「罪の神秘」

 「わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。・‥あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった。」(エゼキエル28:14,15)

 罪の存在を理由づけようとして、罪の起源を説明することは、不可能である。しかし、罪の起源についてもその処分についても悪に対する神のすべての取扱いの中に神の公義とあわれみが完全にあらわされているということに関しては十分に理解できるのである。聖書の中に何よりはっきりと教えられていることは、罪が入ってきたことに対して、神にはなんの責任もないということである。罪は侵人者であって、その存在については理由をあげることができない。罪は神秘的であり、不可解であって、もし罪の言い訳があったあり、その存在の原因を示すことができたら、その言い訳をすることはそれを弁護することになる。それはもはや罪ではなくなる。罪についての唯一の定義は、神のみ言葉の中に与えられている定義である。それは「罪は不法である」(第一ヨハネ3:4)ということである。すなわち罪は神の統治の基礎である愛という大法則と戦っている原則が外にあらわれた結果である。(大争闘492,493)
 罪は利己心から起った。蔽うことをなす天使(守護のケルブ)ルシファーが、天の第一位を望んだ。彼は天使達を支配し、彼らを創造主から引き離して、自分に忠誠を誓わせようと試みた。…こうして彼は天使たちを欺いた。こうして彼は人類をだました。サタンは彼らに神の御言葉を疑わせ、神の恵みを信じさせないようにしたのである。…こうして彼は人々をひっぱって神への反逆に加わらせ、わざわいの夜がこの世にやってきた。(各時代の希望21,22)
 罪は完全な宇宙に出現した。・‥罪の発端、あるいは発展の理由は説明されたことはなかったし、説明できるものではない。裁きの座が設けられ、書物が開かれる最後の大いなる日においてでさえも、そうである。…その日に、罪には原因がなく、あったこともなかった、ということが証明されるであろう。サタンと彼の天使達、また、サタンと共に、自分を最終的に神の律法の違犯者としたすべての人間の最終の宣告がなされる時、すべての□は止まるであろう。最初の大きな反逆者から最後の罪人まで、反逆を起した群は、なぜ神の律法を破ってきたのかと尋ねられた時、彼らは□がきけない。どんな答えも与えられないのである。(ST100年4月28日)


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