ダニエル書講解5

卒業試験とその結果

 「この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した。さて、王が命じたところの若者を召し入れるまでの日数が過ぎたので、宦官の町は彼らをネブカデネザルの前に連れていった。王が彼らと語ってみると、彼らすべての中にはダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤにならぶ者がなかったので、彼らは王の前にはべることとなった。王が彼らにさまざまの事を尋ねてみると、彼らは知恵と理解において、全国の博士、法術士にまさること十倍であった。ダニエルはクロス王の元年まで仕えていた。」ダニエル1:17〜21
 この記録によるとダニエルに対してのみ幻と夢を理解する力が与えられた様に思われる。しかしダニエルがこの点において特別の恩恵を受けたからと言って、他の三人が神の前に受け入れられる事において、ダニエルよりも劣っていたという証拠にはならない。すなわち彼らが燃える炉の中において(三章において詳述)安全に守られた事は、彼らも等しく特別な神の恩恵に浴していたことを証するものである。おそらくダニエルはこの特別な使命のために、彼の特別に適したある天賦の性格を有していたのであろう。王はかつてこの青年達にあらわしたのと同じ個人的興味をなおも持続していた。それゆえに王は三年の終わりにあたり彼らを招いて面接した。すなわち王はいかに彼らが待遇されかついかに上達したかを親しく見たいと思ったからであった。またこの会見は、王がいかにカルデヤのすべての芸術、科学に精通していたかを示している。もしそうでなければ王はそれらのことについて他人を試験することは出来なかったであろう。しかしそれはともかく、試験の結果は宗教や国籍に関係せず、どの方面から見ても、王は彼らがバビロンの何人よりも十倍も優れていることを認めたのである。それでダニエルはクロス王の元年まで仕えていたと記録されているのであるが、それはその年に彼が死んだという意味ではない。なぜならば、ダニエルはその後もなおその職について生存していたからである。しかしその年はユダヤの捕虜が解放された年であるから、記者はこの年に特別の注意を促したに過ぎないのである。
 本章および本章以外に記されているヘブルの四青年捕虜の驚くべき経験は「どのような方面の仕事においても真の成功を収めることは、偶然または何かのはずみによるものでも、運命によるものでもない。それは神の摂理のなすところであり、信仰と思慮分別、徳と忍耐の報いである。」(国と指導者下巻98)彼らのこの成功は、彼らが幼少のころユダヤの家庭においてその基礎を築かれたからであった。大バビロン帝国のあらゆる奢侈(しゃし)と偶像崇拝の激しい誘惑とに対して、彼らを堅固な岩のように固く立たせたのは、敬神の念の篤い両親の忠実な薫陶の賜物なのである。

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