「神はわたしたちが他人を扱うようにわたしたちを扱われる」


「わたしは彼らおよびわが山の周囲の所々を祝福し、季節にしたがって雨を降らす。これは祝福の雨となる。」(エゼキエル34:26)


 他人を扱うにあたってすべての人は、彼らの事情を自分自身の事情とすべきである。なぜなら、わたしたちが他人を扱うとおりに、神はわたしたちを扱われるからである。わたしたちは自分がキリストの子らを扱うとおりに、このお方を扱うのである。なぜなら、このお方はご自分の聖徒たちを代表しておられるからである。神の真理が魂を聖化し、品性を精錬し、高尚にしなければならない。そしてわたしたちは天の宮廷にふさわしい者となる前に天の型を自分のものとしなければならない。
 多くの人々が現代の真理を信じる信者と、また信じない人々と接触する状況に置かれる。そうであれば、すべての人がキリストに従うと告白する人々の輝くともし火から光線を捉えることができるために、弱い光もすべて整えられ、燃やされていることが、どれほど重要なことであろう。わたしたちは霊的な退廃のこの時代のために豊潤な恵みを必要としている。……
 人手を雇っているあなたは、自分の職人たちもまた神と共に働く者となることができるように、あなたの光を彼らに輝かせてきたであろうか。神は尊い真理の光をあなたに送られることによって、あなたに尊い特権と優位性を与えてこられた。だから、あなたはこれらの祝福を活用しなければならない。そして、ほかの人々とあなたのあわれみを分かちあうことができるようにしなさい。あなたの家庭のすぐ回りに、何と大きな伝道地があることであろう。あなたが神のみ約束の価値を語るために毎日どれほどの機会があることであろう。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1890年2月3日)
 すべてのクリスチャンには、ちょうど自分の戸口のところで、また自分自身の近所でなすべき働きがある。しかしどれほど多くの人が、永遠の利益を見失い、完全に自分たちの一時的な問題に呑み込まれてしまっていることであろうか。こうなる必要はまったくない。なぜなら、イエスが「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」と仰せになっているからである(マタイ6:33)。
 あなた自身とあなたの隣人の永遠の幸福を第一にして最も重要な問題として考慮しなさい。あなたの隣人には救われるか、あるいは失われる魂がいる。そして神はご自分が光を与えてこられた人々が他の人々のために断固として、関心をもって努力を払うようにと期待しておられる。彼らは生活上のすべての取引において、真理の聖なる要求を覚えているべきである。信者にも未信者にも、先進的な真理の知識を持っていると主張する人々の生涯のうちに、堅実で明白で強力な光が、輝き出るのを見られるようにしよう。その光は熱意と、献身と、品性の高尚さと、彼らの人の取り扱いのうちに輝き出るのである。そのとき、主は主の僕であるあなたがたを寛大に扱ってくださる。……
 あなたが自分の光を輝かし、神のみ働きへのあなたの献身を通して、ほかの人が数名、彼らの奉仕を神にお捧げするように導かれたと考えてみよう。そのとき、彼らはまた、あなたが自分の個人的な感化力では及ぶことのできなかった他の人々への祝福となる。主は、「わたしは……周囲の所々を祝福し」と仰せになる。あなたの光は遠くにまで及ぶのである。(同上1890年2月10日)

よろしくお願いいたします。

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