2011年9月24日安息日礼拝説教 「ルベン」

 イスラエルの12部族には、それぞれ独特の性格が表されました。そして黙示録7章に記録されているようにこれらの性質をもった人々によって14万4千人が構成されているのを見ることができます。ですから彼らの性格を注意深く学び、また、彼らの成功や失敗の経験から私たちは教訓を得ることは、わたしたちの益になるのではないでしょうか。

 今日は最初の息子ルベンについて学んでみますが、まず、ヤコブの息子たちの名がどのようにつけられたのかを考えてみましょう。彼らの名前は子供が生まれた時の母親の考えや感情を考慮して名づけられたようです。またヤコブの子供達の名前はレアとラケル二人の姉妹の対立をも反映していると考えられます。
たとえば最初の子供ルベンは『見る』という単語の音から生まれてきました。レアがルベンを産んだとき「「主はわたしの悩みを見られた」と言いました。ですからレアの最初の子供は神のあわれみの証拠であるから「この子を見なさい」と言う意味です。

 「レアは、みごもって子を産み、名をルベンと名づけて、言った、「主がわたしの悩みを顧みられたから、今は夫もわたしを愛するだろう」。」創29:32
つまりラケルに心が向いていたヤコブの心がルベンを産んだことでついに自分に転じるに違いないと確信したのでした。

 古代のイスラエルの家族制度において長男は「長子の特権」を持っていました。つまりそれには二重の祝福があり、父の財産の継承、そして家長、祭司としての特権でした。

 この特権について霊的な意味で考えてみましょう。神の霊によって新しく生まれ変わったものたちも霊的な長子の特権を持っています。つまり全ての真のアブラハムの長子たちは何に最も高い価値を置きますか?この世の財産ではなく、霊的な特権です。それが何でしょうか?それはメシヤの性質を引き継ぐこと、イエスキリストの品性という財産を引き継ぐことであります。これこそが真の長子の特権であります。また、これは言い換えるのなら永遠の命です。私たちは真のアブラハムの子供達でしょうか?イエス様は「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。」と言われました。私たちは霊的なアブラハムの子として、信仰のわざがなければなりません。私たちは霊的なアブアラハムの子として長子の特権を真に価値あるものとしているでしょうか?
 しかしルベンはヤコブの息子たちの中で最初の子供ではありましたが、彼の叔父エサウのようでした。ルベンは彼に約束されていた長子の特権をエソウのように軽んじました。
「そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。」創25:34
 ルベンは大きな罪を犯し、長子の特権を剥奪されてしまったことが記録されています。
 「イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。—ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。」歴代上5:1
 「しかし、沸き立つ水のようだから、もはや、すぐれた者ではあり得ない。あなたは父の床に上って汚した。ああ、あなたはわが寝床に上った。」創世記49:4
 
 「ヤコブはヨセフに向かって、「エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします」と言った(同・48:5)。彼らは、ヤコブ自身のむすことされ、それぞれの部族のかしらになることになった。こうして、ルベンが失った長子の権の1つがヨセフに与えられた。これは、イスラエルにおける2倍の分であった。」PP263上

 ヤコブは死の床で長男であるルベンの持つことのできた品性について次のように表現しました。

 「ルベンよ、あなたはわが長子、わが勢い、わが力のはじめ、威光のすぐれた者、権力のすぐれた者。」創49:3
 ルベンは長子としての真の特権を価値あるものとして、忠実なものであったのなら、このような素晴らしい約束が自分のものとなっていました。しかし彼はこのような恵を皆無駄にしてしまいました。この年老いた父祖ヤコブは全ての人から尊敬されるべきであったルベンの真の品性について次のように述べました。
 「しかし、沸き立つ水のようだから、もはや、すぐれた者ではあり得ない。・・・」創49:4
 ルベンの実際の品性は「沸き立つ水」つまり、安定しないいつも揺れている様なものであると言われました。しかし、彼の性質が全く悪いものであったのではありません。彼にも優しい、思いやりのあるところもありました。
 「さてルベンは麦刈りの日に野に出て、野で恋なすびを見つけ、それを母レアのもとに持ってきた。・・・」創30:14
 なぜルベンは「恋なすび」を母親の所にもってきたのでしょうか?それはルベンが母親の苦悩を知って取ってきたものでした。ここに書いてある「恋なすび」というものはマンドレイクという植物ですが、その当時貴重な薬として用いられたようです。いろいろな薬効があるようですが、その一つに妊娠するために有効な成分があったようです。また媚薬としての成分があるそうです。ですから、父ヤコブが自分の母親のレアに冷たいのを知った息子が母親のためにもってきたのでしょう。それを見たラケルがそれを横取りしようとしたのでした。

