2011年第3期 4課「平和を与えられるお方」


平和を与えられるお方


 「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」―ペテロ第一5:7
 「キリストをみことば通りに信じ、自分の魂をキリストの守りにゆだね、その生活をキリストの命令に従わせる者には、平安とおだやかさがある。イエスがそのご臨在によって彼らをよろこばせてくださるとき、この世のどんなものも彼らを悲しませることができない。ただ黙々として従うことに完全な休みがある。 「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである」と主は言われる(イザヤ26:3)」―各時代の希望中巻p53


苦悩、心配、困難



1.罪に陥って以来、人類の生存を特徴づけてきたことは何ですか(ヨブ14:1; 5:6, 7; 詩篇102:3)。


 「意識しようとしまいと、人はみな重荷を負って、疲れている。みな重荷におしつぶされているが、それをとり除くことができるのはキリストだけである。われわれが背負っている一番重い重荷は罪の重荷である。もしわれわれがこの重荷を負うままにされていたら、それはわれわれをおしつぶしてしまうだろう。しかし罪のないおかたがわれわれの身代りになられた。『主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた』(イザヤ書53:6)。主はわれわれの不義の重荷を負われた。主はわれわれの疲れた肩から荷物をとられる。主はわれわれに休みを与えられる。また心配や悲しみの重荷も主は負ってくださる。心配ごとは全部わたしにまかせなさいと主は招いておられる。なぜなら主はわれわれのことを心にとめておられるからである。」―各時代の希望中巻p48



2.彼らが日々直面している重荷から逃れるために、人々は何をしますか(イザヤ55:2; エレミヤ2:13)。



 「神は、もしわたしたちが自分の好むままに歩み、自分の意志の命ずるところへどこへでも行くままに放っておかれるならば、わたしたちがサタンの隊列にはいりこみ、サタンの特性を持つ者となるということを知っておられる。そこで神の律法は、わたしたちを高く、尊い、そして向上させるご自身のみ心につながれるのである。神は、わたしたちが忍耐強く、賢明に奉仕の義務を負うように望んでおられる。神のみ業を行うことは、現世においてまた永遠にわたしたちにとっての良きことのためである。もしこのお方のみ心を快く感謝して受け入れるならば、その結果はなされた奉仕と発達した品性の内に見られるのである。」―サインズ・オブ・ザ・タイムズ1897年7月22日


信頼に値する者



3.誰に信頼すべきではありませんか(詩篇146:3, 4; エレミヤ17:5)。



 「神の腕をつかんで言いなさい、『わたしは何者でもありません。あなたはすべてです。あなたは言われました、『わたしなしでは、あなたは何もできない』と。では、主よ、私があなたの内に宿るために、私の内にお宿りください』と。それから、イエス・キリストに宿り、信仰によって一歩一歩前進しなさい。これが彼のくびき、服従のくびきを負うことである。」―(原稿85, 1901) SDAバイブル・コメンタリー 5巻p1092



4.旧約聖書において、誰に幸福が約束されていましたか。イエスはどのような約束をもって、この真理を確認されましたか(詩篇146:5; 147:3; マタイ11:28)。


 「『わたしのもとにきなさい』というイエスの招きである。あなたの心配事や試練が何であろうと、主の前に事情をうち明けなさい。あなたの心には忍耐のささえができる。あなたが困惑や困難からぬけ出す道が開かれる。あなたは自分が弱く無力であることを知れば知るほど、イエスの力によってますます強くなる。あなたの重荷が重ければ重いほど、その重荷を負ってくださるかたにまかせたときの休みは有難いのである。キリストが提供される休みは条件つきであるが、その条件は明示されている。それはだれでも応ずることのできる条件である。イエスはその休みがどのようにしてみいだされるかを告げておられる。」―各時代の希望中巻p49


