「真の宗教は健康を促進」

 「〔知恵〕の道は楽しい道であり、その道筋はみな平安である。」(箴言3:17)


 この世界はすべてが悲しみと悲惨ではない。「神は愛である」(ヨハネ第一4:16)という言葉が、すべての開くつぼみに、すべての花びらに、すべての草の上に書かれている。罪ののろいが、地にとげやあざみを生えさせたけれども、あざみには花が咲き、とげはばらの花でおおわれている。自然界のものは、みな、父親のように思いやりのある神の保護と、子供たちの幸福を願う神の心を証拠立てている。神の禁止や命令は、ただ神の権威を誇示するだけのものではない。神は、神の子供たちの幸福を考えて万事を行なわれる。神は、彼らが所有することが最も幸福であるものを、何一つ捨てることをお命じにならない。
 社会の一部の人々は、宗教が健康または、この世の幸福を増進するものでないと考えているが、これは、はなはだしいまちがいの一つである。聖書には次のように書いてある。「主を恐れることは人を命に至らせ、常に飽き足りて、災にあうことはない」(箴言19:23)。「さいわいを見ようとして、いのちを慕い、ながらえることを好む人はだれか。あなたの舌をおさえて悪を言わせず、あなたのくちびるをおさえて偽りを言わすな。悪を離れて善をおこない、やわらぎを求めて、これを努めよ」(詩篇34:12〜14)。「それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである」と知者は言っている(箴言4:22)。
 真の宗教は、体的、知的、道徳的に、人間を神の律法に調和させる。それは、自制と落ち着きと節制とを教える。宗教は、精神を高尚にし、趣味を洗練し、判断を清める。それは、人間を天の清らかさを持った者とする。神の愛と摂理の支配を信じる信仰は、心配や苦労の重荷を軽くする。それは、人間がどんなに高められようが、どんなに低い境遇におかれようが、心を喜びと満足で満たす。宗教は、直接健康の増進と長寿に寄与し、人生のすべての祝福の楽しみを増す。それは、人の心に尽きることのない幸福の泉を開く。それは、人々が求めているものよりもはるかにすぐれたものを、キリストは与えようとしておられることを、キリストを受け入れていないすべての者が悟ることを望むのである。……
 精神と肉体は、非常に密接な関係がある。であるから、道徳的、また、知的に高い標準に達しようと思うならば、われわれの身体をつかさどる法則に注意しなければならない。強力で平均のとれた品性を得ようとすれば、知的、体的能力の両方を運動させて、発達させなければならない。……神から与えられたこの驚くべき身体について研究し、からだを健康に保つための法則を研究すること以上に重要な研究がほかにあろうか。(人類のあけぼの下巻261, 262)

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