「信仰の実である服従」

 「それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。」(出エジプト記19:5)


 服従すなわち愛よりでた奉仕と忠誠は、でしであることの真のしるしであります。聖書にも「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである」(ヨハネ第一5:3)「『彼を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない」(ヨハネ第一2:4)としるされています。人は服従しなくてもよいというのではありません。信仰─ただ信仰のみが私どもをキリストの恵みにあずからせ、服従することができるようにするのであります。
 私どもは服従によって救いを買うのではありません。救いは神から価なしに与えられる賜物であって、信仰によって受けるのであります。服従は信仰の実なのであります。「あなたがたが知っているとおり、彼は罪をとり除くために現われたのであって、彼にはなんらの罪がない。すべて彼におるものは、罪を犯さない。すべて罪を犯す者は彼を見たこともなく知ったこともない者である」(ヨハネ第一3:5、6)これがほんとうの試験法であります。もし、私どもがキリストにあり、神の愛が私どもの心に内住するならば、私どもの感情も、思想も、行動も、神のきよいおきてに現わされた神のみ心に調和するようになります。「子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行なう者は義人である」(ヨハネ第一3:7)。義とは、シナイ山で与えられた十戒に現わされた神のきよいおきての標準によって定められるものであります。
 キリストを信じれば神に服従する義務はないという、いわゆる信仰は、信仰ではなく、臆測であります。「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである(エペソ2:8)と言われています。けれども「信仰も、それと同様に、行ないを伴わなければ、それだけでは死んだものである」(ヤコブ2:17)ともしるされています。また、イエスご自身も、この地上にきたりたもう前に、「わが神よ、わたしはみこころを行なうことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」(詩篇40:8)と仰せたまい、ふたたび天にお帰りになる直前には、「わたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」(ヨハネ15:10)と仰せになりました。聖書には、「わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである」(第一ヨハネ2:3)。……
 とこしえの命を受ける条件は、私どもの祖先が罪に陥る前すなわちパラダイスにいたときと全く同じであって、それは、神のおきてに完全に服従すること、つまり完全に義であることであります。もしとこしえの命がこの条件以下で与えられるものであるとすれば、全宇宙の幸福は危険にさらされ、罪の道が開けてあらゆる災と悲惨とが永久に絶えないことでありましょう。……
 必要に迫られ、キリストと神のみ言葉に近づけば近づくほど、私どもはキリストの品性をもっとよく知るようになり、そのみかたちをもっと十分に反映するようになります。(キリストへの道79〜87)


よろしくお願いいたします。

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