「神は掛け算で働かれる」


 「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。」(ペテロ第二1:2)

 もしわたしたちが神の受け入れてくださる品性を発達させたいのであれば、わたしたちは自分たちの宗教経験において正しい習慣を形成しなければならない。日毎の祈りは、この世の食物が肉体の健康に必要であるように、恵みにおける成長、そして霊的な命そのものにとってさえ、重要不可欠である。わたしたちは自ら、しばしば祈りのうちに思想を神にまで引き上げることに慣れるべきである。もし思いがさまようなら、わたしたちはそれを引き戻さなければならない。辛抱強い努力によって、習慣となり、ついには容易になる。わたしたちは一瞬たりとも、自らをキリストから引き離しては安全ではない。わたしたちは一歩ごとにこのお方のご臨在を得ることができるが、それはこのお方ご自身が定められた条件を守るときのみである。
 宗教は生涯の大事業となるべきである。他のすべてのことはこれに従属したものとなるべきである。わたしたちの魂と体と霊のすべての力は、クリスチャンの戦いにつぎ込まれなければならない。わたしたちは力と恵みを求めてキリストを眺めなければならない。それは、イエスがわたしたちのために死なれたのが確実であるのと同じように、わたしたちが確実に勝利を得るためである。
 わたしたちはキリストの十字架にもっと近づかなければならない。十字架の下での悔悟は、わたしたちが学ばなければならない第一の平安の教訓である。イエスの愛――だれがこれを理解できるであろうか。母親の愛より、無限に優しく、自己犠牲的な愛。もしわたしたちが人間の魂の価値を知りたいのであれば、わたしたちは生きた信仰のうちに、十字架を見なくてはならない。そしてこうして、永遠を通じて贖われた者たちの科学となり、歌となる研究が始まるのである。わたしたちの時間とわたしたちのタラントの価値は、わたしたちの贖いのために支払われた贖い代の大きさによってのみ、測ることができる。……
 聖化は漸進的な働きである。継続的な歩みが次のペテロの言葉の中でわたしたちに示されている。「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう」(ペテロ第二1:5〜8)。……
 ここにわたしたちが決して失敗することがないと確信できる道がある。このようにクリスチャンの恵みを獲得することにおいて、足し算で働く者たちには、神が聖霊の賜物を与えてくださることにおいて掛け算で働いてくださるという保証がある。……神の恵みによって、望む者はすべて、地上から天へと輝くはしごの段を上っていくことができる。そしてついには、「とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ」、門を通って、神の都の門に入ることができるのである(イザヤ35:10)。(清められた生涯93〜95)。

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