2011年第2期7〜13課

第7課                  安息日2011年5月14日




権力争い




「……わたしが目をあげて見ると、川の岸に一匹の雄羊が立っていた。これに二つの角があっ……た。……わたしがこれを考え、見ていると、一匹の雄やぎが、全地のおもてを飛びわたって西からきた……。このやぎには、目の間に著しい一つの角があった。……その盛んになった時、あの大きな角が折れて、その代りに四つの著しい角が生じ、……その角の一つから、一つの小さい角が出て……。」―ダニエル8:3, 5, 8, 9


1.ダニエルが7章に描写されている幻を受けてから、2年後に何が起こりましたか。預言者はまず何を見ましたか。これはどの権力を表していますか(ダニエル8:1-4, 20)。


「20節に、この象徴が単純な言葉で与えられている。『あなたが見た、あの二つの角のある雄羊は、メデアとペルシャの王です。』従って、わたしたちはこの権力がこの象徴に非常によく一致していることを考えなければならない。二つの角は、この帝国が構成されている二つの国を表している。角の長い方は後で出てきた。これは、初めはただメディアの同盟国であったが、後にその帝国を扇動する部分となった。雄羊が突撃した方向は、メディアとペルシャが征服した方向を示している。」―ダニエル書と黙示録の預言p150
「ダニエルが神から直接受けた光は、特に最終時代のために与えられた。シナルを流れる大きなウライ川とヒデケル川のほとりで彼が見た幻は、現在成就の過程にあり、予告されたすべての出来事は、まもなく起こるであろう。」―(手紙57, 1896) SDAバイブル・コメンタリー4巻p1166



2.第二の獣は何に似てましたか。この象徴は何を表しており、その初めの王の名前は何でしたか(ダニエル8:5-7, 21)。


『一匹の雄やぎが、全地のおもてを飛びわたって西からきた。』それはギリシャペルシャの西から攻撃したということである。ギリシャの軍隊は地上の全面のすべてを一掃した。
その雄やぎは『土を踏まなかった。』その動きは、驚くべき早さだったので、風の速さで次から次へと飛んでいるように思われた。同じような速さの特徴が、同じ国を表しているダニエル7章の幻のひょうの四つの翼によって示されている。」―ダニエル書と黙示録の預言p152

 

3.この角は象徴的にどうなりましたか。そして実際にこの偉大な帝国はどうなりましたか(ダニエル8:8, 22)。


「雄羊であるメド・ペルシャは『高ぶった』。雄やぎであるギリシャは『はなはだしく高ぶった』。『その盛んになった時、あの大きな角が折れ』た。人間の先見と推測は、『その弱くなった時、その国は反逆によって裂かれた。または贅沢によって弱くなって、角が折れ、国がばらばらになった』と言っただろう。しかし、ダニエルはその力が最も盛んだった時、その力の極みにおいて、それを見るすべての者が『この国は確立し、何もこれを倒すことができないだろう』と宣言しようとした時、折れたのを見た。悪人はしばしばこのようになるのである。彼らが最も堅く立っていると思う時、彼らの力の角は折れるのである。……
折れた大いなる角の代りに四つの著しい角が生じ、天の四方に向かうのであった。これらはギリシャと近隣諸国を持ったカッサンドロ、小アジアを持ったリシマコス、シリアとバビロンを持ち、彼から歴史上非常に有名な『セレウコス朝』として知られた王族が出たセレウコス、ラグスの息子であったプトレミー。彼はエジプトを持ち、彼からラジダエが出た。これらが天の四方に向かって支配したのである。カッサンドロは西部を、リシマコスは北部の地域を、セレウコスは東の諸国を、プトレミーは帝国の南部を持った。従って、これらの四つの角は、マケドニアトラキア(当時小アジアを含んでおり、それらの地域はヘレスポントとボスフォラス海峡に位置していた。)、シリア、エジプトと呼ぶことができる。」―ダニエル書と黙示録の預言p153, 155



4.ダニエルはこれらの角または国の一つから何が出てくるのを見ましたか。そしてそれは何と言われましたか。この「顔の恐ろしい」国は歴史上どれほど初期に預言されましたか。それは何を表していましたか(ダニエル8:9, 23; ルカ2:1; 申命記28:49, 50)。


「ここに第三の力が預言に示された。天使によってダニエルに与えられた説明において、この象徴はメド・ペルシャギリシャのようには明確に描写されていない。……
小さな角が、アンティコス・エピファネスを表していないということを示すことは簡単であり、それがローマを表しているということを示すことは簡単である。……
小さな角は南に向かい、はなはだしく大きくなった。これはローマについて事実である。……
小さな角は東に向かい、はなはだしく大きくなった。これもローマについて事実である。」―ダニエル書と黙示録の預言p156, 158, 159


5.誰がこの権力の勢いを感じるのでしたか。この星は誰を表していましたか(ダニエル8:10; 黙示録12:4上句; ダニエル12:3)。


「小さな角は『天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下し』た。ローマもこのようにした。この表現の中に二つの象徴『衆群』と『星』が示されている。地上で起きた出来事について象徴的意味で用いられる時は、これらの象徴はほとんどの場合いつも神の民とその指導者に言及しているのである。」―ダニエル書と黙示録の預言p159


6.異教ローマは誰さえも攻撃しましたか。この君、主はどなたですか(ダニエル8:11上句; マタイ27:11, 26)。


「小さな角は『またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し』た。このような事をしたのはローマだけである。解き明かし(25節)には、小さな角が『君の君たる者に敵する』とある。これはローマの管轄の下で、わたしたちの主が十字架につけられたことに言及しているということが明白である。」―ダニエル書と黙示録の預言p159


7.この権力によって、他に何が破壊されるのでしたか。エルサレムと宮の運命について、どなたが語られましたか(ダニエル8:11下句; ルカ19:41-44)。


「小さな角は、麗しい地に向かってはなはだしく大きくなった。ローマもそうである。ユダヤは、多くの聖句で『麗しい地』と呼ばれている。ローマは紀元前63年にそれを彼らの帝国の州の一つとし、最後には都と宮を破壊し、地上全体にユダヤ人を散らしたのであった。」―ダニエル書と黙示録の預言p159
「神は、エルサレムの運命がキリストご自身の口から宣言されてから四十年近くも、都と国家に対する刑罰を延ばされた。福音を拒否し、神のみ子を殺害した者に対する神の寛容は驚くべきものであった。……エルサレムに対する神の忍耐は、ただユダヤ人をかたくなな不信に陥れるだけであった。彼らは、イエスの弟子たちを憎み、虐待して、最後のあわれみの招きを拒んでしまった。その時、神は、彼らから保護の手を引……〔かれた。〕」―各時代の大争闘上巻14,15


