2011年第3期 第7課 「宣教師として働く」

 
 「イエスがまわりに集まったおびただしい群衆に奉仕されるとき、弟子たちはそばにつきそっていて、イエスの言いつけを行い、そのほねおりを軽くしようとつとめた。彼らは人々を整理したり、苦しんでいる人たちを救い主のもとにつれてきたり、みんなが気持よくいられるようにしたりなど、いろいろ手伝った。彼らは興味を示している聴衆を見守り、その人たちに聖書を説明し、彼らの霊的な利益のためにいろいろな方法で働いた。彼らはイエスから学んだことを教え、毎日豊かな経験を積んでいた。しかし彼らはまたひとりで働く経験も必要だった。彼らはまだもっと多くの教訓と大きな忍耐と思いやりが必要だった。いま、救い主が親しくいっしょにおられて、彼らのまちがいを示し、彼らに助言を与え、彼らのまちがいを直してくださることができる間に、救い主は、彼らをご自分の代表者として送り出された。」―各時代の希望中巻p78,80


最高の使命


1.イエスはどのような天来の使命を、ご自分の弟子たちに委ねられましたか。彼らはどのような素晴らしいメッセージを宣べ伝えるべきでしたか。また使命を実行するために、弟子たちにどのような力が与えられましたか(マタイ10:5-8, 1)。



 「弟子たちのメッセージは、バプテスマのヨハネやキリストご自身のメッセージと同じに、『天国は近づいた』であった。彼らは、ナザレのイエスがメシヤであるかどうかということについて、人々と論争を始めるのではなく、イエスがなさったように慈善の働きを、キリストのみ名によってするのであった。「病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい」とイエスは彼らに命じられた(マタイ10:8)。……これらの弟子たちは、真理の先駆者となって、主の来臨に道を備えるのであった。彼らが伝えなければならないメッセージは、永遠のいのちのことばで、人々の運命は、そのことばを受け入れるかこばむかにかかっていた。」―各時代の希望中巻p80,81,83



2.イエスは、どのように彼らを奉仕のために組織されましたか。彼らの物質的な必要はどのように満たされるのでしたか(マルコ6:7; マタイ10:9, 10)。



 「だれも一人ではつかわされず、兄弟と兄弟、友だちと友だちが組み合わされた。こうして彼らは、互に助け合い、励まし合い、共に助言したり祈ったりして、一方の力で他方の弱さを補うことができた。同じやり方で、イエスはのちに七十人をつかわされた。福音の使者たちがこのように組み合わされることが、救い主のみこころであった。今の時代にこの模範にもっと忠実に従うなら、伝道の働きはもっとずっと成功するであろう。……
 彼らの旅行の準備は、最も簡単なものであった。彼らの心をこの大きな働きからそらしたり、あるいは何かのことで反対を引き起して今後の働きの門戸をとざしてしまうようなものは、何もゆるされないのであった。……彼らは会堂にはいって人々を公の礼拝に呼び集めてはならなかった。彼らは戸ごと訪問の働きに努力を集中するのであった。……彼らは、「平安がこの家にあるように」との美しいあいさつで住居にはいって行くのであった (ルカ10:5)。その家庭は、彼らの祈りや、賛美の歌や、家族が集まって聖書を開くことなどによって祝福されるのであった。」―各時代の希望中巻p80-83


反対と支持


3.主は彼らにどのような対応を予想するように言われましたか(マタイ10:14, 16-18)。ご自分の弟子に対するこのお方の指示は、今日のわたしたちにどのようにあてはまりますか。



 「いま救い主の目は将来を見通される。……イエスの預言の目は、ご自分がもう一度おいでになるまで、各時代にわたって、ご自分のしもべたちが経験することを、とらえられる。主は、ご自分に従う者たちに、彼らの会わねばならない戦いをお示しになる。主は、その戦いの性格と規模を明らかにされる。主は、弟子たちが会わねばならない危険と、必要な克己心を彼らの前に示される。主は、弟子たちが、気づかないうちに敵にとらえられることがないように、前もって結果を検討するように望まれる。彼らの戦いは、血肉との戦いではな〔い。〕……主の軍勢の隊長を代表される聖霊が、戦闘を指揮するためにくだってこられる。われわれの弱点は多く、われわれの罪と過失は悲しむべきものかもしれない。だが神の恩恵は、悔いた心でこれを求めるすべての人に与えられる。全能者の力は、神に信頼する人に協力するのである。
 真理の敵との戦いにはいった人たちは、人間だけでなく、サタンとその部下にも対抗しなければならない。……彼らは、神の愛のうちに安んじるがよい。そうすれば、個人的にひどい仕打ちを受けても、冷静な精神を保つことができる。主は、彼らに天来のよろいかぶとを着せてくださる。聖霊が心と思いに働くので、彼らの声はおおかみのほえるような調子を帯びない。」―各時代の希望中巻p84-86



4.特別に彼らが迫害に直面した時のために、どのような支持が彼らに約束されましたか。どのような反対が、このお方の証人にとって特に耐えがたいものですか(マタイ10:19-21)。


