「両親は自分の子供たちに勧告を与えるべきである」

 「わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。」(箴言1:10)


 親は子供たちが親に信頼を置くように、また彼らの心の内にある悲しみや、日常生活の小さなわずらいや試練を親に打ち明けて心の重荷を下ろすようにと奨励すべきである。もし彼らがこうするならば、親は子供たちに同情することを学び、そして彼らのために、また彼らと共に、神が彼らの盾となり、導いてくださるようにと祈ることができる。彼らは自分の子供たちに決して失望させることのない友であり、また相談者であるお方を指し示すべきである。このお方は彼らの弱さを思いやってくださるお方である。このお方は、わたしたちと同じようにあらゆる点において誘惑を受けられながら、なお罪のないお方であった。
 サタンは子供たちが親に心を打ち明けないように、そして彼らが若くて経験のない自分の仲間たちを親友として選ぶように誘惑する。このような人々は彼らを助けることも、良い勧告を与えることもできない。……
 もし子供たちがもっと自分の親と親しければ、多くの悪から救われるのである。親は子供たちのうちに親に心を開いて包み隠しのない気質を育て、自分の問題を親のところに持ってくるようにと励ますべきである。そして、彼らがどの道が正しいかを迷っているときには、問題を彼らの見解どおりに自分の親に述べて、親から勧告を仰ぐようにと励ますべきである。
 信心深い親ほど、彼らの危険を見抜いて指摘するのに当てになる人が他にいるであろうか。彼らほど彼らの子供たちの独特な気質を理解できる人が他にいるであろうか。幼少のころから、思いの変わり目を一つ一つ見てきて、生来の気質をよく知っている母親こそ、彼女の子供に勧告を与える万全の準備ができている。母親が父親に助けられるとき、彼女ほど抑制され、制止されるべき品性の特質をよく教えることのできる人がだれかいるであろうか。
 クリスチャンである子供は、他のどんな地上の祝福にもまさって、神を畏れる両親の愛と是認を選ぶ。彼らは自分の親を愛し、敬う。どのようにしてわたしは、両親を幸せにすることができるであろうか、というのが、彼らの生涯の主要な研究課題のひとつであるべきである。律せられることなく、正しい教えを受けてこなかった子供たちは、親に対する自分の義務に対してほとんど自覚がない。……
 活動的な手と思いは敵がほのめかすすべての誘惑に注意を払っている時間がない。しかし、ひまな手と脳はサタンに支配される用意が万端に整っている。であるから、親は自分の子供たちに、怠惰は罪であることを教えなくてはならない。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1878年6月6日)
 主はご自分の贖われた家族に完全を要求しておられる。このお方は品性建設において完全を求めておられる。父親と母親は特別に、子供たちを訓練する最善の手段を理解する必要がある。それは、彼らが神と協力することができるためである。男も女も、子供も青年も、自分たちが家庭生活において表したことに従って、天の秤で計られる。家庭においてクリスチャンであれば、どこに行ってもクリスチャンである。家庭に持ち込まれる宗教は、計り知れない感化力を及ぼす。(SDA・バイブル・コメンタリー5巻1085)

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