個人的な研究のために

• マタイ 24:15-20
• マルコ 13:14-18
• ルカ 21:20-24
• ダニエル書と黙示録の預言p149-159



第8課                   安息日2011年5月21日




法王権の台頭



「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り……」―テサロニケ第二2:3


背教



1.紀元4世紀にローマでどのような変化が起こりましたか。この権力によって他に何が倒されましたか。それはどのようにでしたか(テサロニケ第二2:3, 4; ダニエル8:12, 25)。



「異教は征服されたように見えながら、勝利者となった。異教の精神が教会を支配した。その教義と礼典と迷信とが、キリストの弟子であると公言する人々の信仰と礼拝に織りこまれた。
この異教とキリスト教の妥協が、神に反抗して立ち上がると預言された「不法の者」を出現させることになった。……
聖書は神を高め、有限な人間の真の立場を明らかにする。それゆえに、その聖なる真理を隠し、抑圧しなければならない。ローマ教会はこの論法をとった。数百年にわたって、聖書の配布が禁止された。人々は聖書を読むことも、それを家に持つことも禁じられた。そして節操のない司祭たちや司教たちが、自分たちの主張を支持するためにその教えを解釈した。こうして法王は、地上における神の代表者、教会と国家に対する権威を与えられた者として、広く認められるようになった。……
信仰は、真の基礎であるキリストから、ローマ法王へと移された。人々は、罪の許しと永遠の救いを求めて神の子によりたのむかわりに、法王や、法王が権力をゆだねた司祭や司教たちにたよった。彼らは、法王はこの地上における彼らの仲保者であって、法王によらなければだれも神に近づくことができない、と教えられた。さらに、法王は神に代わって彼らの前に立つ者であるから、絶対に服従すべきであると教えられた。」―各時代の大争闘上巻p44,46,50



2.誰が、法王権がそれほど強くなるのを助けたのですか。この象徴が描写された後、天使はどのような質問をしましたか(ダニエル8:24, 13)。




「大欺瞞者は、まだ十分にはその目的を達成していなかった。彼は、キリスト教世界を彼の旗の下に集め、彼の代理人、すなわち、キリストの代表者であると主張する高慢な法王によって、力を振おうと決心した。半分しか改宗していない異教徒たち、野心満々の司教たち、そして世俗を愛する教会人たちによって、彼は自分の目的をなしとげた。」―各時代の大争闘上巻p48


非常に長い期間


3.答えは何でしたか。ダニエルはこれについてすべてを理解しましたか(ダニエル8:14, 15)。


「『幻にあらわれたことは、いつまでだろうか。』質問と答えの両方が記録されているが、それは教会がこの事を理解しなければならないという明白な証拠である。この事は、答えがダニエルに対してであり、それが主として彼に関係しており、彼の情報のために与えられたということによってさらに確実にされている。……
ダニエルがこれを理解することを切望していたということはすでに述べた。彼はその意味を知ろうと努めた。直ちに、人のように見える者が、預言者の前に立った。ダニエルは人の声を聞いたが、それは人のように語る天使の声であった。」―ダニエル書と黙示録の預言p162, 187


4.主はどのように彼の願いをかなえられましたか。天使はいつ、もう一つのメッセージを携えて戻りましたか(ダニエル8:16)。



「ダニエルのところへ神からのみことばをもってきたのは、神のみ子に次ぐ位にある天使ガブリエルであった。愛するヨハネに将来のことを示すために、キリストからつかわされたのも、「彼の天使」ガブリエルであった。そしてこの預言のことばを朗読し、聞き、そこに書かれていることを守る者に、祝福が宣告されている(黙示録1:3参照)。」―各時代の希望上巻p288
「この幻をダニエルに悟らせるようにとの命令が与えられた。この命令はガブリエル(その名は『神の力』または『神の人』という意味がある)に対してである。彼は9章にダニエルに対する教えを続けている。幾世紀も後に、この同じ名の天使は、バプテスマのヨハネの誕生を彼の父であるザカリヤに告げ、処女マリヤにメシヤの誕生を告げるために任命された(ルカ1:26)。ザカリヤには、自分が『神のみまえに立つガブリエル』であると挨拶した(ルカ1:19)。」―ダニエル書と黙示録の預言p187 


時の終わりに対する幻


5.2300日の幻は、どの期間に属していますか(ダニエル8:17-19)。



6.この地位の高い天使の臨在は、ダニエルにどのような印象を与えましたか。ガブリエルは、幻を完全に説明する使命を果たすことができましたか(ダニエル8:18, 8:27)。



「天使ガブリエルは、幻をダニエルに理解させるように命令されてはいたが、彼に、部分的説明しか与えていなかった。教会にふりかかる恐ろしい迫害が、預言者の幻に展開されたときに、ダニエルは体力が衰えてしまった。彼は、もう耐えられなくなり、天使は、しばらく彼を離れた。……」―各時代の大争闘下巻p11
聖所の清め


7.ウィリアム・ミラーは、ダニエル8:14を研究した時、どのような結論を出しましたか。



「ミラーは、キリスト教時代においては、地上が聖所であるという一般の見解を受け入れた。そこで彼は、ダニエル書8章14節に預言されている聖所の清めとは、キリストの再臨の時に、地上が火で清められることであると理解した。したがって、2300日の正確な起算点を発見することができれば、キリスト再臨の時は容易に確かめることができると、彼は結論した。……彼は、2300日の起算点の手がかりを、ダニエル書8章には見つけることができなかった。……」―各時代の大争闘下巻p11


個人的な研究のために

• 初代文集p124-127
• 生き残る人々p422-426


「紀元330年の間コンスタンチンは、ローマからビザンティウム(コンスタンティノープル)へ彼の政府の本部を移した。……この移動は、教会に大きな影響を与えることになった。それは、ローマにおける法王権が妨害なく拡大することを容易にしたのである。……」―Großer katholischer Katechismus (偉大なるカトリックの教義問答), p243
「わたしたちは、クロビス王とフランクスが5世紀に教会に加わったということを知っている。『強力なフランクスはアリウス主義に加わらなかったが、カトリックの懺悔と呼ばれた懺悔を概して認めたということは重要な点である。なぜなら、フランクスは次々にゲルマン族を征服したことは、同時にアリアン主義に対するカトリック教会の勝利を意味していたからである。』」―Emil Staub, A. Zimmermann, Bilder aus der Kirchengeschichte (教会歴史からの絵), p44



第9課                   安息日2011年5月28日




謙遜な祈りに対する応答


「だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。」―ヤコブ5:16


理解を求める


1.ダニエルは、8章に与えられた幻の成就に何が起こるのを見ましたか。ダニエルはどのような思いで頭がいっぱいになりましたか(ダニエル5:30, 31; 9:1, 2)。



