「力の管理者」

 「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。」(マルコ12:30)

 すべての人には、タラントと呼ばれる個人的な賜物が託されている。ある者たちは、これらのタラントを精神の優れた能力を所有する天才、すなわちある特定の人たちに制限されているものと見なす。けれども神はタラントの贈与を、特に恵まれたわずかな人たちに限定なさらなかった。すべての人には幾分か特別な才能が託されていて、主はそのことについて、責任を問われるであろう。時間、理性、手段、力、精神力、優しい心など、どれも神からの贈り物であって、人類を祝福するという偉大な働きに用いられるよう託されたものである。(SDAバイブル・コメンタリー5巻1100)
 力の源である貴重な才能は、働くために人間に委ねられたものである。これは、どんな銀行の預金よりも価値があって、もっと高く評価されるべきものである。……これは金や銀、そして家や土地では買うことのできない祝福で、神はそれを賢明に活用することを要求しておられる。誰一人、この才能を使わずに腐食させてよいという権利を持っている人はいない。すべての人は、身体的強さの源と同じように、この才能の源なる神に対して責任がある。
 日常生活に必要な義務に忠実であるべきであるという必修の学びは、キリストに従う多くの人々がまだ学んでいないものである。それは、もっと多くの思いやりと、もっと厳しい品性の訓練が要求されて、商業や工業、そして法律家や農夫たちがその働きの中心にキリストを置き、通常の業務の中にキリストの教えを現して、開かれた分野で認められるような伝道の働きをすることである。また、事務所や作業場に宗教を持ち込む霊的な神経の強さと日常生活の細かい点に至るまで聖別することと、処理される業務の全てを神のみ言葉の標準に沿うように順序立てることなどを要求する。これらはすべて、主が要求なさることである。(教師と両親と生徒への勧告278,279)
 宗教と実業とは、全然別のものではない。それは一つである。聖書の宗教は、わたしたちのすべての行為とことばのなかに織り込まれなければならない。霊的なことを達成するのと同様に、この世的のことを達成する場合にも、天の力と人間の力とが結合しなければならない。(キリストの実物教訓325)
 わたしたちは、心をつくし、思いをつくし、精神をつくして神を愛するだけでなく、力をつくして愛さなければならない。これは身体の能力を十分に知的に活用することである。(同上324)

http://www.sda1888.com/
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村