「飢え渇いている人たちのために」

 「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」(マタイ5:6)

 「あなたが、あなたのために用意されている恵みと力の豊かな供給を想像することができればよいのに。義に飢え渇く者は満たされる。わたしたちは、すべての必要な祝福を求めるにあたって、もっと大きな信仰を働かせなければならない。」(教会への証5巻17)
 「神に祈ることによって得た力は、思いを心遣いと思いやりに向けるように訓練する個人的努力と一つになり、日常の義務を果たす準備ができ、どのような耐えがたい状況においてさえ、すべての状況において精神を平静に保つのである。わたしたちは毎日誘惑にさらされているので、祈りが必要である。信仰を通して神の力によって守ってもらうためには、助けと光と力と知恵を求める心の願いがたえず無言の祈りとなって天へのぼって行かなければならない。思いと祈りは、熱心に忠実に時間を活用することの代わりにはならない。働きと祈りの両方が、クリスチャン品性を完成するために必要である。
 わたしたちは二重の生活をしなければならない。すなわち考えと行動の生活と祈りの熱心な働きの生活である。……神はわたしたちがすべての人に知られかつ読まれる生きた手紙になることを求められる。日毎の熱心な祈りによって強さと支えと力を求めて神に向かう魂は、高尚な大望と真理と義務のはっきりした理解力、行動の気高い目的を持ち、義に対して絶えず飢え渇くのである。」(教会への証4巻459,460)
 「人性の弱さを実感して、人は自らの自己満足によって失敗することを悟ろうではないか。その時、神が我々に望んでおられること、すなわち純潔かつ高潔、また清められたものになりたいとの思いで満たされるのである。わたしたちはキリストの義を渇望するであろう。神のようになることが、魂の第一の願望となるであろう。これがエノクの心を満たした願望である。彼が神と共に歩いたことを我々は読む。彼は目的に向かって神のご品性を研究した。……彼は神に似るものとしていただくために自ら奮闘した。」(SDAバイブル・コメンタリー1巻1087)
 「欠陥と落胆の言い訳はない。なぜなら天来の恵みのすべての約束は、義に飢え渇く者たちに与えられているからである。飢え渇きによって表されている激しい願いは、欲している供給が与えられるという約束である。」(教会への証7巻213)



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