「ダニエルの祈りは『ダリヨス…の治世の第一年に』捧げられた(同9:1,2)。ダリヨスはメデアの王で、その将軍クロスはバビロンから世界的支配権を奪ったのである。ダリヨスの治世は、神から栄誉を受けた。『彼を強め、彼を力づけ』るために、天使ガブリエルがダリヨスのところにつかわされた(同11:1)。……
『2300の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する』という解答の言葉が、彼の心を大いに悩ました(同8:14)。彼は熱心に幻の意義を知ろうとした。彼はエレミヤが預言した70年の捕囚の期間と、神の聖所が清められる前に経過すると、幻の中で天の聖者が宣言するのを聞いた2300年との間の関係を、理解することができなかった。天使ガブリエルはダニエルに部分的解き明かしを与えたが、彼は『これは多くの日の後にかかわる事だから』という言葉を聞いたときに、気を失ってしまった。」―国と指導者下巻p165,163


2.ダニエルはさらなる理解のために、どのように探究を始めましたか。彼は自分の民に起こったことの原因として何を認識しましたか(ダニエル9:3-8)。


「彼はその訴えのなかで、神のみこころに従わなかった人々と自分とを全く同じ状態におき、彼らの罪を自分自身の罪として告白した。……
ダニエルは長い間神に仕え天使によって『大いに愛せられている者』と呼ばれたにもかかわらず、彼は今、神の前に罪人として立ち、彼の愛する民の大いなる必要を訴えたのである。彼の祈りは簡単でありながら雄弁で、しかも熱烈極まるものであった。彼は嘆願して言った。…」―国と指導者下巻p163



祈りと告白


3.彼は何によりすがりましたか。彼は何の律法を覚えていましたか(ダニエル9:9-13)。


「わたしたちもダニエルのように、神に求める大いなる必要があるのではないだろうか。わたしは、自分たちがこの地上歴史のまさに最後の時代に生きていると信じている者たちに呼びかける。わたしは、あなたがわたしたちの教会、学校、わたしたちの施設のために重荷を負うようにと懇願する。ダニエルの祈りを聞かれた神が、わたしたちがくだけた心でこのお方のもとに行く時、わたしたちの祈りを聞いてくださるように。わたしたちの必要は緊急であり、わたしたちの困難は大きいのであるから、わたしたちはそれと同じように大きな目的を持つ必要があり、重荷を負われる大いなるお方の上に、信仰のうちにわたしたちの重荷を置く必要がある。ダニエルが祈った時と同じように、わたしたちの時代においても心が深く動かされる必要がある。」―争闘と勇気p256


4.この律法に関して、モーセは何と告げられましたか。ダニエルは祈りにおいてどのような神の特質を認めましたか(申命記28:15, 36, 37; ダニエル9:14)。



「ダニエルの祈りは、罪に対する完全で心のくだけた告白をするために用いられた。彼は主の方針を完全に立証し、預言者モーセによって神が彼らを脅かされたように、自分の民の罪が彼らの災難の原因であることを認めた。」―ダニエル書と黙示録の預言p195
預言者ダニエルは、真の清めの実例である。彼の長い一生は、主のための気高い奉仕に満ちていた。彼は、神に『大いに愛せられる人』であった(ダニエル書10:11)。この栄誉にあずかった預言者は、しかし自分の純潔と清さを主張しないで、自分を真に罪深いイスラエルのひとりとみなし、自国民のために神の前で懇願した。『われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです。』」―各時代の大争闘下巻p199



自分の義はない


5.民が犯した罪を自覚して、彼はどのような熱心な求めをしましたか(ダニエル9:15-18上句)。


「ダニエルは自分の良さを根拠にして嘆願しなかった。彼は『わが神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、われわれの荒れたさまを見、御名をもってとなえられる町をごらんください。われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです』と言ったのである(ダニエル9:18)。彼の強い願いが、彼を真剣で熱心にした。彼は続けて言った。『主よ、聞いてください。主よ、ゆるしてください。主よ、み心に留めて、おこなってください。わが神よ、あなたご自身のために、これを延ばさないでください。あなたの町と、あなたの民は、御名をもってとなえられているからです。』」―彼を知るためにp271



6.彼も彼の民も何に信頼することができませんでしたか。従って、彼は何に頼りましたか(ダニエル9:18下句, 19)。


「今預言者は、自分の嘆願が聞かれることを願うのは、主の御名の誉れのためであると懇願する。……神が野心や虚栄心の動機で動かされるということではなく、ご自分の民がこのお方の御名の誉れを熱望し、自分たちの利益のためではなく、このお方の栄光のために、また異邦人たちの間でこのお方の御名が辱められ冒涜されることがないように働かれるようにと懇願することによって彼らの愛を示す時、それはこのお方に受け入れられるのである。ダニエルは御名をもってとなえられているエルサレムの都と、このお方が大いに愛されたこのお方の聖なる山のために執り成し、このお方の憐れみによってこのお方の怒りを取り去ってくださるように嘆願した。ついに彼の思いは聖なる聖所、すなわち地上において神が住まわれる所に集中する。そして彼は、荒廃を回復してくださるよう嘆願する。」―ダニエル書と黙示録の預言p196



迅速な応答


7.彼は、この祈りを通してどのような素晴らしい経験をしましたか。そしてどの任務が完了されようとしていましたか(ダニエル9:20-23; 8:16)。


「天の神はダニエルの熱心な祈りに、耳を傾けておられた。赦しと回復を求める彼の嘆願が終わらないうちに、大いなる天使ガブリエルが彼に現れ……た。」―国と指導者下巻164,165
「しかし神は、『この幻をその人に悟らせよ』と天使に命じておられた。この命令は遂行されねばならなかった。天使は、それに従って、しばらくたったときに、ダニエルのところにもどって、『わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。』『ゆえに、このみ言葉を考えて、この幻を悟りなさい』と言った(ダニエル書8:27,16,9:22,23,24-27)。8章の幻のなかで、重要な点が一つ説明されていなかった。それは、時、すなわち2300日の期間に関するものであった。」―各時代の大争闘下巻p11,12

個人的な研究のために

• 天国でp75, 87
• セレクテッド・メッセージ3巻p353
• ダニエル書と黙示録の預言p193-196


第10課                   安息日2011年6月4日




謙遜な懇願者に与えられた光




「すなわちわたしが祈の言葉を述べていたとき、……かの人ガブリエルは、……わたしに告げて言った、『ダニエルよ、わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。」―ダニエル9:21, 22



70週が定められている



1.大いなる出来事が起こる前に、どれぐらいの時間がユダヤ人に与えられましたか。預言の時間はどの手掛かりに従って計算されていますか(ダニエル9:24上句; 民数記14:34; エゼキエル4:6)。


