「まくことと刈ること」

 「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。」ガラテヤ6:7,8

 「肉にまくというのはどういうことであろうか。それは、私達白身の生まれながらの心の欲望と、性向に従うことである。私達の告白がどのようなものであろうとも、もし神の代わりに白已に仕えているなら、私達は肉にまいているのである。クリスチャンの生活は、自己犠牲と、十字架を負う生活である。私達は、イエス・キリストのよい兵卒として、困難に耐えるべきである。…私達は、自分に都合のよいものはなんであろうかと、問うことはできない。むしろ、私達に命じられていることは何であるべきかと、問うべきである。だれも、兵卒の生活は自己を喜ばす、自己満足の生活であると考える人はいない。私達は、今日、戦場にいて、そこで二つの大きな勢力が支配を争っているのである…
 あなたは、毎日の生活で何をまいているであろうか。あなたは、自分の肉にまいているだろうか。なたは自分の楽しみと、自分の利益だけを考えているのだろうか。誇りと、虚栄と、野心のためにまいているのだろうか・‥私は、あなたに霊のためにまくようにお願いする。あなたが誘惑に抵抗するたびに、次の試練のために、霊にまく力をあなたに与えるのである。(RH1891,5.5)
 もしあなたが、キリストに対する従順を示しながら、信仰をまいているならば、将来の従順のために、信仰と力とを刈り取る。もしあなたが、他の人に対して祝福となろうと思うならば、神はあなたを祝福される。・‥私達が、他の人々に喜びを与えるならば、それは再び私達に返って来る。なぜならば、私達はまくように刈るからである。…
 信心深い生活を送りたいと願うすべての者が、私達の聖なる贖い主イエスを通して、恵みと力を持つことができるように豊かな備えがなされている。クリスチャンの生活は、たとえ十字架を掲げ、重荷を背負ったものではあっても、重荷と心労の生活であってはならない。なぜならば、神の僕達は、自分達の力の源から平和と力を引き出し、そうすることによって彼らは、幸福と平和に満ちた生活を見い出すからである。・‥自分の生活のすべてが神にささげられていなければならない。なぜなら、私達の尊い救い主は、決して二心を共有なさらないからである。私達の性向や欲望は神の御霊の支配の下になければならない。その時私達は、信仰の良き戦いを戦うために強められるのである。私達は毎日、隊長の命令は何であるかと問うべきである。(同上)

聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村