「キリストが現われる時、

  「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。。」(ヨハネ第一3:2)

 「品性の改変が、何か奇跡的な働きで、イエスが力と偉大な栄光をもって天の雲のに乗って現れる時にわたしたちに生じることを期待して座り込んでいてはならない。若い友人たちよ、そうではなく、わたしたちは審判を受けねばならないのであり、そして猶予の期間がこの世でわたしたちに与えられているのは、将来の不朽の命のために品性を形造ることができるためである。」(ユース・インストラクター1893年8月24日)
 「だれも利己心や自己賞賛、自己放縦がキリストのみ霊と共存できると考えないようにしよう。真の改心した一人ひとりの男女には、わたしたちが正しく見積もることのできるほどの責任が負わされている。世の方法や処世訓は、天の王のむすこ娘が身につけるべきものではない。」(教会への証5巻410)。
 「世から分離すると、わたしたちは到る所で困難に出会う。しかし、ここにわたしたちのための慰めがある。『愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかしわたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現われる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を知っている。そのまことの御姿を見るからである。」(原稿28,1886年
 「わたしたちは自分の言葉と働きによって、自分に課せられている大きな責任を自覚していることを示すべきである。わたしたちの光がはっきりと輝き、それによってわたしたちが日々の生活の中でみ父に栄光を帰していること、またわたしたちが天とつながっており、イエス・キリストとの共同相続人であることを他の人々が認めることができるべきである。」(教会への証4巻16)
 「み父とまたそのみ子イエス・キリストと親しく交わるということは、気高くされ、高められ、言い表せないほどの喜びと満ち満ちた栄光にあずかる者になるということである。食物や衣服、社会的地位や財産にはそれぞれ価値がある。しかし、神とのつながりがあるということは、…価のつけられない価値がある・・・。そして『わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない』けれども、『わたしたちの生命であるキリストが現われる時』『わたしたちは彼に似たものとなる』のである。」(教会への証4巻357)


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