「70週。これが、天使がダニエルに教えを与えるためにやって来た時に、ダニエルに初めに出した言葉であった。なぜ彼は突然その期間を示したのだろうか。わたしたちはもう一度ダニエル8章の幻に言及しなければならない。わたしたちは、その章の終りにおいて、ダニエルが幻を理解しなかったということを見た。」―ダニエル書と黙示録の預言p201
「ミラーは、聖書を聖書自身の注解書とするという彼の規則に従って、象徴的預言においては、一日が一年を表わすことを知った(民数記14:34; エゼキエル4:6)。」―各時代の大争闘下巻p10



2.この期間の終わりに何が起こるのでしたか(ダニエル9:24下句)。



ドイツ語メンジ翻訳は次のようになっています。「あなたの民と、あなたの聖なる町については、70週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義〔救い〕をもたらし、幻と預言者〔の言葉〕を封じ、いと聖なる者に油を注ぐ〔聖別する〕ためです。」
「70週、または2300日の中の490日がエルサレムユダヤ人のために当たられていた。その期間の間に成就される出来事が簡単に記述されている。とがを終わらせる、すなわちユダヤ国民はキリストを拒み十字架に付けることによって彼らのとがの杯を満たすのであった。罪の終わり、すなわち罪祭の終わり〔ヘブル語のchattathという言葉は、ダニエル9:24に「罪」と訳されており、それは罪と罪祭を意味している〕が告げられるのであった。これはカルバリーで大いなる供え物が捧げられた時、行われたのであった。不義のためのあがないがされるのであった。これは神の御子の犠牲的死によって達成されたのであった。永遠の義、すなわちわたしたちの主が罪の無いご生涯で示された義がもたらされるのであった。この幻と預言は封じられ、すなわち確実にされるのであった。」―ダニエル書と黙示録の預言p203



始まりの日


3.どの出来事が、この預言の始まりを特徴づけましたか。どこにこの命令を見つけることができますか。その命令はいつ与えられましたか(ダニエル9:25上句; エズラ6:14; 7:11-28, 7)。


「ここで『定められています』と訳された言葉は、字義的には、『切り取る』という意味である。70週、すなわち490年は、特にユダヤ人のために切り取られていると天使は宣言した。しかし、それは、何から切り取られたのであろうか。2300日がダニエル書8章において述べられている唯一の期間であるから、70週が切り取られたのは、それからに違いない。したがって70週は、2300日の一部であり、この二つの期間は、同時に始まるものでなければならない。70週は、エルサレムを建て直せという命令が出た時から始まると、天使は言明した。この命令の年代を発見することができるなら、2300日という長い期間の起算点も確かめることができる。……
勅令を発し、確認し、完成したこれら三人の王によって、預言が2300年の起算点として要求していることが成し遂げられた。勅令が完全なものとされた紀元前457年を出発点として、70週に関する預言はすべて成就されたことがわかった。」―各時代の大争闘下巻p13,14


70週のために預言された出来事


4.69週(483年)の後、また何年にどなたが現れるのでしたか。70週の最後の週の間に何が起こるのですか(ダニエル9:25, 27上句)。



「その時から483年がたつと、紀元27年の秋になる。その時、この預言は成就した。『メシヤ』とは、『油を注がれた者』という意味である。キリストは、紀元27年の秋、ヨハネからバプテスマを受け、聖霊の油を注がれた。……ここで言われている『一週』は、70週の最後の週のことである。それは、ユダヤ人のために特に定められた期間の最後の7年である。紀元27年から34年に及ぶこの期間内に、最初はキリストご自身によって、そしてその後は彼の弟子たちによって、福音の招きが特にユダヤ人たちに与えられたのである。」―各時代の大争闘下巻p14,15



5.これはキリストの働きにおいても、どのように実行されましたか。70週の最後の週の半ば、またはイエスが油注がれてから3年半の後に何が起こりましたか(マタイ10:5, 6; 15:22-24; ダニエル9:26上句, 27中句)。



「『彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう』紀元31年、われわれの救い主は、そのバプテスマから3年半の後に十字架にかかられた。カルバリーにおいてささげられた大いなる犠牲によって、4000年の間神の小羊を指し示してきた犠牲制度は終わった。型は実体と出会い、儀式的な制度のあらゆる犠牲と供え物は、そこで終わるのであった。」―各時代の大争闘下巻p15



6.どの出来事が70週(490年)の終わりを特徴づけましたか(使徒行伝8:3-8; 10:1-5, 26-28, 34, 35; 22:21)。



ユダヤ人のために特に定められた70週、すなわち490年は、これまで見てきたように、紀元34年で終わった。ユダヤ国民は、その時、サンヒドリンの決議によって、ステパノを殉教させ、そしてキリストの弟子たちを迫害することにより、福音の拒否を決定的なものにしてしまった。それ以後、救いのメッセージは、もはや選民に限られることなく、全世界に伝えられた。迫害のためにエルサレムを逃げなければならなくなった弟子たちは、『御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。』」―各時代の大争闘下巻p15


残された時



7.70週(490年)を2300年から引くと、あとどのくらいの時間が残りますか。それは何年になりますか。エルサレムの古い都とユダヤ人は国民として、救いの計画において再び果たす役割があるでしょうか(ダニエル9:26下句)。


「70週、すなわち490日が2300日から切り取られると、あとに1810日が残る。490日が終わったあとで、1810日もまた成就するはずであった。紀元34年から1810年たてば、1844年になる。」―各時代の大争闘下巻p16
「古い都エルサレムへ行くことが自分たちの義務であると考え、主が来られる前に、そこでなすべき働きがあると考えて、大いなる誤りに陥っている人々を、わたしは示された。……わたしは、また、昔のエルサレムは二度と建設されないことを見た。また、この集められる時に、サタンは、全力をあげて、神の民の心をこのような事へとそらし、主のみわざのために今しなければならない事に全力を尽くすのを妨げ、主の日に対する必要な準備を怠らせようとしているのを、わたしは見た。」―初代文集p156,157


個人的な研究のために

「ご自分のお選びになった器を通して、神はかしこくもその御目的をお知らせになるであろう。それから、広大な贖いの御業が前進するのである。人々は、メシヤが彼の犠牲によってもたらされた不法に対する和解と、永遠の義について学ぶことであろう。カルバリーの十字架が大中心である。この真理に従うなら、これはキリストの犠牲を効果的にするであろう。これこそ、ガブリエルが熱烈な祈りに答えてダニエルに表したことである。変貌の山でモーセとエリヤとキリストが語り合ったのは、この事についてであった。十字架のへりくだりによってキリストは、彼に従って歩むすべての人が世から分離されるという有力な証拠を与え、永遠の救いを彼にもたらされるはずであった。」―(手紙201, 1899)SDAバイブル・コメンタリー4巻p1172, 1173
 「わたしたちの生活におけるすべての行動、すべての言葉、すべての時間は、わたしたちの聖なる信仰の印象を与えられなければならない。万物の終わりが近づいているのであるから、わたしたちは無駄にする時間や神に反して快楽のために生きる時間はない。……
 各自には特別な賜物やタラントが委ねられており、それは贖い主の王国を進展させるために用いられるべきである。責任を負わせられている神のすべての代理人は、教会における地位が最も低く人目につかない者から地位の高い者まで、主の財産を委ねられている。魂の救いのために働くことができる者は、牧師だけではない。最も小さい賜物を持っている者は、自分の持っている最高の賜物を用い、自分のタラントを増加させることから免れないのである。道徳的責任を軽視し、小さな事柄を軽蔑することは安全ではない。神の摂理は、人々の様々な能力に従ってご自分の信任を与えられるのである。」―教会への証4巻p618