 またルベンはヨセフが兄弟たちによって殺されそうになった時、助けようとしたことが記録されています。
 「ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から救い出そうとして言った、『われわれは彼の命を取ってはならない。』ルベンはまた彼らに言った、『血を流してはいけない。彼を荒野のこの穴に投げ入れよう。彼に手をくだしてはならない』。これはヨセフを彼らの手から救いだして父に返すためであった。」創37:21、22

 このことはルベンの最初の「威光のすぐれたもの」と言われた特徴を表していました。しかし、ルベンは「沸き立つ水のよう」と言われたようにその性格は不安定な揺れる水の様なものであったことがわかります。ヤコブもこのルベンの性格のために、彼を信頼していませんでした。
 エジプトにシメオンが残され、今度はベニヤミンを連れていかなければならなくなったとき、ヤコブはルベンの言葉ではなく、ユダの言葉を信頼したことでわかります。

 「ヤコブは、むすこたちの帰りを今か今かと待っていたが、彼らが到着するや、天幕じゅうの者がみな集まり、彼らが、エジプトで起こったいろいろなことを、父に話すのを熱心に聞いた。すべての者の心は、驚きと不安に満たされた。その上、袋をあけてみるとめいめいの袋の中に金包みがはいっているのを見て、エジプトのつかさの行動にはなにか悪いたくらみがあるように思えて、彼らの恐怖心はますますつのった。悩み苦しんだ老父は叫んだ。「あなたがたはわたしに子を失わせた。ヨセフはいなくなり、シメオンもいなくなった。今度はベニヤミンをも取り去る。これらはみなわたしの身にふりかかって来るのだ。」ルベンは答えた。「もしわたしが彼をあなたのもとに連れて帰らなかったら、わたしのふたりの子を殺してください。ただ彼をわたしの手にまかせてください。わたしはきっと、あなたのもとに彼を連れて帰ります」。この軽率な言葉は、ヤコブの心を慰めることができなかった。彼の答えは「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に、ただひとり彼が残っているのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば、あなたがたは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう」(同・42:36―38)。」pp上251

 このようにルベンの性質の悪い面である軽薄さ、水のような安定のなさが、父ヤコブに対する言葉に表れています。そしてヤコブはルベンを信頼していなかったことがよくわかります。ユダに対してはどうだったでしょうか?

 「ユダは答えた。『あの人はわれわれをきびしく戒めて、弟が一緒でなければ、わたしの顔を見てはならないと言いました。もしあなたが弟をわれわれと一緒にやってくださるなら、われわれは下って行って、あなたのために食糧を買ってきましょう。しかし、もし彼をやられないなら、われわれは下って行きません。あの人がわれわれに、弟が一緒でなければわたしの顔を見てはならないと言ったのですから』。父の決心が揺らぎ始めたのをみてユダはさらに、『あの子をわたしと一緒にやってくだされば、われわれは立って行きましょう。そしてわれわれもあなたも、われわれの子供らも生きながらえ、死を免れましょう』(同・43:3−5,8)と言い、自分がベニヤミンの身を保証し、もしもベニヤミンを父のもとに返さなかったならば、自分が永久にその責任を負うと言った。ヤコブは、もはや同意せざるを得なくなり、むすこたちに、旅に出る準備をすることを命じた。」PP上252
 もちろんこの時、食糧もなくなり、エジプトに行かなければならない状況ではありましたが、ヤコブはユダの言葉を信頼し、出発することを許したのでした。

 ルベンのこの不安定な性質は彼の子孫たちにも引き継がれていきました。エジプトを脱出して、ヨルダン川を渡ろうとした時彼らはルベンのような性質を示しました。モーセは彼らの要求の動機が利己的であるのを読みましたが、モーセはヨルダンの向こう側を彼らの所有としたのでした。民32:1〜、(時間があれば読んでみてください。)
 「マナセの他の半部族と共に、ルベンびとと、ガドびととは、ヨルダンの向こう側、東の方で、その嗣業をモーセから受けた。」ヨシュア13:8
 この利己的な要求の結果、彼らはBC740年にアッスリアに最初の捕囚となってしまいました。歴上5:26
 このようにして父祖ヤコブの「すぐれた者ではありえない」との預言は成就したのでした。この部族からは預言者も英雄も出ませんでした。しかしダビデの軍隊の勇敢な人々の中に数えられたこともありました。この時、ヘブロンダビデイスラエルの王とするためにガドやマナセの部族と共に12万人のうちに数えられたのでした。歴代12:37参考

