「キリストに結合して、このお方の思いを得る」


 「しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。」(ヤコブ3:17, 18)

 キリストとの結合があるところにはどこでも愛がある。他のどの実を結ぶことができても、もしも愛がなければそれらの実は何の役にも立たない。神と隣人に対する愛はわたしたちの宗教にとって本当に不可欠であり、誰もキリストを愛しながら、このお方の子らを愛さないことはできない。わたしたちがキリストに結びつけられる時、わたしたちはキリストの思いを持つ。純潔と愛が品性に輝き出、柔和と真理が生活を支配する。顔の表情そのものが変わる。
 魂に内住しておられるキリストは一変させる力を及ぼされるので、顔の表情は心の内を支配している平和と喜びをあかしする。わたしたちは、ぶどうの枝が木から栄養を吸いあげるように、キリストの愛を飲む。もしもわたしたちがキリストに接木されているなら、生けるぶどうの木であるお方と繊維と繊維で結びついているなら、わたしたちは生きた実の豊かな房を結ぶことによってその事実の証拠を与える。もしもわたしたちが光であるお方とつながっているなら、わたしたちは光の通路となり、わたしたちの言葉と働きの中で世に光を反映する。
 真にクリスチャンである人は、地を天につなぎ、有限な人間を無限の神に結びつける愛の鎖で結ばれている。イエス・キリストのみ顔に輝く光は、神の栄光のために、このお方に従う者の心の中に輝く。わたしたちは見つめることによって変えられる。それだからわたしたちが神なる模範であるお方の完全を瞑想する時、全く変えられることを願い、このお方の純潔のかたちに回復されることを願う。変化が品性の内に生じ、怒りの子が神の子になるのは神の御子を信じる信仰によってである。その人は死から命へと移り、霊的になり、霊的な事柄を識別する。神の知恵がその人の思いを啓発し、彼は神の律法の驚くべき事柄を見つめる。……神に対して従順な人となることによって、彼はキリストの思いを持ち、神の御旨が彼の意志となる。
 自分自身を全く神の御霊の導きのもとにおく人は、自分の思いが広がり発展することが分かる。その人は、片寄った品性を発達させるような片寄った不完全な教育ではなく、神の奉仕のうちに、調和がとれ、完成された品性という結果に終わる教育を得るのである。揺れ動く意志と弱い品性のうちにあらわされていた弱々しさは克服される。なぜなら、献身と敬虔は人をキリストと非常に密接な関係に入れ、その人はキリストの思いを持つようになるからである。その人はキリストと一つであり、原則の健全さと強さを持っている。(セレクテッド・メッセージ1巻337〜338)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村