第11課                  安息日2011年6月11日




主の裁きの時が来た




「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め。」―黙示録14:7



地上の聖所における奉仕


1.地上の聖所はどのように分けられていましたか。悔い改めた罪人は、犠牲制度の下で何をしますか(ヘブル9:2-5; レビ記4:27-29)。


「悔い改めた罪人は供え物を幕屋の戸口にたずさえ、このいけにえに手を置いて罪を告白し、こうして象徴的にその罪を彼自身から無垢の犠牲の上に移し変えた。それから動物は、彼の手で殺された。祭司は、血を聖所に運んで、この罪人の犯した律法を入れた箱の前方にたれているとばりの前に注いだ。この儀式によって、罪は血によって象徴的に聖所に移された。」―人類のあけぼの下巻p418



2.このように罪が移された時、聖所はどうなりましたか。聖所の清めは、毎年いつ行われましたか(レビ記23:26-32)。


「このようにイスラエルの罪が聖所に移されたので聖所は汚れ、そのため、罪を取り除く特別のつとめが必要となった。」―人類のあけぼの下巻p419
「一年に一度、大いなる贖罪の日に、大祭司は聖所を清めるために至聖所に入った。そこで行なわれた務めによって、一年間の務めが完了した。……」―信仰によって私は生きるp198



清めの奉仕



3.象徴的な清めはどのように行われましたか。大祭司は、至聖所での奉仕を終えた後何をしましたか。罪は、実際に動物の血によって取り除かれましたか(レビ記16:15, 16, 20-22; ヘブル10:3, 4)。


「贖罪の日に、大祭司は会衆のための供え物をとり、血をたずさえて至聖所にはいり、それを律法の板の上の贖罪所に注いだ。こうして、罪人の生命を求める律法の要求が満たされた。次に、祭司は、仲保者として自分の上に罪を負い、聖所を出てイスラエルの罪の重荷をになった。彼は幕屋の戸口でアザゼルのやぎに手を置き、『イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ』た。そして、これらの罪を背負ったやぎが送り出されるときに、罪はやぎと共に、永遠に民から切り離されたものとみなされた。」―人類のあけぼの上巻p420



天の聖所の清め


4.どなたがモーセに聖所の建設と奉仕のための計画を与えられましたか。それは何を模倣していましたか。実際の聖所において、大祭司はどなたですか(出エジプト記25:9, 40; ヘブル8:5, 1, 2)。


「聖所の清めとは何であろうか。地上の聖所に関連してこうした儀式があったことは、旧約聖書に記されている。しかし、天において、清められなければならないものがあるのであろうか。ヘブル9章には、地上と天の両方の聖所の清めが明らかに教えられている。…… 
この清めは、型としての儀式においても実際の儀式においても、血によって成し遂げられなければならない。前者は、動物の血によって行なわれ、後者は、キリストの血によって行なわれる。……
〔キリスト〕は、ご自分の民のために、完全で十分な許しと義認だけでなくて、彼らが、ご自分の栄光にあずかり、共にみ座につくことを求められるのである。」―信仰によって私は生きるp206


5.古い契約の下で動物の犠牲によってどなたが表されていましたか。天の聖所の清めはいつ始まりましたか(ヨハネ1:29; ダニエル8:14)。


「古代において、民の罪が、信仰によって罪祭の上におかれ、そしてその血によって、象徴的に地上の聖所に移されたように、新しい契約においては、悔い改めた者の罪は、信仰によってキリストの上におかれ、そして実際に天の聖所に移されるのである。そして、地上の聖所の型としての清めが、それを汚してきた罪を取り除くことによって成し遂げられたように、天の聖所の実際の清めも、そこに記録されている罪を取り除くことによって、すなわち消し去ることによって、成し遂げられねばならない。……
こうして、預言の言葉の光に従った者たちは、キリストは、2300日が1844年に終了した時に、この地上に来られるのではなくて、再臨に備えて贖いの最後の働きをするために、天の聖所の至聖所に入られたのだということを知った。」―各時代の大争闘下巻136,137



裁きの時



6.ダニエルはこれらの出来事をどのように描写しましたか(ダニエル7:9, 10, 13)。


「ここに描かれているキリストの来臨は、キリストが地上に再臨されることではない。キリストは、天において日の老いたる者のもとに来られるのであって、それは、彼の仲保者としての働きが終わるときに与えられる「主権と光栄と国」とをお受けになるためである。2300日の終わりである1844年に起こると預言されたのは、この来臨のことであって、キリストが地上に再臨されることではなかった。われわれの大祭司は、天使たちを従えて、至聖所に入り、神のみ前で、人類のための彼の最後の務めをなさる。それは、調査審判の働きであり、贖罪の恵みにあずかる資格があることを示したすべての人のために贖いをなさることである。」―各時代の大争闘下巻p211


7.主はこの時から生存する者たちに、どのようなメッセージを送られましたか。告白され、イエスの血によって許された罪は、最終的に誰の上に置かれますか(黙示録14:6, 7)。


「キリストが、彼の務めの最後に、ご自身の血によって、天の聖所からご自分の民の罪を除去されるとき、彼はそれをサタンの上におかれる。サタンは、審判の執行において、最終的な刑罰を負わねばならない。アザゼルのやぎは、人里離れた地へと追い払われ、イスラエルの宿営には二度と帰って来なかった。そのように、サタンは、神と神の民の前から永遠に追放される。そして、罪と罪人の最終的な滅亡の時に消し去られるのである。」―各時代の大争闘下巻p137
「しかし、2300日に関連した聖所問題、また神の律法とイエスの信仰などの問題は、過去の再臨運動を説明して、われわれの現在の立場を示〔す〕……ように十分に計画されたものである。わたしはしばしばこれらが、使命者たちが詳しく話すべき重要な問題であることを見た。」―初代文集p131


