「クリスチャン家庭の影響」


「わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」(ヨハネ8:12)


 わたしたちの時間、力強さ、エネルギーは神に属しているので、これらが神の奉仕に捧げられているなら、わたしたちの光は輝く。わたしたちの光は、わたしたちと最も親密につながっているわたしたちの家庭の中で、まず影響を及ぼし、また最も強く影響を及ぼすが、この光は家庭を越えて、「世」にまで広がる。多くの人にとってこの光は命から命に至る香りとなるが、光を見るのを拒む人々、あるいは光のうちに歩むのを拒む人々がいる。この人々は、救い主が、「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである」と言われた種類の人々である。このような人々は非常に危険な状態にあるが、彼らのふるまいが、わたしたちの光を輝かせるのを、わたしたちが怠る言い訳にはならない。
 ある船が、警告の光を無視して岩に乗り上げ、バラバラになったとしても、灯台守がその光を消して、「わたしはもうこれ以上灯台に注意を払わない」と言うとしたらどういう結果がおこるかを考えてみなさい。これは灯台守がとる方法ではない。彼は、岩や浅瀬といった危険な区域に入ってくるすべての水夫の益となるよう、暗闇のはるかかなたまで灯台の光を発しつつ、その光を一晩中灯し続ける。灯台の明かりが消えていたために、ある船が難破したとすれば、そのことは無線で世界中に、このような夜、この地点で、灯台の明かりが消えていたために船が岩に乗り上げてこなごなになったと伝えられるであろう。しかし、もしもある船が、光に注意を払わないで難破するなら、灯台守に罪はない。その船は警告を受けたにもかかわらず、聞き従わなかったからである。
 仮に家庭内で光が消えたとしたらどうなるだろうか。その家の人々はみな暗闇の中にいることになり、灯台の中で明かりが消えるのと同じように、破滅を招くことになるであろう。クリスチャンの方々、人々はあなたがたがこの世の思いわずらいに飲み込まれているか、未来の不死の生涯のために準備をしているかを見ている。あなたがたの生き方の影響力がどのようなものであるか、あなたがたが自分の子供たちを天国のために訓練しつつ、家庭で真の伝道をしているかどうかを知ろうとじっと見ている。
 クリスチャンの最初の義務は家庭の中にある。父母の方々、あなたがたには大きな責任がある、あなたがたは子供たちを命、あるいは死のために準備している。あなたがたは子供たちをこの地上をとどまる場所として、この世で自己満足をするように訓練しているか、あるいは永遠の命のために、永遠に神をほめたたえるために訓練しているのである。どちらであろうか。神があなたがたに信頼して委ねられた子供たちがみな神の特性を受けるということがあなたがたの生涯の重荷となるべきである。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1886年1月14日)

よろしくお願いいたします。

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