「不信心者が抵抗することのできない論拠」

 
「光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい。」(ヨハネ12:36上句)


 秩序のあるクリスチャン家族は不信心者が抵抗することのできない論拠である。不信心者は難癖をつけるすきがない。そして、そのような家庭の子供は、不信心者の詭弁に立ち向かう備えができている。彼らは聖書を自分たちの信仰の土台として受け入れており、無神論の引き潮にさらわれてしまうことのない堅固な土台を持っている。
 キリストは、「あなたがたは世の光である」と言われた。このお方は、わたしたちが保っているようにとタラントを託しておられる。わたしたちはこのお方が委ねて下さった賜物で何をしているのだろうか。わたしたちはその賜物を用いて、このお方の栄光とわたしたちの同胞のために光を輝かせているのだろうか、それとも自分自身を利己的な関心事を推し進めるために用いているのだろうか。多くの人がタラントという賜物を利己的に用いている。わたしたちはみな審判の場におり、良いことをするようにと神が与えて下さった機会を、自分たちがどのように用いたかについて、まもなく申し開きをしなければならないことを彼らは自覚していない。しかし、自分たちの技術や教育、機転や根気強さ、また熱心を神の働きに用いないで、その大いなる日に彼らはなんと言い訳をするのだろうか。
 わたしたちが自分の光を燃やし続けたいのなら、神の助けが必要である。だからイエスはその救いの手を与えるために死なれた。このお方は「彼にわたしの力強さをしっかりとつかませよ。そうすればわたしと和解することができる。彼はわたしと和解することができる」と招いておられる。無限の力あるお方の腕にすがりつきなさい。そうすればあなたは、このお方があなたの魂にとって尊いお方であり、全天はあなたの求めに応じる用意ができていることが分るようになる。「神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば」、わたしたちは聖天使たちとの交わりを持つ。「ヨシュア」に対して、「万軍の主は、こう仰せられる、あなたがもし、わたしの道に歩み、わたしの務を守るならば、……わたしはまた、ここに立っている者どもの中に行き来することを得させる。」との言葉が与えられた。ここにある「ここに立っている者ども」は誰であろうか。彼らは神の御使たちである。ヨシュアは、日々神に、生きた信じて疑わない信頼を持っていなければならない。持っていれば御使たちが彼と共に歩き、神の力がヨシュアの骨折りすべての上に置かれるのである。
 であるから、クリスチャンである友人がた、父母の方々、あなたがたの光を決してくもらせてはならない。決してあなたがたの心を弱々しくしたり、手を疲れさせてはならない。そうすれば、まもなく天の都の門があなたのために開くであろう。そして、「あなたがわたしに与えて下さった子供たちとわたしはここにおります」と言いながら、あなた自身と子供たちは御座の前に進み出ることができる。そしてあなたの子供たちが、神の麗しい都の中で永遠の命と共に冠を授けられるのを見るとは、忠実な者にとってなんと素晴らしい報酬であろうか。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1886年1月14日)


よろしくお願いいたします。

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