個人的な研究のために

レビ記16章
• ヘブル7章、9章
• 各時代の大争闘下巻p151,152

「清めは、肉体的汚れを除くことではなかった。清めは血で成し遂げられなければならなかったので、それは罪からの清めでなければならない。
しかし、天であろうが地上であろうが聖所と関係してどうして罪が存在することができるのだろうか。
古代、罪祭の血によって地上の聖所に民の罪が象徴的に移されたように、わたしたちの罪は実際的に、キリストの血によって天の聖所に移されるのである。罪によって汚された地上聖所の象徴的な清めが、罪を取り除くことによって成し遂げられたように、天の実際的な清めも、記録されている罪を取り除くことによって成し遂げられるのである。これは、罪を悔い改め、キリストに対する信仰を通して誰がこのお方の贖いの益を得る権利があるかを決定するために、記録の書の調査を必要とするのである。
従って〔最後の報いの大いなる日に〕キリストの贖いの血の徳によって、真に悔い改めたすべての者の罪が、天の書から消し去られるのである。」―信仰によって私は生きるp206



第12課                  安息日2011年6月18日



目に見えない世界での戦い



ペルシャの国の君が、二十一日の間わたしの前に立ちふさがったが、天使の長のひとりであるミカエルがきて、わたしを助けたので、わたしは、彼をペルシャの国の君と共に、そこに残しておき。」―ダニエル10:13


栄光に輝く、力強い人の出現


1.ユダヤ人は紀元前536年にエルサレムに戻って再建を始める許可をクロス王から受けた後、何を経験しましたか。預言者ダニエルはこれについてどのように考えましたか(エズラ3:8; 4:4, 5; ダニエル10:1)。


エズラの時代にエルサレムの神殿が再建されたとき、サマリヤ人はユダヤ人といっしょに建築にあたりたいと望んだ。この特権は拒否され、サマリヤ人とユダヤ人との間にはげしい憎しみが生じた。サマリヤ人はユダヤ人に対抗してゲリジム山に神殿を建てた。ここで彼らはモーセの儀式に従って礼拝したが、一方また偶像礼拝もまったく捨てきってはいなかった。」―各時代の希望下巻p223
「この節[ダニエル10:1]は預言者ダニエルの最後の幻を導入している。この時彼に与えられた指示はダニエル11章と12章に続いている。」―ダニエル書と黙示録の預言p225



2.預言者は何を経験しましたか。同じような描写をどこに見いだすことができますか。これはどなたでしたか(ダニエル10:4-6; 黙示録1:13-15)。


「神の御子ご自身に他にならないお方が、ダニエルに現れた。この描写は、キリストがパトモス島でヨハネに現れた時、彼によって与えられたものに似ている。今や我らの主は,終わりの日に起ころうとしていることをダニエルに教えるために、もう一人の天の使者と一緒に来られる。この知識はダニエルに与えられ、世の終わりに臨もうとしている我々のために、霊感によって記録された。」―(レビュー・アンド・ヘラルド1881年2月8日)SDAバイブル・コメンタリー4巻p1173


3.この啓示はダニエルにどのような印象を与えましたか。この時、他に何が起こりましたか。誰が彼を起こしましたか(ダニエル10:7-12)。



「ダニエルが威厳あるキリストの出現に倒れた後、明らかに11節から13節の語り手である天使ガブリエルがダニエルに手を置いて、彼に平安と確証を与えた。彼はダニエルに、彼が大いに愛せられる人であると告げた。何と素晴らしい宣言だろう。人間家族の一員であり、わたしたちと同じ人間が、神が人類のためにご自分の御子を死に渡された時、全世界を愛されたというただ一般的な意味で愛されたのではなく、個人としてそのように愛されたのである。言うまでもなく預言者はそのような宣言によって確証を受けただろう。さらに天使は、自分が彼と話すために来たのであり、彼がこれらの言葉を理解するために思いを正しい状態にするために来たことを告げた。そのように確信させられた聖なる愛された預言者は、天使の前に震えながら立ちあがった。」―ダニエル書と黙示録の預言p227


悪天使が働きを妨害する



4.なぜダニエルは、3週間の熱心な祈りと嘆願の間、答えを得なかったのですか。他に誰がそのような君について語りましたか(ダニエル10:13上句; エペソ6:11, 12)。


「サタンがメド・ペルシャ王国の最高の権威者に働きかけて、神の民に敵意を示させようと努力する一方において、天使たちは捕囚の民のために働いていた。この争闘は、全天が関心を持ったものであった。われわれは預言者ダニエルによって、善と悪との軍勢間の、大きな戦いの片鱗を知ることができる。ガブリエルは三週間にわたって、クロスの心に働いていた影響力に対抗しようとした、暗黒の勢力と戦った。……」―国と指導者下巻p178



5.天使と悪天使の間のこの戦いにおいて、初めて勝利が得られたのはいつでしたか。他に何がダニエルに示されましたか(ダニエル10:13下句, 14)。



「そしてその戦闘の終了に先立って、キリストご自身がガブリエルを助けに来られた。……天が神の民のためになし得ることは、すべてなされた。勝利はついに得られた。……」―国と指導者下巻p178
「神の御目的がその時に成就するのに先立って、天来の器は障害物と戦わねばならないことが、我々はこれによって分かる。ペルシャの王は、全悪天使の長によって支配されていた。彼は、パロのように主の御言葉に従うことを拒んだ。『彼はユダヤ人に対して申し立てをし、21日の間わたしの前に立ちふさがったが、ミカエルが来て私を助けたので、悪い勧告に抵抗して正しい勧告を与え、その勢力を食い止めるために、彼をペルシャの王と共に、そこに残しておきました』とガブリエルは明言した。善と悪の天使たちは、神の地上王国におけるご計画に参加している。神の栄光を前進させる方法で、御事業を正しい道にあって進展させることが神の御目的であるが、サタンは常に、神の御目的に対抗しようと努めている。神の御前にへりくだることによってのみ、神の僕たちは御業を前進させることができるのである。彼らは、成功しようとして、自己の努力や外面的な見せびらかしに対して頼るべきではない。」―(手紙201, 1899) SDAバイブル・コメンタリー4巻p1173 



力と光が与えられる


6.再び何が起こりましたか。サタンと彼の天使はついにあきらめましたか(ダニエル10:15-21)。


預言者はようやく天使が告げに来たことをすべて聞く力がついた。ガブリエルは『あなたは、わたしがなんのためにきたかを知っていますか』と言った。すなわち、あなたは、もう恐れることがないために、わたしの目的を理解しましたか。そして彼は、話が終わると直ぐ、ペルシャ王と戦うために戻るという意図を告げた。」―ダニエル書と黙示録の預言p230


7.その時、他に誰が悪の抵抗を見せられましたか。キリストの来臨に先立つものとして、どのような悪の力の働きが描写されていますか(ゼカリヤ3:1-5; 黙示録16:14)。