 また、ルベンの子孫たちはコラの反逆の時に同調して神のみ心を痛めました。
 「ここに、レビの子コハテの子なるイヅハルの子コラと、ルベンの子なるエリアブの子ダタンおよびアビラムと、ルベンの子なるペレテの子オンとが相結び、イスラエルの人々のうち、会衆のうちから選ばれて、つかさとなった名のある人々二百五十人と共に立って、モーセに逆らった。彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか。」民数16:1〜3
 コラはレビ人でモーセのいとこでしたが、自分の地位には満足せず、祭司になりたいと思いました。コラの幕屋のそばにルベンの部族の天幕がありましたが、そのつかさであったダタンとアビラムが反逆に加わったのでした。彼らはこの反逆によって神から恐ろしい刑罰を受けました。彼らの滅亡は現代の私たちにとっても実物教訓とならなければなりません。
 ルベンが長子の特権を軽んじたことは、彼の子孫たちにも影響を及ぼし、この民族が「優れた者ではありえない」との預言は成就したのでした。
 しかしこのような父祖と子孫たちによって神の御心を行うことに失敗した事実にもかかわらず、ルベンの名前は不滅のものとなっています。ルベンの名も14万4千の中の一部族として記録されています。ルべンのような性質をもった人々も、真に悔い改め、神の永遠の国に入ることができるのです。
 その人生において明らか失敗したかのようにみえるルベンの様な人々が神から栄光を受けるようになります。これこそ偉大な神秘だといえないでしょうか?ルベンのように人生において完全に失敗したように見える人が天国にいけるとは・・・これこそがキリストの血、罪を贖う力によるもの以外のなにものでもないのではないでしょうか。
 モーセイスラエルの部族に祝福を宣言した時、ルベンについて次のように言いました。
 「ルベンは生きる、死にはしない。しかし、その人数は少なくなるであろう」。申命記33:6
 わたしたちは「ゆれる水のよう」な性質の彼が「生きる、死にはしない」と宣言されたことに対して驚きを隠すことはできません。
しかし同時にルベンの道を歩み続ける者はイスラエルを大きな危機に陥れることを覚えていなければなりません。
 現代、世の人々だけでなくクリスチャンと称する人々の中でも、ルベンのような性質のような人がいます。彼らは「ゆれる水」のような性質で、力なく、原則に固く立っていません。そのような人々は誘惑に抵抗できずに、罪を犯してしまう危険があります。このような性質を持っている人はどうすればよいのでしょうか?優柔不断で水のように定まらない人はどうすれば良いのでしょうか?そのような人々の予防策はなんでしょか?
そのような人々は自分自身を道徳的な力に囲まれるようにしなければなりません。自分自身を故意に神を敬わない人々の影響の及ぶところに置いて、良い助けや影響を遠ざけるのなら、危険です。彼らはルベンのように自分の力に頼り、天の神につながっていないということを証することになります。これこそが私たちの陥りやすい非常に危険なことであります。私たちはルベンのように揺れる水のようでしょうか?ルベンのように滑りやすい砂の上に立つのなら「すぐれた者ではありえない」という預言を成就するようになります。ですから私たちは決して自分を信頼しないようにしなければなりません。わたしたちに必要なのは神に信頼すること、断固たる意志をもつことです。私たちがどこにいたとしても、どんな立場に立ったとしても、イエスを通して次のように言えるようにならなければなりません。「私はこのような大きな悪を行い、神の前に罪を犯すことはできません。」
 わたしたちは今熱心に自らの心を探り、自分自身の弱さを発見しなければなりません。そしてもし私たちが神のもとに行くのなら、神はルベンを生かしてくださったようにわたしたちをも生かしてくださるのです。「ルベンは生きる、死にはしない」と言われました。私たちもルベンの様かもしれません。しかし、私たちが失敗から教訓を学び、同じ過ちを犯さないために主に頼ることを決心するのなら、あなたも「・・生きる、死にはしない」との宣告を受けることができるのです。
 主が私たちをあわれみ、私たちも「決して死にはしない」魂の一人となれますように心からお祈りいたします。