「牧師は家庭生活において忠実でなければならない」

 「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。」(箴言22:6)


 父親は家族の祭司である。彼の妻子の魂は、神の所有物として、彼にとって最高の価値を持つべきである。であるから、彼は彼らの品性形成を忠実に導くべきである。自分の子供を幼少のころより世話することが、彼の第一の関心事となるべきである。なぜなら、彼らが正しい品性を発達させるということは、彼らの現在と永遠の益となるからである。彼は、自分の言葉と行動を注意深く測り、それらの影響や、それらがもたらすであろう結果を考慮すべきである。
 福音伝道の働きに携わる人は、自分の家庭生活において忠実でなければならない。父親として、神が家庭を天の家庭の象徴とする目的で与えてくださったタラントを活用することは、伝道の働きにおいて、神より授けられた力を教会に魂を勝ち取るために用いるのと同様に重要不可欠である。家庭における祭司として、また教会におけるキリストの大使として、彼は自分の生活においてキリストのご品性を例証しなければならない。彼は説明する責任のある者として、魂のために忠実に見張らなければならない。
 神のご奉仕には、不注意で粗雑な働きが見られてはならない。神は教会の牧師としての地位を受け入れる責任の神聖さをはっきり自覚していないような人々の罪の奉仕をお受け入れにはならない。家庭において、忠実な識別力のある羊飼いとなることに失敗する人は、教会で神の群れに対する忠実な羊飼いとなることには必ず失敗するのである。(原稿42, 1903年
 家庭はみな親が牧する教会です。親がまず考えなければならないことは、子供たちの救いのために働くということでなければなりません。家庭の祭司であり教師である父親と母親が、全くキリストの側にあるとき、よい感化が家庭内に及ぼされます。そしてこの清められた感化力は教会の中にも感じられ、信徒はみなそれに気づきます。神を敬う思いと清めとが、家庭の中で非常に欠けているために、神の働きがはなはだしく妨げられています。家庭生活や仕事の中で良い影響を及ぼしていないなら、教会の中で良い影響を及ぼそうとしてもそれは不可能です。……
 救いにあずかる人々に奉仕する神のみ使いたちは、あなたがたが自分たちの家族を天の家族のひな型にしようとするのを助けてくれます。家庭の中に平和があるようになさい。そうすれば、教会の中も平和になります。〔家庭から〕教会の中に持ち込まれるこの貴重な体験は、お互いのやさしい思いやりを育てる手段となるでしょう。争いはなくなります。教会員相互の間に、クリスチャンとしての真の礼儀が見られるようになります。世の人々は、彼らがイエスと共にあって、イエスから学んだ者たちであることを知るでしょう。もしすべての教会員がクリスチャン的な生活を送るなら、教会は世に対してどんなにかすばらしい印象を与えることでしょう。(家庭の教育600, 601)


よろしくお願いいたします。

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