2011年第3期 3課「バプテスマのヨハネの最後の使命」

バプテスマのヨハネの最後の使命


「多くの人々の心にとって、バプテスマのヨハネの運命は、深い神秘につつまれている。なぜヨハネは牢獄の中で衰弱し、死ぬがままに放っておかれたのかと彼らは質問する。われわれ人間の目では、この暗い摂理の神秘を見通すことはできない。しかしヨハネはキリストと苦難を共にしたにすぎないのだということをおぼえているとき、神に対するわれわれの信頼は決して動揺させられることがない。キリストに従う者はみな犠牲の冠をかぶるのである。彼らは、かならず利己的な人々から誤解され、サタンの激しい攻撃のまととなる。サタンの王国は、この自己犠牲の原則を滅ぼすために建てられているのであって、彼はどこでもこの原則があらわされると戦うのである。」―各時代の希望上巻p280



王へのメッセージ


1.領主ヘロデと彼が一緒に住んでいた女について何が分かっていますか。バプテスマのヨハネは、彼らにどのようなはっきりとしたメッセージを与えましたか(マルコ6:18; ルカ3:19)。


ヨハネはヘロデに対して誠実にふるまい、彼が兄弟の妻ヘロデヤと不義の結婚をしたことを公然と非難した。一時ヘロデは自分の身をしばりつけている情欲の鎖をたち切ろうとかすかな努力をした。しかしヘロデヤは彼を自分の網にますます強くとらえ、ヨハネを投獄するようにそそのかすことによってヨハネに報復した。……
バプテスマのヨハネは、その使命において、高いところでも低いところでも、恐れるところなく不義を責める者であった。彼はあえてヘロデ王に対面して率直に罪を責めた。彼は自分が任命された働きをなしとげるためには、生命を惜しまなかった。」―各時代の希望上巻p265,267


2.ヘロデ王とヘロデヤは譴責の天来のメッセージを受け入れましたか。ヘロデヤは機会があった時、どのように直ちにそれに反応を示しましたか(マルコ6:19, 17)。



3.ヘロデは預言者の警告に耳を傾けなかったにもかかわらず、彼は何について確信していましたか(マルコ6:20; マタイ14:5)。




 「ヘロデは、ヨハネを神の預言者と信じていたので、彼を自由の身にする意志が十分あった。だが彼は、ヘロデヤを恐れて、その意図を果すことを遅らせた。
ヘロデヤは、公然たる手段では、ヨハネを殺すことにヘロデの同意を得ることができないことがわかっていたので、策略を用いてその目的を果そうと決心した。王の誕生日に、国の役人たちと宮廷の貴族たちのために宴会が催されることになっていた。ごちそうを食べ、酒を飲むのであった。ヘロデは、こうして油断し、彼女の意のままに動かされるのであった。」―各時代の希望上巻p275,276




4.どのような出来事が、ヘロデヤが非道な目的を実行するための最高の状況を与えましたか。娘の質問に対する彼女の即座の応答は何でしたか(マルコ6:21, 22, 24, 25)。


 「……その祝いの日になって、王が貴族たちと飲み食いしていると、ヘロデヤは客への余興として踊りをおどらせるために娘を宴会場にやった。サロメは青春の盛りで、その肉感的な美しさは酒に酔った貴族たちの官能をとりこにした。……
 王は酒のためにもうろうとなっていた。情欲が支配し、理性が失われていた。彼の目には浮かれている客と、ごちそうのテーブルと、きらめく酒と、輝いているあかりと、目の前で踊っている若い娘のいる享楽の広間しか見えなかった。一瞬間向こう見ずな気持になった王は、自分の領地の高官たちの前でいばれるような見せびらかしを何かやってみたいと思った。……
 誓いは客のためになされたのだから、もし客の一人が約束を果す必要はないと言ったら、彼は、よろこんで預言者のいのちを助けたであろう。……天の使者の生命を助けるために声をあげた者はなかった。この人たちは国家の高い信任の地位を占め、重大な責任を負っていたが、ごちそうと酒におぼれて、ついには感覚が麻痺していた。彼らは音楽とダンスの目のくらむような光景に頭がおかしくなり、良心は眠っていた。」―各時代の希望上巻p276,277


