「『わたしは有る』という偉大な方」

  「イエスは彼らに言われた『よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである』。」(ヨハネ8:58)

 「わたしは有る」という言葉は永遠の臨在を意味しており、過去、現在、将来において神と等しくあられることである。主は過去の歴史の最も遠い出来事を知っておられる。また、わたしたちが日常の事柄をはっきり見るように遠い将来のことをご覧になる。わたしたちは、自分達の前に何があるかを知らない。そしてもし知っていても、わたしたちの永遠の幸福には役に立たないであろう。わたしは有るという偉大な方に信仰を働かせ、信頼する機会を神は私達に与えておられる。…わたしたちの救い主は「あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」(ヨハネ8:56)と言われた。キリストがその王衣と、王冠を捨てられ、天の王宮の名誉ある地位を去って、人性をとり、人の子たちの間を歩まれる1500年も前にアブラハムは、主の日を見て喜んだ。「そこでユダヤ人達はイエスに言った、『あなたはまだ五十にもならないのにアブラハムを見たのか。』イエスは彼らに言われた『よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである』」(ヨハネ8:57,58)…
 キリストは永遠の臨在という観念を説明するためにモーセに与えられた神の偉大なるみ名を用いられている。(出エジプト3:14参照)。イザヤもまたキリストを見た。そして彼の預言の言葉は重要性で満ちている。「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は『霊妙なる議土、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる」とイザヤは言った(イザヤ9:6)。主は彼の言葉を通して言われた。「わたしはあなたの神、主である。イスラエルの聖者、あなたの救い主である。…恐れるな、わたしはあなたと共におる…ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。
 あなたがたはわが証人であると主は言われる。わたしは神である、今より後もわたしは主である。・‥わたしは主、あなたがたの聖者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である」(イザヤ43:3-15)。…イエスは私たちの世界に来られた時、ご自分のことを「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6)と宣言された。……
 主はわたしは有るという偉大な方として信じられ、奉仕をお受けにならなければならない。そして私たちは主を絶対的に信頼しなければならない。(手紙1895年119)

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