真理が心に刻み込まれねばならない


 「神の言葉はみな〔純潔〕である、神は彼に寄り頼む者の盾である。」(箴言30:5)


 神はすべての人にそれぞれの働きを与えられ、ご自分の使者に、分け与えた任務と共に、その人の信仰につり合う程度の力をお与えになる。神は絶えずご自分の豊かな恵みを、その人の心に明らかにしつづけておられる。神のみ言葉から光を受ける人々から、光がはっきりとした光線として輝き出る。……
 論拠としてだけでなく、それぞれの生活の中で真理を支持する人々は、自分自身を義の側に入れる。改心した生涯によって、彼らは命から命に至らせる香りか、あるいは死から死に至らせる香りである警告の厳粛なメッセージを担っていることを証する。人が本当に改心すると争闘や論争は終りを告げる。明白で心を探る真理が、神の祭壇からの燃えている炭がふれた唇によって宣言される。……
 旧約聖書は、実際的な信心の種がはじめに播かれた地である。このことは弟子たちへのキリストのみ言葉の中で繰り返されている。わたしたちは、全ユダヤの制度は福音のぎっしり詰まった預言であることをまだ学ばねばならない。それは比愉的表現の中での福音である。雲の柱からキリストは神と自分の同胞に対する人の義務を示された。旧約と新約両方の聖書の中で、神が任命された代理者たちに対する神のみ言葉は、クリスチャンの徳をはっきりと指摘している。ご自分の教えを通して神は真理の尊い種を播き散らされた。もしもすべての人が捨てられた原則を実践するなら、これらの真理が価値の高い尊い真珠であることが分かるであろう。
 わたしたちには真理があるが、これを実践しないのだろうか。利己心はキリストの十字架の説き勧めを効果のないものにする大きな悪である。……真理を実際に適用しなさい。神がご自分の民の前に置かれる高い基準を示しつつ、真理を清められた保証と率直さをもって強く勧めなさい。真理は、受け入れる人にとってすべての意図と目的に対する真理となって、心に刻み込まれなければならない。……
 「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」これが神の要求される奉仕である。これより欠けるものは何であっても純潔で汚れのない宗教ではない。心はその人の最後のよりどころであり、これがまったく主の側にないかぎり、敵はその手の込んだ誘惑によってわたしたちを絶えず打ち負かそうとする。
 もしも生涯が真理の支配下に入れられるなら、真理の力に制限はない。思いはキリストのとりことなる。心の良い倉から適切でおりにかなった言葉がでてくる。わたしたちの言葉は特別に守られるであろう。(レビュー・アンド・へラルド1899年2月21日)


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