罪なき預言者の処刑



5.王が非常に後悔していたのにもかかわらず、その恐るべき日に何が起こりましたか。どのような鎖が彼を縛りましたか(マルコ6:26-28; ルカ3:19, 20)。


 「ヘロデは 、自分の誓いから解放されるのを待ったがむだだった。そこで彼はしぶしぶ預言者の処刑を命じた。すぐにヨハネの首が、王と客の前に持ってこられた。…一夜の歓楽は、最も偉大な預言者の一人の生命を代価とした。
 バプテスマのヨハネの首がヘロデヤのところへ持ってこられると、彼女は悪魔的な満足をもってそれを受け取った。彼女はこの復讐を喜び、これでヘロデの良心はもう苦しめられないとうぬぼれた。だが彼女の罪からは何の幸福も生じなかった。彼女の悪名は高くなっていみきらわれ、一方ヘロデは、預言者の警告に悩まされたときよりももっとひどい後悔に苦しめられた。ヨハネの教えの影響は沈黙させられなかった。それは世の終りにいたるまで、各時代にわたってひろがるのであった。
 ヘロデの罪は、いつも彼につきまとった。彼は罪を犯した良心の責めからのがれようとたえず努力していた。……彼は……わざわいが自分の上にのぞんでいるという心配で、いつも重い不安な心がかくされていた。……
罪人自身の思いが彼の告発者であって、やましい良心のとがめという針ほど鋭い痛みはない。それは彼に夜も昼も休みを与えないのである。」 ―各時代の希望上巻p277-280


バプテスマのヨハネより大いなる者はいない


6.イエスはこの忠実な神の証人について、どのような素晴らしい証をなさいましたか。彼の誕生の前に天使によって何と宣言されていましたか(マタイ11:11, 14; ルカ1:14-17)。


 「バプテスマのヨハネは、キリストの王国について一番先に告げ知らせたが、彼はまた苦難を受けることにおいても最初であった。……
 ヨハネが自分の使命に感じていたよろこびは別として、彼の一生は悲しみの一生であった。彼の声は荒野よりほかのところではめったにきかれなかった。彼は孤独な身分であった。彼は自分自身の働きの結果を見ることをゆるされなかった。キリストといっしょにいて、大きな光に伴う神の力のあらわれを見る特権は彼になかった。盲人が見えるようになり、病人がいやされ、死人がよみがえらせられるのを、彼は見なかった。彼は、キリストのすべてのことばを通して光が輝き、預言の約束が栄光に照されるのを目に見なかった。キリストの大いなるみわざを目に見、キリストのみことばを耳に聞いた最も小さい弟子でさえ、この意味において、バプテスマのヨハネよりも大きな特権があった。したがってヨハネよりも大きい者といわれているのである。」―各時代の希望上巻265,275


7.バプテスマのヨハネは、他の預言者が持っていなかったどのような偉大な特権を持っていましたか(マタイ11:13, 12)。


 「彼は、救い主の来臨をさきぶれし、その現われに対して備えるように民に呼びかけるためにつかわされた。彼は、その使命を忠実に果したので、彼がイエスについて教えたことを人々が思い出したときに、彼らは、『ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった』と言うことができた(ヨハネ10:41)。主の弟子たちはみな、キリストについて、このようなあかしをたてるために召されているのである。
 メシヤの先駆者として、ヨハネは、『預言者以上の者』であった(ルカ7:26)。なぜなら預言者たちは、キリストの来臨を遠くからながめただけであったが、ヨハネはキリストを目に見、キリストがメシヤであられることについて、天からの証言を耳に聞き、キリストを、神からつかわされたおかたとして、イスラエルに紹介することをゆるされたからである。しかしイエスは、「神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい」と言われた(ルカ7:28)。預言者ヨハネは、二つの時代をつなぐ環(わ)であった。神の代表者として、彼は、キリスト教時代に対する律法と預言者の関係を示していた。彼は小さな光で、そのあとには大きな光がつづくのであった。」―各時代の希望上巻p274



瞑想のために


 「……だが後年牢獄から死へ移らねばならない幾千の人々のために、ヨハネは、殉教のさかずきを飲むのであった。イエスに従う者たちが、神と人とに捨てられたようにみえながらひとりさびしく獄舎の中で弱りはてたり、剣やごうもんや火あぶりの刑で殺されたりするとき、キリストご自身がその忠実さについてあかしされたバプテスマのヨハネが同じ経験を味わったことを思って、彼らの心は、どんなにかささえられることだろう。……
死そのものはヨハネを永遠に誘惑の力のとどかないところにやってしまったにすぎなかった。……
バプテスマのヨハネに、その後につづく者たちと同じように、「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」との保証が与えられた(マタイ28:20)。」―各時代の希望上巻p281,282


もっと詳しい研究のために

ヨハネ3:22-30; 各時代の希望上巻p 265-282

教課復習

今課の主な考えを簡単に要約しなさい。