「そして、主は彼らに励ましのメッセージを送り、ご自分が彼らを捕らわれの身から救い、ご自分の恩恵のうちに回復されるということを宣言された。サタンはこれを食い止めようと決心した。イスラエルの残りの者はすでに彼らの地に戻り、サタンは彼らを全く滅ぼすための手下である異国の者たちに働きかけた。
ヨシュアが神の約束の成就を嘆願しているときに、サタンは大胆に立ち上がって彼に抵抗する。サタンは、イスラエルが神の恵みに回復されるべきでない理由として、彼らの罪を指摘するのである。サタンは彼らを自分の餌食であると主張し、彼らを滅ぼすために彼の手に引き渡すことを要求する。……
 目に見える世界から目に見えない世界を隔てている幕が上げられ、神の民が人の贖いに関してキリストと聖天使と、サタンと彼の悪天使の軍勢の間に行われている大争闘を見ることができるなら、もし彼らが罪のくびきから魂を救う神の素晴らしい働きを理解し、悪人の悪から彼らを保護するために神の力が絶えず働いていることを理解することができるなら、彼らはサタンの策略に抵抗するためによりよい準備ができるであろう。」―教会への証5巻p467, 468

個人的な研究のために

「この時、最も威厳のある方がダニエルを訪問された。ここで彼に与えられている描写は、黙示録1:14-16にあるキリストの描写とほとんど同じである。また、ダニエルに対する影響は、主がダマスコへの道中でパウロと彼の仲間に現れた時(使徒行伝9:1-7)の彼らの経験に似ているのであるから、キリストご自身がダニエルに現れたと結論することができる。13節にペルシャの王に影響を及ぼすために、ミカエルがガブリエルを助けに来たということが分かる。従って、この時このお方がダニエルにご自身を表されたということは自然な事である。」―ダニエル書と黙示録の預言p226
「ダニエルが神から直接受けた光は、特に最終時代のために与えられた。シナルを流れる大きなウライ川とヒデケル川のほとりで彼が見た幻は、現在成就の過程にあり、予告されたすべての出来事は、まもなく起こるであろう。」―(手紙57, 1896)SDAバイブル・コメンタリー4巻p1166




第13課                  安息日2011年6月25日


ダニエルの最後の幻



「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。」―ダニエル12:1
ダニエル書11章には、2,7,8章に簡単に描写されていた世界の帝国の様々な支配者が詳細にわたって描写されています。わたしたちは、すでにそれについては全般的に学んだので、終わりの時代の最も重要な出来事に焦点を当てます。



迫害



1.1260年の法王権の迫害の期間の間、神の多くの忠実な民の運命はどのようなものでしたか。主は憐れみによってご自分の子供たちに何を送られましたか(ダニエル11:33, 34上句)。


「真理を保ち、同胞に義の道を教えるために奮闘していた者たちに対する法王権の迫害の長い期間がここに明らかにされている。そのように彼らが倒れる期間がダニエル7:25、12:7、黙示録12:6, 14、13:5に与えられている。この期間は『ひと時と、ふた時と、半時』『1年、2年、半年』『1260日』『42ヶ月』と呼ばれている。これらすべての表現は、法王権の支配の時と同じ1260年を意味する様々な表現である。」―ダニエル書と黙示録の預言p279



2.イエスはこの迫害の期間について何と言われましたか。サタンは改革の働きをどのように滅ぼそうとしましたか(マタイ24:21, 22; ダニエル11:34下句; 使徒行伝20:30)。


「教会の迫害は、1260年の全期間を通じて続いたわけではなかった。神は、神の民をあわれんで、火のような試練の期間を短縮された。救い主は、教会にふりかかる『大きな患難』を預言して言われた。『もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう』(マタイ24:22)。迫害は、宗教改革の影響を受けて、1798年より前に終わったのである。……
しかし、サタンも、手をこまぬいてはいなかった。彼は、今、他のあらゆる改革運動において試みてきたことをしたのである。すなわち、真の改革事業の代わりに偽物をつかませて人々を欺き、滅ぼそうとした。キリスト教会の第一世紀に偽キリストたちが現われたように、十六世紀にも偽預言者たちが現われた。
宗教界の騒ぎに強く刺激された2、3の者が、自分たちは天からの特別の啓示を受けたと思い込んだ。そして、自分たちは、ルターが細々と始めた改革を完成させるよう神の任命を受けたと主張した。しかし、実際には、彼らはルターが成し遂げた働きそのものをくつがえしていた。……
ローマ側は自信をとりもどし、『あともう一戦交えれば、すべてはわれわれのものだ』と勝ち誇って叫んだ。」―各時代の大争闘下巻p341,227,230


3.この迫害は、最終的に終わりましたか(ダニエル11:35)。


「同じ法王権の迫害が明らかにされている黙示録12章に、わたしたちは、地が口を開けて、龍が吐き出した川を飲み干すことによって女をたすけたということを読むことができる。マルチンルターと彼の同僚によって始められたプロテスタントの改革は、ここに預言されている助けを供給した。ドイツ国家はプロテスタントの働きを支持し、改革者たちを保護し、ローマ教会によってなされていた迫害の働きを抑制した。しかしプロテスタントが助けられ、彼らの働きが一般的に受け入れられるようになると、多くの者たちはお世辞によって彼らに加わり、卑劣な動機によって信仰を受け入れるようになった。……
抑制されたのにもかかわらず、迫害の精神は破壊されなかった。それは機会がある時にはいつでも勃発した。」―ダニエル書と黙示録の預言p279


フランスの役割


4.フランスは、法王権に奉仕することによる犯罪のために何を得ましたか。この混乱の只中にあって、誰が軍事力を取りましたか(ダニエル11:36-39)。



カトリックが罪のないプロテスタントに与えた残酷な仕打ちは、報復の重さを積み上げていた。そして、彼らが国王と政府と国民について予言したとおりのことが、後世において行なわれた。……300年後になって、フランスにこうした不幸をもたらしたのは、プロテスタントの……圧迫のゆえであった。……
『宗教に影響を及ぼすこれらの法律と密接な関係があったのが、結婚を軽視した法律であった。結婚は人間が結ぶ最も神聖な契約であって、その永続が社会の統合に最も貢献するものであるにもかかわらず、これを、二人の人間が随意に結んだり解いたりできる単なる一時的な民事契約にしてしまった。』」―各時代の大争闘下巻p349,350,346



北と南の王


「終りの時」に言及するダニエル11:40-43の初めの部分に、次のような解説が与えられています。「長い隔たりの後、南の王と北の王が再び行動の舞台にあらわれる。」―ダニエル書と黙示録の預言p289



