「へりくだりの儀式におけるキリストに従う」

  「しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。」(ヨハネ13:14,15)


 「弟子たちが晩さんのへやに入って行った時、彼らの心は憤然とした気持ちで一杯だった。ユダはキリストのすぐ左側に割りこんだ。ヨハネは右側にいた。もし最高の位置というものがあるなら、ユダはそれを占めようと決心していたが、その位置はキリストの隣であるように思われた。・・・
 不和の原因がほかにも起こっていた。食事の時には、しもべが客の足を洗うのが習慣だった・・・足を洗うために水差しもたらいも手ぬぐいも用意されていた。ところがしもべがいなかったので、弟子たちがその役を果たす立場にあった。・・・イエスは彼らがどうするかを見るためにしばらく待っておられた。それから、天来の教師であられるイエスが、食卓から立ちあがられた。主は動作のじゃまになる上着をぬぎ、タオルをとって腰にまかれた。・・・「それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」(ヨハネ 13:5 )。・・・このようにキリストは、弟子たちに対する愛をあらわされた。(各時代の希望下巻118,119)
 「この儀式を行うことは、『しかし主であり、また教師であるわたしがあなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである』」という戒めの成就である。・・・争いを静め、自分にどのような害であっても及ぼした者を許すために、これは何とふさわしい場所であろうか。もし人が兄弟に対して何かわだかまりがあるなら、この儀式はそれを正常に戻し、あらゆる困難な点に決着をつける時である。互いに許し合おう。異火を祭壇にもってこないようにしよう。聖餐式に集まる人々は恨みや憎しみを抱かないようにしよう。」(原稿19,1892年)
 「この儀式が正しく守られるときにはいつでも、神の子らは、互いに助け祝福するために聖なる関係にはいる。」(各時代の希望下巻129)

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