「イエスがとりなしをされる時」

 「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。」(ヘブル9:24)

 私達の尊い贖い主は、私達の仲保者として天父の前に立っておられる。…神の標準に到達しようと望む者は、自分の為に聖書を探究しなさい。そうすれば、彼らはキリストのご生涯の知識を持ち、キリストの便命と働きを理解することができる。彼らに自分たちの弁護人として主を仰ぎ見させなさい。主は、ご自分の義の功績という聖なる香が、神に祈る人々のためにそこから神に昇っていく金の香炉をご自分の手に持って、幕の内側に立っておられる。人々は主を仰ぎ見るならば天の法廷に、力強い説得力のある弁護人を持ち、彼らの願いは神のみ座の前で聞かれるという保証を知ることができるのである。
 何という経験が恵みのみ座の足もとで得ることができるのだろう。恵みの御座は唯一の安全な逃れの場である。あなたは神はみ約吏の背後におられることをはっきりと知って、あなたの祈りの言葉を心配したり、イエスがあなたの保証人であり、代理者として立っておられることを疑ったりすることはない。あなたが自分の罪を告白し、自分の悪の行為を悔い改める時、キリストはあなたの罪をご自身の上におかれ、主ご自身の義と力をあなたに着せて下さる。心から罪を深く悔いている者に対して、主は愛という金の油と、ご自身の恵みという豊かな宝物を与えられる。そして、あなたは、キリストの功績によって神に自己を犠牲としてささげることが、あなたを無限の価値を持つ者とすることを知る。なぜなら、あなたはキリストの義の衣を着せられたので、神の息子、娘となるからである。イエスのみ名においてゆるしを求める…人々は自分達の願いを聞き入れられるであろう。私達の悔い改めのその最初の表現の時に、キリストは、その罪人のためにご自身の願いとして、み座の前で、謙遜な嘆願者の懇願をささげてくださる。主は「わたしは、あなたがたのために父に願ってあげよう」(ヨハネ16:26)と言われる。
 私達の尊い救い主イエスに、サタンの命にかかわるわなにさらされた私達を見るにしのびなくて、私達のために無限の犠牲を払うことを忍ばれた。主はサタンと試みられている魂との間に立ち入られて、「サタンよ、後ろにしりぞけ、」この試みを受けている魂をわたしのところにもっと近くよせなさい」と言われる。主は、謙遜で、おののくすべての嘆願者をあわれみ、愛される。(YI1896,1.16)

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