5.終わりの時、北の王は将来にある戦いで何をしますか。これは信者にとって、どのような重要なしるしですか(ダニエル11:44, 45; 12:1上句)。


「わたしたちが、神の預言が歴史において成就するのを見る時、わたしたちの信仰は神の預言的言葉の最終的完成において強められるのである。
45節の預言は、北の王として知られている力に集中している。……
北の王について、『彼はついにその終りにいたり、彼を助ける者はない』と預言されている。彼の終局がどのようにまたいつどこでやって来るかは、摂理の手が諸国の運命を導いておられることを知って、わたしたちは厳粛な関心を持って見守るのである。」―ダニエル書と黙示録の預言p299
この預言は、終わりの時に北の王が自分の王座(「天幕の宮殿」)をエルサレムに移すという事実を示しています。聖書によると、この都は地中海と死海の間に位置する聖なる山として表されています。


最後の出来事



6.その時、何が終わり、何が始まりますか。イエスが戻られる前に何が起こりますか(黙示録22:11; ダニエル12:1下句, 2, 3)。



「イエスが聖所を去られると、暗黒が地の住民をおおう。その恐ろしい時に、義人は仲保者なしに聖なる神のみ前に生きなければならない。……その時サタンは、地の住民を大いなる最後の悩みに投げ入れる。神の天使たちが人間の激情の激しい風を抑えるのをやめると、争いの諸要素がことごとく解き放たれる。……
墓が開かれる。『地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう』(ダニエル書12:2)。第三天使の使命を信じて死んだ者はみな、栄化されて墓から現われ、神がご自分の律法を守った者たちと結ばれる平和の契約を聞くのである。『彼を刺しとおした者たち』(黙示録1:7)、キリストの死の苦しみをあざ笑った者たち、そして、キリストの真理とその民とに対して最も激しく反対した者たちは、栄光をまとわれたキリストをながめるために、また、忠実で従順な者たちに与えられる誉れを見るために、よみがえらせられる。」―各時代の大争闘下巻p386,415



悟りのための熱心な研究と祈り


7.この幻に何が起こるのでしたか。神の忠実な僕にどのような確証が与えられましたか(ダニエル12:4, 8-13)。


「この世界の歴史の終末が近づくにつれて、ダニエルが記した預言はわれわれが住んでいる時代そのものに関するものであるから、特別に注意を払わなければならない。それとともに、新約聖書の最後の書の教えを結びつけなければならない。サタンは、ダニエル書とヨハネが書いた黙示録の預言的部分は、理解することができないと多くの人々に思い込ませている。しかし、これらの預言を研究する者には特別の祝福が与えられると、明らかに約束されているのである。終わりの時に封が開かれるダニエルの預言に関して、『賢い者は悟るでしょう』と語られたのである(同12:10)。そして各時代にわたる神の民の指針として、キリストがそのしもべヨハネにお与えになった啓示については、『この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである』との約束が与えられているのである(ヨハネの黙示録1:3)。」―国と指導者下巻156,157


個人的な研究のために


「ダニエルとヨハネの預言は理解されなければならない。それらは互いに説明している。それらはすべての者が理解しなければならない真理を世界にもたらしている。これらの預言は世界に証される。この最終時代に、それらの預言が成就することによって、自らを説明するであろう。」―SDAバイブル・コメンタリー7巻p949
「すべての者は、個人的に真理を理解する必要を理解すべきである。わたしたちは、注意深く祈りをもって研究されてきた教理を理解しなければならない。わたしたちの民の間で、第三天使のメッセージの起こりとその進展についての知識が大いに欠乏していることがわたしに示された。ダニエル書と黙示録を探求し、書かれていることを理解するために、聖句を徹底的に学ぶ必要が大いにある。」―セレクテッド・メッセージ2巻p392
「ダニエルと黙示録の書がさらに良く理解されるなら、信者たちは全く異なった宗教経験を得るであろう。天の開かれた門から素晴らしい光景を垣間見ることによって、彼らの心と思いは、心の清い者の報いとなる祝福を得るために、すべての者が発達させなければならない品性によって感銘を受けるのである。」―牧師と福音宣伝者への証p114


トーゴからの伝道報告


2011年6月25日に読んでください。
特別安息日学校献金は2011年7月2日の安息日に集められます。


「主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。」―マタイ24:45-47
改革のメッセージは、2006年に公式にトーゴに伝えられました。この国はアフリカの西海岸の比較的小さい国で、東にベナン共和国、西にガーナ、北にブルキナファソ、南に大西洋が隣接しています。この国は、5万6785平方キロメートル(2万1925平方マイル)の面積と約600万人の人口があります。かつてトーゴはフランスの植民地で、今でもフランス語が公用語です。また、他のアフリカの現地語も学校や商業でさえ非常に一般的です。経済的に、この国は非常に貧しく、物価は非常に高いです。
異教信仰や伝統的宗教がこの国ではまだ一般的で、人口の40%が信奉者です。クリスチャンが約35%を構成している一方で、イスラム教徒は約20%です。ローマカトリック教はキリスト教の中で最も主要な宗教です。2005年に、ガーナからクリスチャン・ドクソドール兄弟は、私用でトーゴを訪問して、何人かの関心がある魂に会いました。2006年に、彼は、首都ロメにおける最初のグループを訪問するために、わたしたちを連れて行きました。 この旅行にはカナダからの宣教者である姉妹、レイラ・マクタビッシュとエダ・テッドフォードが同伴してくれました。ジェームス・エッツエの指導の下で小さなグループが作られました。その後、追加的な霊的助けとバプテスマを授けるために、ガーナフィールドからの兄弟たちがトーゴを訪問しました。2008年わたしはジンバブエからのインマヌエル・チレシェ兄弟と三度目の訪問をし、さらに多くの魂がバプテスマを受けました。
トーゴでの働きは非常にゆっくり進んでいます。その理由は、常任の宣教師がいないこと、教会の登録がないこと、働きを統合するための本部のオフィスがないことです。この国の法律は、すべての宗教組織が本部と礼拝の場所を持つことを要求しています。この国で多くの魂に宣教をする素晴らしい可能性があります。従って、宣教師とフランス語の資料の大きな必要があります。
来週の特別安息日学校献金は、以上に述べた必要に応えるためにトーゴに送られます。聖霊が一人一人の心に感銘を与え、天において報いを与えられる心からの犠牲を捧げるようにしてくださいますように。以下の霊感を受けた文章が皆さんの心に触れますように。
「地上での神の働きは、教会を構成している人々が結集して働き自分たちの努力を牧師と教会の役員の努力と一致しない限り、決して完成されることはない。」―教会への証9巻p117
「『全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ』(マルコ16:15)という言葉はキリストの弟子の一人一人に語られたのである。キリストのような生涯のために任命されたすべての者は、同胞の救いのために働くように任命されたのである。キリストが失われた者を救うために感じられたのと同じ願望が、彼らのうちに見られるべきである。すべての者が同じ場所を埋めることはできないが、すべての者に場所と働きがある。神の祝福が与えられた者たちは、実際的奉仕によってそれに応じるべきである。すべての賜物はこのお方の御国の進展のために用いられるべきである。」―教会への証8巻p16
P.N.シリマ
世界総会第二副総理