「御霊を受ける効力」


 「ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。」(コリント第一2:12)


 聖霊によって、弟子たちは主のみを掲げることができるようになった。そしてキリストの言葉と働きの記録が世に与えられるように、聖なる歴史家たちの筆を導かれた。今日、この聖霊が絶えず働いて、人の注意をカルバリーの十字架上で払われた偉大な犠牲に向けさせ、人に対する神の愛を世に表し、そして有罪宣告を受けている魂に聖書の約束を開こうとしておられる。
 暗くなった思いに義の太陽の明るい光線が差し込むようにしてくださるのは聖霊である。聖霊によって永遠の真理の悟りが呼び覚まされ、それによって人の心がその人のうちで燃えるのである。聖霊が思いに義の偉大な標準を提示し、罪を悟らせ、それによって罪から救うことのおできになる唯一のお方を信じる信仰を吹き込んでくださるのである。聖霊は人の愛情をこの世の朽ちる事物から引き離して、それらを永遠の嗣業にしっかりと定着させることによって品性を変えるために働いてくださる。御霊は人間を再創造し、精錬し、そして聖化させて、彼らを王家の一員、また天の王の子にふさわしい者としてくださるのである。
 人が自分自身を完全に空にし、すべての偽りの神が魂から追放されるとき、空いた所にキリストの霊が注ぎ込まれて満たされる。このような人にはあらゆる汚れから魂を清める信仰がある。彼は御霊に一致し、そして彼は御霊の事柄に注意を払う。彼は自己に信頼を置かない。キリストがすべてのすべてであられる。彼は絶えず明らかにされる真理を柔和に受け入れ、 そして「神がその御霊によってそれらをわたしたちに明らかにしてくださったのである」と言って、ことごとく主に栄光を帰する。……
 明らかにしてくださる御霊はまた、義の実を彼のうちに実らせてくださるのである。キリストが彼のうちにおられ、「その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがる」のである。彼は真のぶどうの木の枝であり、神の栄光へと実の豊かな房をみのらせる。この実の持つ性質はどのようなものであろうか。御霊の実は憎しみではなく「愛」であり、不満と嘆きではなく「喜び」であり、苛立ちや懸念、そして造り出された試練ではなく「平和」である。それは「寛容、慈愛、善意、〔信仰〕、柔和、自制」である(ガラテヤ5:22, 23)。この御霊を持っている人々は神と共に働く熱心な働き人である。……彼らは堅実な理性の言葉を語り、そしてキリストの模範に従って心の宝庫から純粋で聖なる事柄を引き出すのである。(ゴスペル・ワーカー286〜288)

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