「神はご自分を尊ぶ者を、尊ばれる」

 「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊び」(サムエル記上2:30)


 あなたは光を与えるために雇われた主の僕である。時間、考え、機転を神のみ働きに捧げるのである。そしてあなたがこうするとき、あなたは自分の天父の是認と永遠の命という賜物を受けるのである。……
 多く祈りなさい。だれにも、またどんな個人的な利益にも、あなたを神から引き離させてはならない。このお方があなたの力の源なのである。あなたが朝目覚めたら、アブラハムのように、自分の家族をみな集め、彼らがあなたと共に神を求めるように勧めなさい。もしあなたの仕事が強烈に急を要し、働きに出るよう駆り立てるとすれば、なおさら、祈るための時間をとり、あなたの嘆願を恵みの御座に提示し、神の保護の見守り、助け、あわれみと祝福を確保する必要は大きいのである。神が要求しておられる時間を惜しんで、自分の仕事に急いで行くことができるようにと信仰心のない形式的な祈りによって先を急いではならない。
 神は、あなたがこのお方に求めるならば、あなたの労働においてさえ、あなたのために多くのことをなすことがおできになる。このお方はご自分の御使を遣わしてあなたを事故から、破損から、そして命や財産の損失から守ることがおできになる。神が与えてこられた特権をなおざりにする人たちが、慰めや平安や喜びをなくしてしまった理由は、彼らが彼らの力の源であられる神と交わるために立ち止まらないからである。神はご自分の奉仕に対してこれほど無関心なところに、ご自分の聖霊を注ぐことが、あるいはわたしたちを祝福することがおできになるであろうか。このお方はわたしたちがご自分のご計画に協力しないのであれば、ご自分の豊かな祝福をわたしたちに与えてくださることがおできにならない。このお方は、「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊」ぶと仰せになる。
 ダニエルにとってそうであったように、わたしたちにとって日に三回祈ることはふさわしいことであり、また重要不可欠なことである。祈りは魂の命であり、霊的な成長の基礎である。あなたの家庭で、あなたの家族の前で、あなたの職人たちの前で、あなたはこの真理を証すべきである。そして、あなたが教会であなたの兄弟たちと会う特権に恵まれているのであれば、彼らに神と魂の間の交わりの水路を開いていることの必要性を語りなさい。もし彼らが祈るための心と声を見出すならば、神は彼らの祈りに対する答えを見出してくださると彼らに告げなさい。彼らに自分の宗教的義務を怠ってはならないと告げなさい。兄弟たちに祈るように説き勧めなさい。わたしたちは、もし見出したいのであれば、探さなくてはならない。受けたいのであれば求めなくてはならない。もしわたしたちが自分に対して戸を開いてほしいのならば、たたかなくてはならないのである。
 もし数人しか集まらないとしても、神の尊い約束を主張するのに十分である。御父、御子、そして聖天使たちは、あなたの信仰、あなたの堅固な原則を見ようとしてあなたのそばにおられる。そしてそこであなたは神の聖霊の注ぎを受けるのである。神はご自分の倉にすべての什一を携えいれるばかりでなく、ご自分の奉仕に時間、骨や脳や筋肉の力も注ぎこむ人々のために、豊かな祝福を蓄えておられる。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1890年2月10日)

よろしくお願いいたします。

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