「健康はほとんどの人が感謝してしない祝福」

 「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。」(コリント第一6:19)


 健康は祝福であるが、その価値を認めるものは少ない。しかし、知的、体的能力が力を発揮するには、体が健康でなければならない。わたしたちの感情は、身体の中に座を占めているから、身体も精神も最上の状態に保つようにして、わたしたちの才能を最高に活用しなければならない。
 体力を減退させるものは、なんであっても、精神を弱め、善悪の識別力を弱める。だんだん善を選ぶ力がなくなり、正しいと知りつつ、それを行なう意志の力がなくなる。
 身体の諸機能を誤用するならば、神の栄光のために用いることができるはずの寿命をちぢめ、神からゆだねられた仕事を果たすことができなくなる。悪い習慣をつづけたり、夜ふかしをしたり、健康を犠牲にしてまで食欲を満足させたりすることは、体を虚弱にする原因である。運動を怠ったり、心身を過度に疲れさせたりすると、神経系統の平衡が失われる。このようにして、自然の法則を無視したために寿命をちぢめ、奉仕ができなくなった人びとは、神に対して盗みの罪を犯している。彼らは、また、同胞からも盗んでいることになる。他を祝福する機会、すなわち神がこの世界に彼らをお送りになったたいせつな仕事を、自分自身で短縮してしまった。そればかりではなくて、その短い期間に果たし得たはずのことさえできなくなってしまった。こうして、わたしたちが有害な習慣のために、世界から善を奪うときに、神はわたしたちに有罪の宣告を下されるのである。
 肉体の法則に反することは道徳律に反することである。神は、道徳律の創設者であると同時に、肉体の法則の創設者でもある。神は、人間にお任せになったすべての神経とすべての筋肉とすべての機能の上に、神の律法をご自分の手でお書きになった。であるから、わたしたちの体の組織のどの部分の悪用であっても、それは、その律法の違反になるのである。
 神の働きをするために必要な状態に身体を保つためには、すべての者が人体の構造について十分の知識を持っていなければならない。神の性質が人によって、十分にあらわされるように、肉体の命をたいせつに保存し発達させなければならない。肉体の組織と霊的生命との関係を明らかにすることは、教育の最も重大な科目の一つである。家庭でも、学校でも、この点によく注意しなければならない。だれでも自分たちの体の構造と生命を支配する法則とをよく知らなければならない。だれでも故意に肉体の法則について無知でいたり、知らずに自然の法則を犯すものは、神に対して罪を犯すのである。だれでも、命と健康を増進させるように最善をつくさなければならない。わたしたちの習慣は、神の支配下におかれた心の支配を受けなければならない。(キリストの実物教訓322, 323)

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