「わたしたちを清める方法、神のみ言葉」


 「また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。」(ヨハネ17:19)

 イエスは闇の権力との最後の戦いに出かける前に、天に向かって目を上げ、弟子たちのために祈られた。「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」とイエスは祈られた。……
 イエスの願いの重荷は、ご自分を信じる者たちが世の悪から守られ、真理によって清められることであった。このお方は、真理が何であるかについて、わたしたちがあいまいな推測をするがままに放っておかれるようなことはなく、「あなたの御言は真理であります」とつけ加えられる。神のみ言葉は、それによってわたしたちの清めが完成する方法である。であるから、わたしたちが聖書の聖なる教えに精通することは最も重要なことである。
 救いの計画に関して知らされることが初期の弟子たちにとって必要であったのと同じく、わたしたちにとって命のみ言葉を理解することが必要である。自分自身の怠慢によってわたしたちが神のみ言葉の要求に無知であるなら、わたしたちに弁解の余地はない。神はわたしたちにご自分のみ言葉を与え、御旨の啓示を与え、ご自分に求める者をすべての真理に導くために、彼らに聖霊を約束しておられる。であるから、本当に神の御旨を行いたいと願うすべての魂は教えを悟る。……
 イエスの伝道は説得力のある奇跡によって明らかに示され、このお方の教えは人々を驚かせた。……それは心の欠乏に応える真理の体系であった。このお方の教えは、はっきりとしてわかりやすく、多くのものを含んでいた。イエスが述べられた実際的な真理は確信させる力があり、人々の注意を捕えた。群衆はイエスの知恵に驚きつつ、このお方のそばを立ち去りがたく居残った。このお方の方法はご自分が宣言される偉大な真理と調和しており、弁護やためらい、また、このお方が言明なさった通りではないかもしれないといった疑念や不確実さの影はなかった。イエスは地上のことと天のことを語り、はっきりとした権威をもって人間のことと神のことを話されたので、人々は「その言葉に権威があったので、彼らはその教に驚いた」。……
 真理が何であるかを理解することが、わたしたちにとって最高に重要であり、また関心のある問題である。そしてわたしたちがあらゆる真理に導かれることができるように、非常な熱心さをもってわたしたちの嘆願がささげられるべきである。
 ダビデは神の啓発を感謝し、神のみ言葉の力に気づいて、「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます」と言明した。光を望む人々に、聖句と聖句を照らし合わせて、聖霊の啓蒙を求めて神に嘆願しつつ聖書を探らせなさい。み約束は、捜す者は見出すであろうである。(レビュー・アンド・ヘラルド1911年7月6日)

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