「クリスチャンを印する厳格な正直さ」

 「不足のない正しい重り石を持ち、また不足のない正しいますを持たなければならない。そうすればあなたの神、主が賜わる地で、あなたは長く命を保つことができるであろう。」(申命記25:15)


 人生のささいな事すべてにおいてクリスチャンは厳格な正直という原則に従うべきである。これは世をおさめる原則ではない。なぜなら世ではサタンが主人であり、彼の欺きと圧制が統治しているからである。しかしクリスチャンは別の主人のもとに仕えており、彼らの行動は神に関連したものでなければならない。彼らは利己的な利益への願望をすべて抑えなければならない。
 ある人々にとっては、仕事上の取引で完全な正直さからそれることがささいなことのように思えるかもしれないが、わたしたちの救い主はそのようにはみなされない。この点に関する救い主のみ言葉は明白ではっきりとしている。「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」ささいな事柄でごまかす人は、もしも誘惑がくるならもっと大きなことでごまかしをする。
 キリストに従う者は商取引において多かれ少なかれ世とかかわりを持たざるをえない。彼らのための祈りの中で救い主は「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります」と祈られる。クリスチャンは神の御目が自分の上に注がれていることを自覚して売買をすべきである。決して不正確なはかりや不正直なおもりを使用してはならない。……
 人生のあらゆる行動の中で真のクリスチャンは、まさに、自分がどのような人であるかを自分の周りにいる人々が考えることを望んでいる人である。彼は真理と高潔に導かれている。彼は画策をしないので、ていさいよくごまかすものは何もない。彼は批判され、試みられるかもしれないが、あらゆることを通して彼の曲がることのない正直は純金のように輝き出る。彼は自分に関わりのあるすべての人にとって友であり恩恵を施す人であって、彼の仲間は彼を信頼する。彼が信用できる人だからである。
 彼が収穫をするために労働者を雇うだろうか。彼は雇人が苦労して稼いだ賃金をかくさない。彼はすぐには必要でない財産をもっているであろうか。彼は自分よりも不運な兄弟の必要をそれでまかなう。彼は隣人にとって不利な状況を利用して自分の財産を増やそうとしない。自分が売る物にはただ公正な価格を受け取る。もしも売った品物が欠陥品であれば、そうすることによって金銭上不利になっても、買った人にそのことを率直に話す。
 人は愛想のよい外見を持っていないかもしれないが、まっすぐで正直な取引をするという評判があれば、尊敬される。……真理を堅く固守する人は、すべての人の信頼を勝ち取る。クリスチャンがその人を信頼するだけでなく、世の人々もその人の品性の真の値打ちを認めざるを得ない。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1902年2月19日)

よろしくお願いいたします。

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Photo by Makoto Matsumoto