5.他にどの約束が、神の偉大な引き寄せる愛を明らかにしていますか(ヨハネ6:37; 10:9)。


 「人類の長兄であられるイエスは、永遠のみ座のそばにおられる。イエスは救い主としてのご自分に顔を向けているひとりびとりをごらんになる。イエスは、人性の弱点は何か、われわれの足りないところは何か、われわれの誘惑の力は どこにあるかをご自分の経験を通して知っておられる。なぜなら主は、すべての点にわれわれと同じように試みられ、しかも罪を犯されなかったからである。主はおののいている神の子であるあなたを見守っておられる。あなたは試みられるだろうか。主は救いだしてくださる。あなたは弱いだろうか。主は強くしてくださる。あなたは無知だろうか。主は知識を与えてくださる。あなたは傷ついているだろうか。主はいやしてくださる。『主はもろもろの星の数を定め、すべてそれに名を与えられる。』しかも『主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる』(詩篇147:4, 3)。」―各時代の希望中巻p48,49


このお方への明け渡しに伴う大いなる祝福


6.神の愛に満ちた呼びかけに対するどのような応答が、罪の重荷からの解放をもたらしますか。もたらされた平安と祝福はどのように描写されていますか(マタイ11:29; イザヤ55:3; 48:18)。


 「『わたしは柔和で心のへりくだった者であるから……わたしに学びなさい』とイエスは言われる(マタイ11:29)。われわれはキリストから柔和と謙遜を学ぶために、キリストの学校にはいるのである。あがないは、魂が天国のために訓練される過程である。この訓練はキリストを知ることである。それは暗黒の君の学校で身についた考え方、習慣、行為からの解放である。魂は神への忠誠に反する一切のものから救い出されねばならない。
キリストの心の中は、神との完全な調和に支配されていたので、完全な平安があった。彼は称賛に得意になったり、酷評や失望に落胆したりなどされなかった。最も激しい反対と最も残酷な仕打ちのただ中にあっても、イエスは勇気を失われなかった。しかしキリストに従う者であると自称している人々の中には、不安で心配な心を持っている人が多いが、それは彼らが自分自身を神にまかせきれないからである。彼らは神に完全に屈服しない。それは彼らがこのような屈服に含まれている結果を避けるからである。彼らは、この屈服をしないかぎり平安をみいだすことができない。」―各時代の希望中巻p51



7.わたしたちの罪のくびきとこのお方のくびきにはどのような大きな違いがありますか(マタイ11:30; ヨハネ第一5:3; イザヤ55;1)。


 
 「ここに、キリストによって提供された休みと平安へと至る条件がある。それはこのお方と共にくびきを負うことである。条件を受け入れる人は皆、キリストのくびきが、負う必要のあるすべての重荷を負う助けをしてくれることを見出すであろう。わたしたちの側に重荷の最も重い部分を負ってくださるキリストがおられなければ、確かにそれは重いと言わざるを得ない。しかし、このお方と共に義務の荷車につながれると、人生の重荷は皆軽くなる。そして、人が自らの意思で神のご要求に従う行動をとるその時、心に平安がやってくる。このお方は、人がキリストにある信仰を通して自分自身を贖うために神と協力するにあたって、はっきりした判断の証拠と、確固とした品性を与えられる。……
 キリストの真の弟子たちは、キリストが彼のためになされた事柄をすることを喜ぶ。彼は主のご要求を専制的な強要としてではなく、自分の足を罠にかけ、道を困難にしようとするずる賢い敵の誘惑から唯一の安全を明白に示す明細書としてみなすのである。」―サインズ・オブ・ザ・タイムズ1897年7月22日


瞑想のために


 「柔和さと謙虚さが、神の律法に服従し、従順をもってキリストのくびきを負うすべての人を特徴づける。そしてこれらの恵みは、キリストの奉仕において平和という望ましい結果をもたらすのである。キリストの柔和とへりくだりを学ぶ時、わたしたちは自分自身を完全にこのお方の支配のもとに置くのである。その時、変化させるキリストの恵みが心と品性に働きかけ、罪によって堕落した人間をこのお方の内に完全な者にするのである。」―サインズ・オブ・ザ・タイムズ1897年7月22日


もっと詳しい研究のために

・ イザヤ26:3; 48:17; 各時代の希望中巻p47-54

個人的な熟考のために

・ わたしは、わたしの意志、それとも主のみ心のどちらを選んだだろうか。
・ 主にわたしの意志を明け渡すことを妨げる障害は何だろうか。
・ イエスのくびきを受けることによって、どのような経験が与えられただろうか。