氏はハンガリーで開催される十字軍の集会に出席するように招かれた。ビリー・グラハム氏の訪問はビリー・グラハム氏とハンガリーの自由教会協議会の議長であるサンドル・パロトイ牧師との共同名義で発表された。サンドル・パロトイ氏は、米国で開催されたバプテスト教会世界教会協議会の世界総会の集会の時に、ビリー・グラハム氏に招待の意向を伝えた。彼自身セブンスデー・アドベンチスト教会の牧師であるサンドル・パロトイ氏は、ハンガリーで福音を伝えている8個の諸教団を代表している。」-Southern Tidings[Official organ of the Southern union]、1977,9月
 「ビリー・グラハム氏の訪問は、・・・自由教会協議会、バプテスト教会協議会、ペンテコステ教会メソジスト教会セブンスデー・アドベンチスト教会、またその他の教団によって後援された。」-Religious News Service[USA]、1977年10月14日.
 ハンガリーのSDA教会と20年間交わっていた人による、1984年初期の報告書である「夜回りよ、今は夜のなんどきですか?」という会報27号に載せられた記事は次のように伝えている。「1957年ハンガリーのセブンスデー・アドペンチスト教会は、ハンガリーにあるプロテスタントのそれぞれの教会をーつにまとめるために組織された自由教会協議会の一員となった。
 この組織の中にはハンガリーのほとんどすべてのプロテスタント教団が加入しているのである。 ・・・・1965年諸教会の組織である自由教会協議会は、教会の宗教一致運動協議会に加盟した。その中にはセブンスデー・アドペンチスト教会も含まれている。一つの規定として、現在の自由教会協議会の会長は、教会の宗教一致運動協議会の副会長の職も兼ねているSDAのパロトイ氏の急死によって、自由教会協議会スザカクス・ジョセフ氏が彼の後継者となり、彼はその時ハンガリーセブンスデー・アドベンチスト教会の連合部会の総理であった。自由教会協議会のー員となるという意味は、加入した諸教団は諸献金を教会協議会にささげ、一つの神学院を設立し、神学院で同じ訓練を受け、たとえ確かな聖書の原則に違反しても、徹底的な福音伝道と、諸献金の問題と宣教事業について、自由教会協議会の規則と規律に従わなければならないということである。真の再臨信徒は、このすべてのことがどこに向かって進んでいるかを見ていたが、それは、束縛もなく開放されたもっと自由な生活の形態と、雑婚を認め、離婚、世俗化が目立つ一方、他方では、漸進的な統制と子供や青年たちに対する可能なあらゆる計画を捨て、狡猾に麻痺させること、また文書伝道や、その他の福音伝道活動を妨げることであった。 
 ・・・事態はさらに悪くなり、忠実な牧師たちと青年たちと壮年たちはみな共に泣き、断食し、昼夜祈るために多くの時間を費やした。彼らはこのような堕落を防ごうと決心した。 1965年、彼らはその決意を行動に移した。彼らは声高く叫び、抵抗した。その結果6人の牧師は免職され、300人の教会員は除名された。 ・・・
 SDA教会の世界総会の指導者たちにこの状況についての知らせがはっきりと報告されたが、・・・1984年1月26日、彼らは不信と悪い結果をそのまま是認した。ではその背景にある理由は何であったのであろうか?
 ブダペストの有名な日刊紙は、1984年1月SDA教会に起きた出来事について次のように発表した。
  「セブンスデー・アドベンチスト教会の世界総会の総理N.C.ウィルッツ氏は、ハンガリー教会の総理であるデネス・ザルカ氏と、またそれぞれの遂行員たちと共に、政府の高官の教会関係担当部長であるイムレ・ミクロス氏を訪問した。この出会いでN.Cウィルソン氏とデネス・ザルカ氏はハンガリー教会に起きた分離の問題についての解決策をイムレ・ミクロス氏に報告した。
 N.Cウィルソン氏は、SDA教会の世界組織は、他の国家も同様であるが、ただーつの教会の組織と、総会によって選ばれた者と、また政府が認めている組織だけを認定していると語った。
 N.C.ウィルソン氏は、教会に対するハンガリー政府の有用な配慮について感謝の意をあらわし、ハンガリーの高い水準の宗教自由についても同様な感謝の意をあらわした。J -Nepszabadsag[Hungarian newspaper]1984年1月31日
 では、教会に起きた堕落を見て、「嘆き悲しむ」心の正しい再臨信徒たちはどうなったのだろうか?彼らは除名された。私たちが前に引用した報告書は次の通りである。
 「この8年の間、1、400人のハンガリーのアドベンチストたちは生き残るために最近直ちに除名されたその教会(セブンスデー・アドベンチスト教会)にとどまることができるように、熱心に努力している。」

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