 「迫害は光をひろめる。神のしもべたちは、世のえらい人たちの前にひっぱり出されるが、この人たちは、こういうことがなければ、福音をきくことは決してないかもしれない。この人たちは、真理を曲解してきた。彼らはキリストの弟子たちの信仰についてまちがった非難をきいてきた。しばしば彼らの信仰の本当の性格を知る唯一の手段は、彼らの信仰を審問するためにつれてこられた人たちのあかしである。審問の際に、彼らは答えねばならず、また裁判する人たちは陳述されるあかしをきかねばならない。神の恵みは、その危急に応ずるために、神のしもべたちに与えられる。……神のみたまがご自分のしもべたちの心を照すとき、神の力ととうとさを伴った真理が示される。真理をこばむ者は、弟子たちを訴え、圧迫しようとする。
 キリストのしもべたちは裁判にかけられた時に陳述することばを前もって準備してきめておくのではなかった。彼らの準備は、日々に神のみことばのとうとい真理をたくわえ、祈りを通して信仰を強めることによってなされるのであった。彼らが裁判に呼び出された時に、聖霊は必要な真理を彼らに思い出させてくださるのであった。……
 しかしもしだれでもキリストのみことばを知ることを怠っていたら、……彼らは、聖霊がキリストのみことばを思い出させてくださることを、期待することはできなかった。」―各時代の希望中巻86-88


恐れへの勝利



5.イエスは各時代のご自分の証人にだけでなく、ご自分の弟子たちにも他のどのような原則を伝えられましたか(マタイ10:26-28)。



 「キリストのしもべたちは同じ働きに召されているのであって、彼らは、不和を防ごうとして、真理を放棄するようなことがないように気をつけねばならない。彼らは『平和に役立つこと……を、追い求め』るのであるが、真の平和は決して主義を妥協させることによって確保することはできない(ローマ14:19)。だれでも主義に忠実であれば必ず反対がひき起される。霊的であるキリスト教は、不従順の子らによって反対されるであろう。……神に忠実な者たちは、人間の権力やサタンの敵意を恐れるにおよばない。キリストのうちに彼らの永遠のいのちが確保されているのである。彼らのただ一つの恐れは、真理を放棄するようなことはないか、そうすることによって神からの名誉ある信任を裏切るようなことはないかということでなければならない。……
 一羽のすずめでさえも地に落ちるとかならず天父の注意をひく。サタンは神を憎むあまりに、救い主の関心のまとになっているものを何でも憎む。サタンは神のみ手のわざを傷つけようとし、もののいえない被造物さえ滅ぼすことをよろこぶ。神の守りのみ手によってのみ、鳥たちは生きて、そのよろこびの歌でわれわれをよろこばせることができるのである。しかし神は、すずめでさえもお忘れにならない。『それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である』(マタイ10:31)。」―各時代の希望中巻p89-91



メッセージを広める喜び



6.恐れることなく良い知らせを広め、イエスのみ名を告白するすべての者の結末は何ですか。天国を第一にする者の愛はどれほど深いですか(マタイ10:32, 33, 37)。


 「キリストを告白したい者は、自分のうちにキリストに住んでいただかねばならない。彼は、自分が受けていないものを伝えることはできない。弟子たちは、教理について雄弁に語ることも、キリストご自身のみことばをくりかえすこともできたかもしれなかった。しかし、もしキリストのような柔和と愛とをもっていなかったら、彼らは、キリストを告白していることにならなかった。告白はどうであろうと、キリストの精神に反する精神は、キリストをこばんでいるのである。人は、悪口やおろかなおしゃべりや、不真実なことばや不親切なことばなどによって、キリストをこばむかもしれない。人はまた生活の重荷を避けたり、罪の快楽を追い求めたりすることによって、キリストをこばむかもしれない。彼らは世に従ったり、無作法な行為をしたり、自分自身の意見に執着したり、自分自身を義としたり、疑いをいだいたり、とり越し苦労をしたり、暗黒のうちに住んだりすることなどによって、キリストをこばむかもしれない。すべてこうしたやり方によって、彼らはキリストが自分のうちにおられないことを宣言するのである。そこでキリストは、「人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう」と言われる (マタイ10:33)。」―各時代の希望中巻p91,92



7.人が神の使命者とメッセージを受け入れる時、彼は、実際にはどなたを受け入れるのですか。彼の行動の結果は何ですか(マタイ10:40-42)。



 「キリストのしもべたちの使命は、高いほまれであり、聖なる信任である。「あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」とキリストは言われる(マタイ10:40)。キリストのしもべたちに対して神のみ名によってなされる親切な行為は 、一つとしてみとめられなかったり、報いられなかったりするものはない。また神は、ご自分の家族のどんなにかよわい者にも、どんなにいやしい者にも、やさしく目をとめておられる。「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに(すなわち信仰とキリストを知る知識において子供のような人々に)冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」(マタイ10:42)。」―各時代の希望中巻p93



瞑想のために



 「イエスに従う者は、イエスが働かれたように働くのである。われわれは、飢えた者に食べさせ、裸の者に着せ、苦しみ悩む者を慰めるのである。われわれは、絶望している者に奉仕し、望みのない者に望みを起させるのである。そのときわれわれにもまた『あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる』との約束が成就される(イザヤ書58:8)。無我の奉仕にあらわされるキリストの愛は、悪事を行う者を矯正するのに、剣や裁判所よりも効果がある。剣や裁判所は、法律を犯す者に恐怖を与えるのに必要だが、愛の伝道者はそれ以上のことができる。心は、譴責されるとしばしば固くなるが、キリストの愛にふれるととける。伝道者は肉体の病気を軽くすることができるばかりでなく、罪というらい病から魂をきよめてくださることのできる大医師に罪人をみちびくことができる。神は、ご自分のしもべたちを通して、病人や不幸な人たちや悪霊につかれた人たちに、ご自分のみ声をきかせようと計画しておられる。神は、人間といううつわを通して、世の人々が知らなかったような慰め主になることを望んでおられる。」―各時代の希望中巻p81,82


もっと詳しい研究のために


・ マタイ10:1-42; マルコ6:7-11; ルカ9:1-6; 10:1-24;

各時代の希望中巻p78-93

暗唱聖句

 「あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。」(マタイ10:48)


よろしくお願いいたします。

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