「待ち望み、見張り、祈れ」


 「主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。」(詩篇27:14)


 主を待ち望め、繰り返して言うが、主を待ち望め。わたしたちは人間に求めても、得られないことがある。わたしたちは神に求めることができる。そのときこのお方は、あなたは受けるであろう、と仰せになるのである。であるから、あなたにはだれを仰ぐべきかがわかる。あなたは、だれを信頼すべきかがわかるのである。あなたは人間に信頼して肉をあなたの頼みとしてはならない。「わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ」と仰せになった大能のお方に、思う存分寄りすがりなさい。それから、あなたの顔を絶えず義の太陽に向けて、待ち望み、見張り、祈りそして働きなさい。
 イエスのみ顔からの明るい光線があなたの心の中を照らし、それがあなたを通して他の人々に輝くようにしなさい。「あなたがたは、世の光である。……そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:14~16)。わたしたちは人々の前にイエスを掲げなければならない。………
 あなたがだれかを見込んで、自分を支えてくれるだろうとすっかり依存する分だけ、完全に失望させられることになる。あなたの励ましと支えは、最も素晴らしいと思える人から来るのではない。主は、ご自分だけにより頼むようにという教訓をあなたに教えようとしておられる。なぜなら、このお方があなたの贖い主であられるからである。あなたは、創造と贖いによって、このお方の所有である。主の道が選ばれるべきであり、主の御旨があなたの意志となるべきである。……
 聖なるお方はわたしたちに万事に付け案内となる規則を与えてくださった。これらの規則は、変更があり得ない標準である。聖潔の原則は、なお日毎に学ばなければならない。そしてその時、神の御旨が最高位に立つのである。神にあって、あなたは立つことができる。神にあって、あなたはイエスのうちにあるがままの真理を提示して、果敢な戦いをなすことができる。
 聖霊の感動の下で心が和らげられることを少しも恥じてはならない。イエスが入るために戸をたたかれるとき、このお方をお入れしなさい。そしてそれから、このお方に感謝して、心のうちに喜び、あなたが救ってくれる腕がどこにもないように感じた時に、このお方のみ腕が救いをもたらしてくださり、このお方の愛があなたに明らかにされたことを絶えず感謝するようにしなさい。それから、その愛の喜びに満ち溢れて、あなたが他の人々にイエスを紹介したとき、聖霊があなたを通して……他の人々を祝福するために働いておられたのである。……真理をその単純さのうちにあらわして、まったく途方にくれて困惑し震えている魂の心を動かすことが、真理の御霊を受けるすべての人の特権である。……聖霊は乳香をどのように塗ったらよいかをご存知である。……
 神にまったく信頼しなさい。祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい、信仰のうちに祈りなさい。それから、あなたの魂の保護を神に委ねなさい。このお方は、ご自分に委ねられたものをかの日に至るまで守ってくださる。……完全に、揺らぐことなく、神に信頼しなさい。(手紙126, 1895年)

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