「神の言は強力な力がある」


 「というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭」い。(へブル4:12)


 神の言葉がわたしたちの霊的食物でなければならない。「わたしは命のパンである」とキリストは言われた(ヨハネ6:48)。……世界は純潔で混ぜ物のない真理が欠乏しているために滅びつつある。キリストは真理である。このお方のみ言葉は真理であって、表面にあらわれているよりも、もっと深い意味があり、その控えめな外観を越えた価値がある。聖霊によって活気づけられた知的な心はその言葉の価値を識別する。わたしたちの目に聖なる目薬が塗られると、真理の尊い宝石が、たとえ表面上は隠れていても、わたしたちはそれを見つけることができる。
 真理は繊細で精錬されており、気高い。真理が品性を形造る時、魂はその聖なる感化のもとで成長する。真理は日毎に心に受け入れられねばならない。このようにしてわたしたちはキリストのみ言葉を食べるが、このお方が公言されるそのみ言葉は霊であり命である。真理を受け入れると、受け入れたすべての者を神の子、天の相続人とする。心の中で大切にされる真理は冷たく命のない文字ではなく、生きた力である。
 真理は神聖で聖なるものであって、キリストに似た品性を形造るにあたって、他の何ものにもまさって力強いのである。真理の中には喜びが満ち溢れている。これが心の中で大切にされると、キリストの愛がどのような人間の愛よりも好まれる。これがキリスト教であって、魂のうちにある神の愛である。このように純潔で混ぜ物のない真理が心の安全なよりどころとなると、「わたしはまたあなたに新しい心を与え、あなたのうちに新しい霊を授ける」というみ言葉が成就する。真理の生命を与える感化のもとに生き、働く人の生涯には高潔がある。……
 試練や誘惑というストレスに耐えていない多くの人が改心していると考えている。……彼らには霊的経験という深みがなく、真理を心と良心に適用していない。……そこには純潔に調和した敬神が欠けており、この欠如は、もしも彼らが快く真の改心をしているなら偉大な者になることができるはずの時に、主の軍勢の中で彼らを柔弱な者にする。……
 わたしたちは危機の時代に生きている。聖書を真実に説明することが、わたしたちの品性の道徳上の正しい発達にとって必要であることを、わたしは神を畏れつつあなたがたに告げる。思いと心が聖霊に支配され、自己が死んでいる時、真理は絶え間ない発展と発達が可能である。真理が、イエスの内にあるように、わたしたちの品性を形造る時、その真理は本当に真理として見える。信者が真理を熟考するなら、その真理はその本来の麗しさのままに輝きを増し、心を活気づけ、生命を与えつつ、その価値を増していく。……真理はわたしたちの向上心を高め、わたしたちが聖潔の完全な基準に到達することができるようにする。(レビュー・アンド・へラルド1899年2月14日)

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