「神のご目的を成就する知恵」

 「主を畏れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである。」(箴言9:10)


 人間が持っている心と魂とからだの種々の能力は、すべて神から授かったものであるから、それらを活用して最高にすぐれたものにしなければならない。しかし、これは、利己的で排他的修練ではない。なぜなら、われわれが、似ようとしている神の品性は、慈悲と愛に富んだものだからである。創造主が、われわれにお授けになったすべての能力とすべての性質は、神の栄光と同胞の向上のために用いなければならない。そして、このように活用することが、最も清く、最も気高く、最も幸福な活動である。
 この原則の重要性を認めて、それに忠実に従うならば、現代の教育法のどこかに根本的変化が起こることであろう。教師は、誇りと利己的野心に訴えて、競争心をかき立てようとせずに、善と真理と美を愛する心を起こさせ、美徳を望む心を起こさせようと努力するであろう。学生は、他を越えるためではなくて、創造主のみこころを実現し、神のかたちに似るために、自分に与えられた神の賜物を伸ばそうとするであろう。単に、地上の標準をめざしたり、それ自身萎縮作用をもっている自己高揚の欲望に動かされたりするかわりに、心は創造主に向けられて、彼を知り、彼のようになろうとするであろう。……
 人生の大事業は品性の建設であって、神を知ることはすべての真の教育の基礎である。……神の律法は、神の品性の写しである。だから、詩篇記者は言っている。「あなたのすべての戒めは正しい」「わたしはあなたのさとしによって知恵を得ました」(詩篇119:172, 104)。神は、神のみことばと創造のわざの中に、ご自身を現わされた。霊感によって書かれた書物と自然の書物とによって、われわれは神の知識を得なければならない。
 人間の心は、考えるように訓練された問題に、次第に順応してくるものである。ただありふれたつまらぬことだけを考えていると、心は、萎縮して衰弱する。困難な問題と取り組むことが全然なければ、しばらくするうちに、成長する力をほとんど失ってしまう。教育する力として、聖書に匹敵するものはない。心は、神のことばの中に最も深遠な思想と最も崇高な熱望の主題を見いだす。聖書は、人間が所有する最も教訓の豊かな歴史である。それは、永遠の真理の根源から直接与えられたものである。そして、神のみ手が各時代を通じて、その純粋性を保持してきた。(人類のあけぼの下巻258, 259)

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