「人性における神の栄光の啓示」

 「神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(ヨハネ第一1:7)


 キリストは弟子たちに光を輝かすように努力せよと、お命じにならなかった。ただあなたがたの光を輝かしなさいと言われただけであった。もし、キリストの恵みを受けているのであれば、光はあなたのうちにある。障害物を取り除くならば、主の栄光は、あらわれるのである。光は暗黒の中に輝き出て、やみを追いやってしまう。こうしてあなたは自分の感化の及ぶ範囲で、光を輝かさずにはおられない。
 人間の姿の中にキリストご自身の栄光があらわれることは、天と人間との間を非常に近いものにするのであって、キリストの宿られるすべての魂の中に神の宮の栄光が見られるようになる。そして、内住のキリストの栄光に、人びとは捕えられるのである。こうして、神に導かれた多くの魂の賛美と感謝とは、潮のごとくに、偉大な与え主なる神に栄えを帰すのである。……
 キリストは、力と大いなる栄光をもって来られる。彼は、ご自分の栄光と父の栄光とをもって来られる。彼は、すべての聖天使をひきいて来られる。全世界が暗黒に閉ざされている時に、聖徒たちの住居にはどこにも光がある。彼らは、キリストが再びおいでになる最初の光をとらえるのである。主は、輝く栄光に包まれておられる。そしてあがない主なるキリストは、お仕えするすべての者の賛美をお受けになる。悪者は、み前からのがれ去るけれども、キリストに従った者は、喜びにあふれる。家長ヨブは、はるかに、キリスト再臨の時をながめて、「しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない」といった(ヨブ記9:27)。キリストに忠実に従った人びとにとって、キリストは日ごとの伴侶、親しい友であった。彼らは、神との密接な接触、絶えざる交わりを保ってきた。彼らの上に、主の栄光がのぼった。イエス・キリストのみ顔にあらわれた神の栄光の知識の光が、彼らの中に反映したのである。今彼らは、荘厳な王の大いなる輝きと栄光に浴して喜ぶのである。彼らは、心に天を持っているから、天との交わりに入る準備ができているのである。……
 「わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、『ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。……』それから、御使はわたしに言った、『書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである』」。「小羊は、主の主、王の王である……。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」(黙示録19:6~9; 17:14)。(キリストの実物教訓396, 397)


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